9-4. 灰のなかの熾火(おきび)

「素晴らしい街だ」デイミオンの目は城下に移っている。「すぐれた領主と竜の庇護のもとで繁栄する都市。オンブリアの都市の女王だ」

「……そのように自負しています」

 青年王はにこやかにあとを取った。「だが、明日には炎につつまれる」

 陛下、と言いかけたエサルの唇が凍った。エンガスは矢を射られたような顔をしている。

「城壁は崩れ落ち、兵士は剣となり盾となって死に、男と子どもが殺されて女と蓄えが奪われる。それが戦争だ。な?」

 濃紺の目はまだ城下に向けられたままだ。ため息のようなものがその口からこぼれた。

「不思議なものだ。ずっと戦争を憎んできた。私の母が放棄し、リアナの母が勝利した戦いを、忌まわしく思ってきた。戦いをはじめる者たちを愚かだと思ってきた。勝とうが負けようが、貴重な命が失われ、国が疲弊するのだから」

「陛下」

「……だがもう、そうは思わない」

 そして、振り返ってと笑った。


「戦争をはじめよう!」王は芝居がかった動作で腕をひらき、身をひるがえした。漆黒の長衣ルクヴァが、風にあおられて強くなびく。




「エリサ王のようにやつらを焼き尽くそう。……アーダルは引き絞られた矢だ。そして私は灰のなかの熾火おきびだ。放たれるときを待っている。燃やし尽くすことを待ち焦がれているんだ」



  ♢♦♢


 一方、ケイエから国境を挟んでアエディクラ側、モレスク近くの上空では、茱萸グミの実のような形をした機体が、空を進んでいた。

 遠目に見ればゆったりした速度だが、大きな生き物がすべてそうであるように、思った以上の速度がある。野生の小型竜の群れが、驚いた様子もなく脇を飛んでいった。近づくにつれ、巨大な樽が転がるようなごうんごうんという大きな音がする。

 


 甲板が見えてくる。男がひとり、手すりをつかんで周囲の空を見わたしていた。兵士が駆け寄ってきてなにごとか報告するのに、うなずいてみせる。兵士が子どもにみえるほどの巨体をアエディクラの地味な軍服に包み、しばらく偵察すると、狭い通路を苦労しながら居住部のほうへと進んでいった。


 固い木と金属とを組み合わせた頑丈な扉を開けると、なかに身を滑りこませる。そして、淡々と言った。

「恐ろしいものです、地面に足がつかぬというのは」

 部屋の中央にくつろぐ男が返した。「そうか?」


「かような籠が、竜のごとく空を飛ぶとは信じがたい」巨体の男は、やはり恐れているとは思えない静かな声でつづけた。

 男たちがいるのは、飛行船のなかのもっとも広い王の部屋だった。急ごしらえなのか、しつらえはそれほど華美でもない。楕円形にゆるくカーブを描く部屋は、二十人ほどが入ることができた――もっとも、五人が座れば残りの十五人は立っていなければならないほどの広さしかない。椅子が数脚、食卓を兼ねる長机、果物の入った籠、銀のカップ、地図、本、遊戯盤。王をのぞけば、その場には小姓がひとり侍っているだけだった。入ってきた男は王の側近で、自由な発言が許される武将でもある。玉座は居心地のよさそうな長椅子で、ガエネイス王はそこにくつろいで座っていた。


「慣れよ、クルアーン」

 王は製図道具を片手にし、その目は地図に注がれている。「おまえがいかに案じようと、飛ぶときは飛び、落ちるときは落ちる」

「わが身はともかく……このような道楽で、御身を危険にさらすのは、賛成できかねますな」

「地を這う生き物が、空を飛ぶ生き物に勝てるか? われわれが飛ばずして、どうやってオンブリアを制することができよう?」

「……御意に」

 クルアーンと呼ばれた武将は、そう言うと許可を求める手間を省いて手近な椅子に座った。

 小姓を呼びつけようとする前に、王が手を伸ばしてカップに赤ワインを注いだ。

「そら、飲め」

「……お手を煩わせまして」

 武将は内心で舌を巻いた。王には、こういう妙に気にさといところがある。大国の王として、生まれてこのかた他人の機嫌や腹具合など一度も気にせずにこられただろうに、だ。そう思うと、逆に恐ろしいような気さえする。


「対竜部隊の仕上がりはどうだ?」

 部下の内心を知らない王が尋ねた。

「責任者の報告によれば、上々です。理論上は」クルアーンは皮肉げに言った。「こういったものは、実戦がなければどうとでも取り繕えますからな」


「まあ、そう言ってやるな。実戦には金がかかる。今回が良い実験になるさ」

 武将がため息をついた。「わが君は、まことに古竜の部隊を倒そうと思っておられるのですな。風を起こし天候すら変え、炎をもって文明を灰燼となす、あの神のごとき生き物を……」

「おお、余はいつでも本気だとも、クルアーン。竜を殺すのは余の悲願だからな。……竜にってこそ、はじめて大陸の覇者と呼べる」

 だが、その竜に戦争を仕掛けるのは、いかにも愚かな考えではないのだろうか? 徒歩で風車に戦いを挑むがごとき蛮勇を、王がなそうとするのであれば、自分の役割はそれを止めることではないのだろうか? ……


 思案するクルアーンの耳に、竜の鳴き声と翼の羽ばたきが届いた。腰を浮かせて窓に目をやる。そこには竜の影もなかったが、音からすると一匹ではない。


「失礼を」

 状況を確認しようと扉に手をかけたところで、兵士の一人がなだれこんできた。

「敵襲か!?」とっさに剣に手をやる。

「いえ、閣下、わが君。味方の竜です。飛竜に乗った不死者が三名」

「不死者? ああ、デーグルモールのことか」武将は呟く。あの地獄の鳥のごとき仮面と服では、兵士たちに恐れられるのも無理はない。


「はい」兵士が続けた。「〈不死しなずの王〉が拝謁にまいったようです。わが君にご報告があると申しています。いかがしましょう」


 王が顔を上げた。「連れてまいれ」

「危険では? 当艦には限られた兵しかおりません」クルアーンは案じた。そして、この場には竜の力を使える人間は一人もいないのだ。言うまでもないが、これまでデーグルモールたちがその役割を担ってきた。

「デーグルモールは、余の切り札のひとつだ。信用しないわけにもいくまい」王はカップを干した。「それにどのみち、ライダーは必要だ」


「あの、本当にお連れしてよいのでしょうか?」新参でもない兵がためらいを見せた。

「なんだ?」


「申し遅れましたが……実は、〈竜殺しスレイヤー〉も一緒なのです」


 クルアーンは王と顔を見あわせた。

 


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