8-8. 黒竜王の不吉な降臨

「デイミオン陛下には、このことは……」

「とっくにたどり着いていよう。あの男は阿呆ではない」

 エサルの顔に緊張が走った。

「卿を処断するつもりなら、とっくにそうしている。賭けてもいいが、次の戦でまともな働きができねば、この家は潰される」

「その覚悟がないとでも?」

「捨て鉢になる必要はない。言っただろう? 政敵はむやみに殺すものではないと。それは陛下にとっても同じ。この戦、われわれにとっても背水の陣となろう」


 エサルは苦々しくつぶやいた。「だが、この戦力差……黒竜の力がなくては太刀打ちできない」

 エンガスもうなずいた。「陛下をお呼びするほかあるまいな」


「デイミオン卿……いや、陛下の様子はいかがですか? リアナ陛下のこととなると、かなり我を失ってしまわれるような場面がありましたが……」

 エサルはためらいがちに聞いた。


 自分で追っ手を放っておいて勝手な話だが、エサルは彼女が死んだと聞いて石を飲んだような心持ちがした。デーグルモールであることをのぞけば、由緒正しい血筋の、まだ成人したばかりの若い娘である。王殺しの汚名を甘んじて受けるつもりではあったが、果たせなかった今、病没してうれしいという気分にまではなれなかった。

 正確なところは生家の発表を待つことになるだろうが、〈血のばい〉が途切れた以上、ほぼ間違いないだろう。

 そう確認すると、エンガスは「おそらくは……な」と含みを持たせた。


「卿がこちらにいる間に、すでに正式な戴冠式も終えた。陛下は驚くほど平静でおられるよ」

「それは……意外ですね」

 エサルは、掬星きくせい城で会ったときのデイミオンを思いだした。つがいを傷つけられた雄竜のように、あたりをはばかることもなく激怒していたっけ。あの様子では、彼女が死んだとなれば相当、自暴自棄になるだろうと予想していたのだが。


 エンガスは目を伏せた。「感情をあらわす方法はさまざまだ。落ち着いて見えるから、内心もそうだとも限るまい」

 そして、続ける。

「陛下に限らず、黒竜のライダーはことさら怒りの制御を重視する。黒竜のみが、生物を害する攻撃を許されているからだ。神ならぬ身であつかうには、黒竜の炎はあまりに苛烈で強大であるから。

 五公会で口角泡を飛ばして議論するのも、ライダーたちを怒鳴りつけるのも、あの青年にとっては演技のようなものだ。だから……」


「あの男が激すれば、それはオンブリアの最期かもしれん」


 老大公の言葉は、エサルには不吉な予言めいて聞こえた。


  ♢♦♢


 それからほとんど間を置かずに、王から出撃の連絡があった。

 エサルたちは籠城を見越して、準備に余念がない。


 南部フロンテラの州都ケイエは、古くは人間の国イティージエンの城塞だった。度重なる竜族と人間との領土争いで、何度も戦いの舞台となってきた場所だ。それを、オンブリア最大の城郭都市となるまで発展させてきたのが、エサルの一族だった。鐘楼をのぞけばもっとも高い、領主の館の最上階のきざはしに立って、エサルは鷹のように眼下を睥睨していた。風が髪をなぶってバランスを崩しかけても、竜騎手ライダーである彼には気にならない。


 アエディクラの命を受けたとみられるデーグルモールたちがこの都市に火を放って、まだ一年にもならない。そのときには、王太子だったリアナの判断に救われた部分もあったのだが――

 いまは考えるのはよそう、とエサルは思った。どのみち、自分が追っ手をかけなくとも、竜王リアナはのだ。それは、王であるデイミオンが一番よくわかっているはずだった。竜の心臓が止まったとき、〈血のばい〉も切れるのだ。


 街のあちこちに黒い焼けこげがあり、火事の爪あとが見てとれた。貯蔵塔などの重要な施設は幸いにも無事だったが、家や工房のいくつかはまだ再建中だった。紅竜の加護のもと鉱山業と冶金にすぐれ、竜騎手ライダーに納める最高の剣はここケイエで鍛えられたものだ。その豊かな税収が中央での南部の発言権を強くしている。貴族たちは街の再建に協力的で、その資金を受けて市民たちも復興に精を出していた。エサルは唇をかむ。ここは俺が庇護する都市だ。人間どもに何度も手を出させたりはしない。


 外壁や銃眼を足掛かりにして、跳ぶように下りて空いた窓から室内に戻った。子どものころは不作法だと言われて母に叱られたものだが、彼が領主となったいまではとがめる者はいない。


 領主の館は兵士たちに開放され、あちこちでそれぞれの任務に就いていた。作戦を確認する竜騎手ライダーと参謀たち、仮の兵舎を設置している兵士たち、備蓄を確認してまわる家令、女たちは台所で大量の炊き出しにあたっている。誰もがおのれの役割を知り、不平を漏らすことなくこなしていた。備蓄がじゅうぶんにあることや、ふだんから定期的な訓練に参加していることが余裕につながっているのだろう。エサルは領民たちが誇らしくなり、あちこちで激励の声をかけて回った。


 そうやって一日があわただしく過ぎ、陽が落ちようかという時間帯になって、伝令が王の来訪を告げた。エサルは王を出迎えるために、屋上の発着場へと赴いた。


 まず目に入ったのは一面の夕焼けだった。自分の竜パルシファルがいないのは、やってこようとするアルファメイルに遠慮してのことだろう。すでに小山のようなアーダルがそこにいて、逆光でさらに黒くおおきく見えた。

 近づいていきながら、エサルはなぜか常にない緊張感をおぼえた。


 

 燃えるような夕焼けを背に、巨大な竜を従えて、国王デイミオンがそこにいた。黒光りする竜の固い鱗と、王の甲冑に、夕日が金色のしずくのような光を点々と落としている。軍靴の音を立ててゆっくりと近づきながら、デイミオンはっと笑った。夕日の赤と彼らの黒、そしてその笑みとが、どうしようもなく不吉な感覚をエサルのなかに呼び起こした。

 

 残念ながら、その感覚は当たっていたのだった。

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