間章5 恋と欠点、そしてアーシャの治療についてのミヤミの私見

 どうにも生活力に欠ける騎手たちを隣の部屋に控えさせて、ミヤミは静かな闘志に燃えてひとまず部屋の片づけをはじめることにした。あきらかにゴミと思われるようなものからまとめて捨てていくが、アーシャは興味もないそぶりで缶詰の桃を食べている。「缶詰なんか食べない」と言ったのはどの口だろうか。


「あなた、デイミオン卿のことをどう思う?」


「は?」竜騎手ライダーが見て見ぬふりをせざるを得なかっただろう下着の山を片づけながら、ミヤミは思わず問い返した。「失礼?」


「黒竜大公。摂政王子。あのクローゼットみたいなデカブツよ」

 片づけを手伝わないのは、まあ予想の範囲内であるとして、いきなり話題をふられるのも困惑する。

「はあ……」下着を手に持ったままでは、気の抜けた返事しかできなかった。「デイミオン陛下ですか……、いえ、どうとも……」


「主人の意向は気にしなくていいわ。あなたの個人的な意見を聞いているのよ」

 アーシャは妙に優しい声音を出したが、別にここまできてリアナの意向を気にしているわけではないので、ミヤミは首を傾げた。「陛下がクローゼットに似ているかというご質問でしたら、首肯しかねますが……」


「そういうことじゃないわよ」

「ええと……」ミヤミは口元に拳を当ててしばし考えたが、「やはり、特にどうという意見は持ちあわせておりません。失礼ですが、誉めそやしてほしいとお思いなら、そう命令していただけたほうがありがたいです」

 アーシャは拍子抜けしたように口を開いたが、やがて、納得したようにうなずいた。

「そうね。……やっぱり、どうということはない男よね」

 質問の意図が、よくわからない。

 しかし、かつてこの元斎姫が、デイミオンの妻となるためにあれこれと画策していたことを思い出して、ミヤミは聞いてみた。

「閣下はどうお考えなんですか?」


「あなた、〈ハートレス〉なのでしょう? 〈乗り手ライダー〉になりたいと思ったことはあって?」

 アーシャは逆に聞いてくる。そう聞かれるのははじめてではないので、ミヤミは冷静に言った。「何度かあります」

「あの男は、ないと言ったわよ」

「フィルバート卿ですか?……ええ、あの人ならそう言うでしょうね」


「〈乗り手ライダー〉に生まれて、巫女姫に選ばれて……誰かにかしずかれて生活するのが当然だと思ってきたわ。斎姫でなくなったのなら、王配にならなければと言われたから、それでデイミオン卿と結婚しようと思ったのよ。結婚がどういうことかも、シーズンのことも、なにひとつ知らなかったけれど……」


 アーシャは白い指を布でぬぐい、ごく自然な調子でその布を近くに放った。汚れ物は自然消滅するとでも思っているのだろうか。

「今にして思えば、どうしてあんな冷酷な大男とシーズンを共にしようなんて思えたのかしら? 色が黒くて、声も大きいし、顔だって薄ら笑いか無関心かのどちらかしか見たことないわ。それに、絶対にイビキをかきそう」


 リアナが聞いたら憤慨しそうな偏見だ、とミヤミは思ったが、口には出さずにおいた。聡い娘なのである。

 なぜこの巫女姫がいきなりこんなことを言いだしたのかとっくり考え、そして唐突に切りだした。

「私は、フィルバート卿が好きなんですが」

 それを聞いて、音がするほどすばやくアーシャが振りむく。「あなたが? あの〈ハートレス〉を?」


「はい」ミヤミは真顔でうなずく。

「ですが、どうして好きかと言われると、よくわからなくなるんです。すばらしい点を百個でも語りつくせる気がするし、でもそんなものはまったく関係ないような気もします」

 そして雑巾を持った手をふり、と続けた。

「ちなみに、フィルバート卿の長所は神業とも呼ばれる剣技、〈ハートレス〉たちからの厚い信任を受けるカリスマ性、目的のために手段を選ばない合理性などがあり、短所としては、わりと嘘つきです」

 アーシャはあっけにとられた顔をした。「そんなことは聞いていないわよ……」

「それに、嘘つきなのは骨身にしみたわ」


「そうですか」ミヤミは真顔のまま妙にはずんだ声を出した。

「嘘つきというのは大きな欠点です。それに、重要なポイントですが、私のことなど手のかからない妹程度にしか思っておられません。でも、好き好き大好き、超愛してる、です」

「おめでとう、とでも言えばいいのかしら?」アーシャはげんなりした顔になった。

「ありがとうございます。ちなみに最近もっとも肉体的に接触したのは、私がナイフを持って卿に突っ込んでいき、もちろん相手にもならず、思いっきり足蹴にされたときで」


「はァ?」聖女とも呼ばれているらしい儚げな美貌が大げさにゆがんだ。「あの男、子どもにそんなことするの!? 思ったとおり最低な男ね」

「はい! そうなんです! 基本的に容赦のない人です」

「ちょっと、あなたのそのテンション、ついていけないわよ……」


「それを踏まえまして、閣下には天から与えられたありあまる長所さえ、はるかにしのぐ欠点がおありですが」

「なんですって!?」

「……でも、オーデバロン卿はあなたのことを大切に思っておられます。このように、ですから……もし閣下がデイミオン卿の短所を愛せないとすれば、おそらく、……閣下の運命の相手はデイミオン卿ではないのではないでしょうか?」


 一笑に付されるかと思ったが、アーシャは意外にも考えこむ様子をみせた。デイミオンが運命の相手ではないというくだりがどうやら気に入ったようだった。


「まあ、そうかもしれないわね」姫は鷹揚にうなずいた。

「もっとも、わたくしは誰かの欠点を愛したりはしないと思うけれど」

 それを聞いて、ミヤミはにっこりした。

 道のりは長いが、なんとなく、やってみようと思えたのだ。


  ♢♦♢


 翌日もアーシャは大聖堂で街の人々の治療にあたっていた。ミヤミはそれを、少し離れた説教席で見ていた。手伝いの司祭やライダーたちには、あいかわらず木で鼻をくくるような態度をとっていたが、施療している老人やら母親やらには慈愛に満ちた微笑みをみせていて、ミヤミにはそれが興味深かった。周囲から聞いたり、実際に本人と会ったときの印象では、アーシャは他者に慈善をほどこすことに熱心なタイプには見えなかったが、病者が対象だとそうでもないらしい。


 病者の列がひと段落したところで、「なぜ貧民治療などを?」と尋ねてみた。アーシャは術具など片づけながら、体温の低そうな声で「健康な人たちの相手は疲れるのよ」と答えた。


 わかるような、わからないようなミヤミは自分でもとっくりと考えてみた。そして、「戦っているときは、しゃべらなくていいから口が楽」という自論に似ていると思った。かつてその自説をフィルバートに披露したときには、あのハシバミ色の目をまんまるに見開いてから笑ってくれたことを思いだした。彼は形のいい口もとに拳をあて、ちょっと身をかがめるようにして笑った。細かいところまで覚えているのは、恋をしているからである。ミヤミはその事実に満足した。


 明かり取りの窓から見える景色は雪がちらついていて、聖堂のなかは暖かいが、外は寒いだろう。フィルバートはもはや王ではなくなった少女の病を癒やすため、彼女の知らない場所におり、そのどこかで旅空を眺めているかもしれない。願わくばその旅が心やすかれとミヤミは祈った。

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