9-7. リアナの切り札

「余が応じると思うか?」ガエネイスはうっすらと笑った。

「そもそも、貴殿はすでに城を追われた身では? 余と取引をすることができる立場であるという証拠は?」


「国王デイミオンの妻、上王、北部領主の後継者、御座所と学舎の最大のパトロン」リアナはすらすらと言った。「あるいは、この戦争のしだいによっては、わたしは再び竜王になる」


「野心的な女性は好ましい」ガエネイスは杯をすすった。

「しかし、やはり否と言おう。竜殺しのための兵器を、すでに貴殿たちは目にしてしまっている。新型の捕竜砲ハープーンに、この飛行船もだ。遅らせれば遅らせるほどこちらの手が読まれ、不利になるのだぞ? ……しかも、貴殿がこうやって余を止めに来ること自体、ケイエの備えが十分でないことの証左にならぬかね?」

「そうでしょうね」

 リアナはあっさりと認めた。「ケイエは堅固な城だけれど、上空からの攻撃には弱い。この船のようなものがあと数隻あれば、外壁などものともせずに城を攻撃できる……古竜さえ打ち倒せば」

「勝算はあるぞ」ガエネイスは笑みを深めた。「十割でなくてもよい。あの巨体が落ちれば、どれほど損害を与えられるか、考えてみたことがあるか? それは単なる損失では済まないだろう。竜族たちにとって、建国からの神話が崩れるようなものだ」


 リアナは目をつぶり、考えているようなそぶりをみせた。イーゼンテルレの、あの花虫竜フルードラク狩り――あれを目にしたときの古竜たちの動揺は、たしかに恐れるべきものがあった。竜は強大な生物兵器だが、それを御する竜族たちには大きな負担がかかる。従順な若い雌のレーデルルでさえ、主人リアナの命令に反することがある。まして、アルファメイルのアーダルは――。

 ガエネイスの指摘は正しい。リアナは目を開いた。


「でも、あなたたちは飢えている。五十年前からずっと」彼女は言った。「戦争をしている場合なの? ケイエは大きな街だから、あなたたちの兵士を養うくらいの蓄えはあるかもしれない。でも、あなたの国のほかの人々はどうなるの?」


「余は現実を見ているのだよ、竜王。貴殿たちの住む神世ではない」ガエネイスの笑みが凄惨なものになった。

「戦をするときには、持てるだけの戦力を最初に、すべて投入するのだ。それが戦の勘どころというやつだ」

 リアナはガエネイスに気おされている、と認めないわけにはいかなかった。自分の恐怖を相手に気取られないようにするので精いっぱいだった。計算であるにしても、いまの彼女には太刀打たちうちできない獰猛さと冷静さが、王のなかには同居していると感じた。


 自分の立場が〈血のばい〉によって保証されていないことに、ガエネイスは気がつくだろうか。もちろん、気づいているに違いない。板につかないはったりが、そう何度も通用する相手とも思えなかった。

「それとも、高貴なる竜たちの王は、余の国に提供できるものがなにかあるのかね?」

「それは――」


 リアナは口を開きかけて、窓際に目を走らせた。ガエネイスもつられたようにそちらに顔を向ける。遠くに、地鳴りのような音が続いた。フィルバートが動き、丸く分厚い窓に顔を近づけて言った。

「火です。〈老竜山〉のモレスク側が被弾して、複数から出火しています」

 将校があとに続いた。「竜の火です! 前線基地は無事ですが――」

「黒竜大公か。やはり、王みずからやってきたな」ガエネイスが落ちついた声で言った。

「ジャシアンに任せてある。案ずるな」

「しかし――」

「余の采配を疑うか? 報告を続けよ」


(デイミオン!)

 リアナは心の中で叫んだ。

 窓に走り寄って、直接彼の姿を見たいという思いを、なんとか抑えこんだ。〈血のばい〉が切れてしまったことが、いま、あまりにも歯がゆい。

(もう攻撃がはじまっている。……いったいなにがあったの、デイミオン!?)


「さて、こうなると貴殿の来訪も違った意味をもってくる」

 昼食のメニューについて話しているかのように、王は淡々と続けた。「黒竜大公は、上王の乗った船を落とすことはできまい。貴殿らは余らと一蓮托生となってしまった。違うかな?」

 自分の領土を燃やされている最中に、よくその利点に気がつけたものだ、とリアナは思った。だが、とっさに作戦を練りなおす。

「いいえ、違います」と、首を振った。

「オンブリアでは、わたしはもはや死人です。今の王はデイミオン、そして彼は、わたしがここにいるとは思っていない」

 ――わたしが死んだと思っている。

 それは、口に出さなかった。それこそが、リアナが焦っている理由なのだった。

「ふむ」

 ガエネイスは、指で机を叩いている。とん、とんとん。その軽い音に焦りはうかがえない。

「いまあなたが停戦を決めてくだされば、デイミオン卿を説得できます。ご決断を――すべて燃えつきてしまってからでは遅いのよ」

「武力をもって和を結ぶことを求めるなら、余も退くわけにはいかぬな」

「いいえ、ここに持ってきたのは停戦とは別のものよ」

 王の指の動きが止まった。


「わたしがアエディクラに行くわ」


「ダメだ!」誰かが叫んだ。

 ガエネイスとリアナが同時に顔をあげてその男を見た。フィルバートはつかつかと歩み寄ってきて、クルアーンが止めるまもなく机に手を振りおろした。「なにを言っているんだ、あなたは!?」


「なんと」ガエネイスがため息をこぼした。机の上の酒杯カップが倒れ、赤ワインがこぼれだしている。小姓があわてて駆け寄ってきて、高価な地図に染みができないように持ちあげる。

 ガエネイスはそれをちらりと見てから、彼女に視線を戻した。

「どういうことか、余に説明してくれるかね? 〈竜殺し〉がこのように激昂するのははじめて見たように思うが」

「フィル、下がって」

 座ったまま見上げるが、フィルは拳を握ったまま動こうとしない。

「こんなことのために、危険を冒してあなたをここに連れてきたんじゃない。発言を取り消してください」

「いいえ」

「リアナ!」

「わたしはほんとうにあなたの王なの? 下がって、フィル。もう決めたことよ」


 ガエネイスはおもしろそうに二人のやり取りを見ている。芝居ならなかなか立派だ、とでも思っている顔だ。なにしろ、〈竜殺し〉はじつに巧みに嘘をつくのだから。だが、もしそうでないとしたら?

「興味が湧いてきたぞ、〈竜殺し〉。おまえの冷静さを失わせるものがあるとは思わなかった。まして、それがひとりの女性であるとはな。われわれは高尚なことをしゃべっているようだが、案外と陳腐な動機に従っていたりする。そこが面白い。

 ……話を続けよう、竜王リアナ。貴殿は余の国に来るというのかね?」


「はい」リアナはスミレ色の目で王を見た。


「わたしは、白竜の竜騎手ライダーとしてアエディクラに行く。そして、あなたの国を飢えから救う。これが、わたしの持ってきた停戦の切り札なの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る