9-9. 黒竜VS飛行船

 つがいを失った主人ライダーの絶望と怒りはアーダルにも伝わった。言葉を介した命令とは違い、深いところで彼の動物的感情と結びつきはじめていた。古竜もまた、生物としての喪失を恐れる。デイミオンとアーダルは、車の両輪のようにたがいの怒りと不安とを増幅させていった。


 そうやってしだいに、デイミオンはアーダルの炎を自分が生みだしたもののように錯覚しはじめた。……というより、自分の意識がアーダルに引き寄せられて、まるでその一部になったかのように感じていた。


 眼下では山火事が燃えひろがっていたが、モレスク側には無事な軍団の姿もまだあった。青年は、と思う。

 力が放出され、敵が殲滅されていくことの快感が、しだいに毛布のように自分を落ちつかせていくのが感じられた。高まっていた緊張がほどけ、ぼんやりと穏やかで、満たされた感覚が広がっていった。


 西の空に、茱萸グミの実のような小さなものが浮かんでいるのが見えた。うわさに聞く飛行船だろう。

 あれも燃やそう、とデイミオンは思った。金属と木と布でできた乗り物は、きっとよく燃えるだろう。



  ♢♦♢


 飛行船のなかでは、王たちの会談が続いていた。


「白竜とその竜騎手ライダーが、わが国に来る……」ガエネイスの目が計算高くきらめいた。

「天候を変え嵐を遠ざけ、豊穣をもたらす竜の力だ。そして、オンブリアの強さの源でもある」

 そばで見ている武将にも、王の腹の内はわかった。

 諸侯に貸し出せば王の威光が強まるし、税収の増加ももちろん期待できる――

 リアナはまだ、黙ったままそれを聞いている。

 王は続ける。

「……竜族の小麦は、われわれのものよりずっと背丈が低く、収穫量が多い。あの小麦をわれらの土地にいても、翌年同じ小麦は実らない。これを魔法と言わずしてなんと言おう?」

 リアナは間を置いて言った。「わたしの一族は、北に巨大な種子貯蔵庫を持っている。国内の諸侯と同じ条件で、それを貸し出します。そしてわたしがライダーとして、収穫までの天候に責任を持つ」


「……リアナ王。貴殿は余のほしいものを、正しく理解なさっているとみえる」

 ふたりの王、あるいは片方はすでに王ではないというべき少女は、お互いに探るように見つめあった。最終的に間をやぶったのはガエネイスのほうだった。


「……よかろう」王は身をただした。

「条件を詰めよう。おたがいに納得できれば、停戦に応じる」そして、小姓に命じる。「羊皮紙とペンを持ってきなさい。余の印章も」

 リアナはとめていた息をそっと吐いた。フィルはまだ状況をひっくり返したそうな顔をしているが、ひとまず思い描いていた展開になった。あとは条件だが……これは自分一人では手にあまる。おそらく、一度ケイエに降りて両国の法律に強い官僚を探す必要があるだろう。そう、たとえば、ファニーのような……


 そのとき、船が衝撃で大きく揺れた。リアナは思わず円卓のはじをつかむ。

「なに!?」

「状況を確認してこい」王が小姓に命じた。フィルが剣を下げたままリアナにはりつく。ニエミも立ちあがって、二人でリアナを守る態勢についた。


(そうか、この隙に小姓が助っ人を呼んできたら、わたしたちが確保されるかもしれないんだわ)

 停戦にむけてせっかく話が進んでいたのに、状況がまた動いてしまった。


「どうやら、黒竜大公はこの船を落とすつもりらしい」ガエネイスが立ちあがった。

「残念ながら、余は応戦せねばならん。心配せずとも、ここにいる将官はクルアーンだけで、あとは火器を扱う専門の兵士だ。この状況で、貴殿たちを捕縛はできん。船が落ちないよう協力してくれ」

「わかったわ」


 リアナとしても、いまガエネイス王に死なれては困る。王が部屋を出て指揮に向かうと、フィルとニエミに挟まれるようにしてあとに続いた。空気が煙臭い。眼下は戦争というよりも、むしろ山火事のように見える。風向きがかわって煙が流れると、黒竜たちの群れが姿をあらわした。

 手すりをつかみ、首をめぐらしてその姿をとらえようとする。


「アーダル!」

 ひときわ大きい竜の姿に、リアナは叫んだ。同時に、ずぅんと腹にくるような衝撃がおそった。船が横揺れしているが、被弾はしていない。見ると、甲板の中央に三名ほどの兵士が集まって、ほかの兵士たちに守られながらぶつぶつとなにかを呟いている。その指の形と詠唱に覚えがあった。こちらにも〈呼び手コーラー〉はいるというわけだ。別の兵士たちがさらに甲板の先の砲台に走っていったかと思うと、しばらくして轟音と大量の煙とともに発射された。大砲も、飛行船そのものも、衝撃で背後に大きく動くほどだった。


 アーダルが暴走している、と直感的にわかった。デーグルモールたちとの戦いや、アエンナガルに向かう途中でのように、ライダーが制御を失っている。


「ガエネイス王!」

 煙のせいでほとんど視界がきかず、目にしみて涙が出る。その状態で、リアナは必死に声を張った。「攻撃はやめて! よけいに竜を興奮させてしまう……」


 だが、砲撃音で耳がおかしくなってしまったのか、自分でもどれくらいの声が出ているのかわからなかった。

 ふらついた少女を支えながら、フィルが近づき、小声で尋ねた。「レーデルルは近くにいますか?」

 リアナははっとした。


「ええ。ルルとの〈ばい〉は弱いけど、ある。でも目くらましはかけられない……」

「やはり、まだ修復途中なんだ。無理に竜術を使わないで。危険です」

「でも、フィル……」

 ニザランで〈竜の心臓〉を取りだしたあと、飛竜の背の上でも心臓はずっとフィルの体内にあった。デーグルモールに扮装して船に入るために、直前に彼の身体から取りだしたが、そうやって入れ替えること自体、これがはじめてのぶっつけ本番だったのだ。

 しかも、心臓が戻ってわかったのは、いまだデーグルモールの状態から脱していない、という事実でもあった。

 フィルは周囲をさっと見まわした。

「混乱しているあいだに、しましょう。この船は格好の標的になっている」

「でも、それより、心配なの」さらに衝撃と横揺れがつづいた。

「縁に近づかないでください!」フィルが叫んだ。


。フィル、デイミオンがアーダルの制御をうしなうのは、これが三回目なのよ。アーダルには言葉も通じない。これが――」

 言いかけたとき、なにか大きなものが視界いっぱいに広がり、ぶつかってきた。人間、と思うまもなく背後に吹きとばされる。かろうじて手すりにもたれる形になったものの、ぶつかってきた人間はその勢いで手すりを越え、甲板から真っ逆さまに落ちていった。

 よろめきながら身を起こすと、中央部にいた兵士たちがあちこちに倒れているのが見えた。どうやら、砲弾の一部がどうやってか跳ねかえって着弾したらしい。あわてて駆けよってきたフィルが手をのばし、つかまろうとしたリアナはまたも吹きとばされた。着弾したのか、こちら側が撃った衝撃なのかすらわからない。爆風で身体が浮いて、危ないと思ったときにはもう手だけでぶらさがっていた。その手をフィルがつかみかけて――


 指一本の距離で間に合わず、たがいの手が空をつかんだ。リアナはそのまま落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る