9 咆哮する竜たち

9-1. 調査班の旅の終わり

 リアナが死んだ、と聞いたときの、調査班三人の反応は三様だった。


 ベスは妻を失ったデイミオンの悲痛を思ってさめざめと泣き、テオは国内情勢の変化に危機感を抱き、撤退の計画を練りはじめた。そしてファニーは、マリウス手稿ノートを片手に紙に向かい、もくもくと筆を走らせていた。


「彼女が死んだと、まだ決まったわけじゃない」紙から目を離すことなく、ファニーはつぶやいた。「〈血のばい〉が切れただけだ」


「信じたくないお気持ちはわかりますが、ファニー卿」

 ベスが鼻をすすりながら言った。「わたくしも領主貴族、兄との〈血のばい〉が切れれば、兄が死んだとわかります。〈血のばい〉はそもそも王と領主の死をしらせ、次の後継者を明らかにするための機能なのですから」


「彼女はだ。少なくとも血の半分は。そのせいで彼女の〈血のばい〉は何度も不安定になっていて、そのときだって無事だったのに、デイミオンがいったいどうしちゃったんだ!?」


「そうですね。……それに」それまで黙って窓の外を観察していたテオが割ってはいった。

「もしリアナ陛下が本当に死んでいたら、フィルバート卿の性格からいって、そのしらせをもってタマリスに戻っているでしょう」



 ファニーとベスたち一行は、人間側の国境沿いにある街モレスクに逗留とうりゅうしていた。オンブリア南西部に入ったと思われるデーグルモールの残党たちを追う予定だったのだが、リアナが死去したとなればその目的は失われる。だから、本来であれば彼らの旅もここで終わり、王都タマリスへ戻るはずだった。しかし現在、彼らは思わぬ事態で足どめを食っている。「思わぬ事態」は二つある。


 そのを窓から眺めて、ファニーは思案げな表情になった。眼下に見えるのは、通りを行進していく軍隊である。ガエネイス王が招集した兵士たちが、続々とモレスクに集まりはじめているのだ。イーゼンテルレでお披露目された各種兵器の姿もある。戦争の気配に街もざわめきはじめていた。かれらが逗留する宿にも、物流が止まった時のために備蓄の食材が搬入されている。宿で拾った街の声はさまざまだ――「竜の力の前に人間の兵器じゃ打つ手がない、家族を連れて田舎に避難するつもりだ」という老人。「いやいや、ガエネイス王には勝算がおありだ、今度こそあのトカゲ人に一泡吹かせてやれるさ」という中年の男。テオはファニーとベスを安全なケイエまで送り届け、自分はモレスクで情報収集したいと考えているらしかったが、の理由のために動けないでいる。


 デイミオン王と連絡が取れないのだった。


 今日もセラベスは数度にわたって、兄ロギオンと交信していたが、彼も数日、王と接触できていないという。戦争の気配は王都にも伝わっているだろうが、そのときはまだ、デイミオン王みずからが参戦するなどとは誰も考えていなかった。オンブリアの竜騎手団は三十柱以上の黒竜をようし、その戦力だけで国をひとつ滅ぼせると言われている。彼らだけで十分対処できるはずだ。


〔聞いただけだが、竜騎手議会が解散されたとか、掬星きくせい城は蜂の巣をひっくり返したようで……〕

 ロギオンは背後を気にしながら〈ばい〉をつづけた。〔すまないが竜舎も慌ただしくて、長いこと通信が続けられそうにない〕


 ベスは慌てた。「お兄さま。待って。デーグルモールの残党はどうするのです? それに、リアナ陛下の亡骸がニザランにあるのなら、われわれもせめてそちらに向かいたいのですが……」

 背後ががやがやと騒がしくなり、兄の声が遠のいた。やきもきと続報を待つベスに兄の声が届いたのは、かなりの時間が経ってからだった。


 ロギオンは悪夢でも見ているかのような、信じられないといった声音で告げた。〔……デイミオン王がケイエへ出立された〕

「なんですって?」

〔王みずから、ガエネイス王の軍に向かわれると……〕

「どういうことなの……お兄さま。お兄さま?!」


「ベス」テオが険しい声で彼女の肩をつかんだ。「宿の近くに『トカゲ捕り』がいる。すぐにこの宿を出ないと、捕まっちまう」

 ベスは〈ばい〉の名残で、いくらかぼんやりと問い返した。「『トカゲ捕り』……?」

 さっさと荷物をまとめはじめたテオに代わって、ファニーが説明した。「〈ハートレス〉の逆みたいなもんだよ。人間だけど、〈竜の心臓〉を持っているから、竜族が見分けられるんだ……行こう! 僕らが捕まると、オンブリアに対して格好の人質になってしまう」

 三人はテオを先頭に、ばたばたと階段を降りていった。帳場のある階下につく前に、あるじが不審げに声をかけてきた。「お客様がた、どこへ?……」


 その頃には、ベスはすっかり自分を取り戻し、演技をする余裕まであった。あるじに向かって居丈高に言う。

「兵隊どもが来るなんて、どうして知らせなかったの!?」

 ベスの剣幕に、あるじは一歩下がった。「お客様。手前どもはただ――」

竜族トカゲたちが攻めてくるなんて。商談がだいなし! わたくしがどれだけこのために準備してきたとお思い? あなた、この代償は高くつきますよ」

 指をさされたあるじは、びくっと肩を震わせた。そして、「では、精算を済ませてまいります」と逃げるように帳場の奥に引っ込んだ。


 ヒュウ、と口笛の音がして、どうやらそれはテオの称賛のしるしらしかった。




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