間章4 わがまま姫と竜騎手と汚部屋

「……〈呼び手コーラー〉ねぇ」

 背中から涼しげな声。ミヤミは振り返ることなく、床に落ちたナイフを拾い、破損していないことを確かめてから鞘に戻した。「こけおどしも戦略のうちです」


 アーシャのほうに向きなおると、白い頬に華奢な手を添えて、面白そうな顔をしている。

「あなたと似たようなことを言う男を一人知っているわ。〈竜殺しスレイヤー〉。〈ハートレス〉。フィルバート・スターバウ」

「そうですか」

「そういう、しらを切る嫌らしいところが、そっくりよ」

「……」

 ミヤミは考えこんだ。フィルバートのことではない。「あなたは、〈ハートレス〉にも竜の力を与えることができるのですか?」

「一時的にならね」

 興味深い事実だ。〈竜の心臓〉がない者に、どうやって力を送りこむのだろう? ミヤミはさきほどアーシャが触れた首の後ろあたりに触れてみた。


「常習しようと思っているのなら無駄よ、馬鹿にならない負担が骨や筋肉にかかるのですから。……ついていらっしゃい」

 とっさに返答しかねたミヤミに向かって、アーシャは例の軽蔑しきった表情で振り返った。「侍女がいなくて不便をしていたのよ。来るの、来ないの?」


 ♢♦♢


 教会のなかにあつらえられたアーシャの部屋は、ひとことで言えば、雑然としていた。

 彼女に続いてなかに一歩入ったミヤミは、遠慮なくきょろきょろとあたりを観察した。もともと上級神職用らしい立派な部屋だが、広くて散らかっている、としか言いようがない。シルクにセーブルにベルベットの、色もさまざまなドレスたちが山となってベッドを占領し、また家具の上に無造作に掛けられている。もちろん、それに合わせた靴がないわけはなく、部屋を行き来する者がちょうど踏んで邪魔になる位置を選んで放置されていた。缶詰や飲料の革袋も。


竜騎手ライダーは何をしているんですか?」ミヤミは問うた。

 恩赦を受けた身とはいえ領主家の正嫡がこのような辺鄙へんぴな街に滞在するのだから、竜騎手ライダーの数名は引き連れているはずで、本来なら、聖堂にいて彼女を護衛していなければならない。その姿が見えないのはおかしい。


「本当ですわよねぇ」アーシャは小さな頭を振った。

「主人であるわたくしが、こんなに苦労して民草に尽くしているというのに、身辺を守る竜騎手ライダーの一人もいないなんて。でも、この辺鄙な街でわたくしの身になにかあっても、なげき悲しむひともいませんものね。いいえ、リアナ陛下のせいだなどと言うつもりはありませんのよ。それというのもわたくしの生まれの星が悪かったせい。いわばわたくしが悪いようなもの」


「いわば、ではなく、まったくもってあなたの責任ですな」


 男の声にミヤミが振りかえると、扉近くにいる竜騎手ライダーの苦々しげな顔とかち合った。

「オーデバロン卿」ミヤミはさっと会釈した。男はあまりに背が高いので、梁にぶつからないように頭をかがめて入ってきた。間近に見たのはこれがはじめてだが、〈御座所〉に入る前からアーシャの護衛を務めていた人物だ。初老の域にさしかかろうとしているが、自分の身体能力を増幅して戦うタイプの青の〈乗り手ライダー〉なので、鍛え抜かれて若々しい印象を与えていた。


「……王城からの使いですかな?」ミヤミに向かって尋ねる。「君はたしか、リアナ陛下のもとにいた?」

「はい。リアナさま付侍女で、ミヤミと申します。デイミオン陛下の命により、アスラン卿へ王都に帰還いただくようお願いに参りました」


「まあ、オーディ」アーシャは男を見て、ころっと態度を変えた。「あなたがいなくて心細かったわ。買い物は済んで?」


 オーデバロンは無言で部屋に入り、紙袋を長机に下ろした。アーシャは軽やかに近づいたが、鼻に皺を寄せて文句を言いはじめる。「イチジクがないわ。それに白ワインはどこ? わたくし、缶詰なんか食べなくってよ」

「あなたはまだ成長期なのですから、水蜜ワインはやめておきなさいと申しあげたでしょう。それに、缶詰はあなたではなく、ほかの竜騎手ライダーたちの食事です。イチジクはありません」


 なんと、〈アルクネの鷲〉とも呼ばれた武勇の騎手が、わがまま姫君のお守りにくわえて買い出しまでさせられているとは。ふだん竜騎手ライダーに良い印象は持っていないミヤミでさえ哀れをおぼえる。

「次からは私が行きましょう。使い走りには慣れていますから」

 ミヤミが提案すると、オーデバロンは疲れた顔で首を振った。「お気遣いなく。これも私の不徳の積み重ねというものだ」


「まあ。嫌味ったらしいこと」アーシャが鼻を鳴らした。


 竜騎手が悲しげに続ける。「精魂込めてお守りしお育てしたつもりの姫君が、竜王陛下への叛逆を企てるなど、なんたる不面目な……成功しなくてせめてもの幸い……デイミオン殿下の特別のお計らいで恩赦がいただけたからよかったようなものの、そうでなければ名誉ある家から反逆者を出すことになりかねなかった……」


「毎日毎日、春の雨みたいにじめじめと同じことの繰りかえし。思えば貴人牢は静かだったわ。本当に嫌になるわ」


「このような……このような……」どうやら主君を痛罵する語彙が不足しているらしい高貴な騎手のために、ミヤミが助け舟を出した。「幼稚で恥知らずな? 自分大好き? つける薬もないわがまま姫君?」


「おお」オーデバロンは顔をぺろりと撫でた。

「ねえ、缶詰の汁が飛んで、ドレスが汚れたわ」

「おおお……」


 お気の毒に。わがまま姫に振りまわされ、この世の終わりのような顔をしている中年騎手を見かねて、ミヤミはそこそこきれいな布きれを探してアーシャに渡してやった。周囲の予想を裏切るようなとっぴな行動をとることにかけては、彼女の主君も負けていないが、少なくともリアナはこれほどわがままでも幼稚でもないのが救いだろう。徳が高いだの聖女だのと崇めていたさっきの女性たちに、この部屋の惨状をみせてやりたいものだ。


 この女性をタマリスに連れて帰るのは、並大抵の労力では難しそうだ。ミヤミはそう判断したが、不安よりもむしろ使命感のほうが強かった。「自分に与えられる任務を誠実にこなすことが、ひいては〈ハートレス〉全体への偏見を取りのぞくことになる」と、フィルバートさまも言っていたではないか。

 信頼関係、そう、まずはそこからだろう。


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