間章3 青竜の力

「リアナ陛下は静養中でおられますので」

 現王と上王を軽んじるような発言は慎むように進言するべきだろうか、とミヤミは一瞬考えたが、やめた。五公十家の嫡子としてわがまま放題に育てられたうえ、ようやく物心がつこうかという時分から巫女姫としてタマリスの貴族社会から隔離されて、純粋培養に磨きがかかっている。無駄な労力だろう。


「タマリスでは灰死病の流行の兆しがあり、閣下におかれましては、治療師の長としてお戻りいただきたいとのお言葉です」


「わたくしに? あの男が? お言葉ですって?」

 アーシャはベッドの中に嫌いな甲虫が見つかったとでもいうような顔でミヤミを見た。「おととい来やがれ、とお伝えくださいな」

「そういうわけにも……」

 だいたい、その「おととい来やがれ」はどこで覚えたのだろう。純粋培養の姫君のはずなのに。

 ミヤミは口を開きかけたが、背後から乱雑な音が聞こえて振りかえった。礼拝堂の大きな扉が開き、四、五人の男たちが固まりになって騒いでいる。見覚えのある顔ばかりだ。やっぱり、自分を追ってきたんだ、と後悔するが、遅かった。


「お話の途中で大変失礼いたしますが、不逞の輩のようで……お相手する時間をいただきます。閣下はお隠れいただけますか?」

 そう説明すると、手を交差させて、革ひもで脚の外側に縛りつけてあったナイフをすばやく取りだした。〈ハートレス〉として毎日研鑽を積んでいても、小柄な女性というハンデがあり、一度にあれだけの人数を相手に大立ち回りをこなすことはできない。標的を絞ってナイフで切りつけ、彼らがひるんでくれればそれで御の字といったところだ。それで、アーシャ姫の護衛の騎手ライダーたちが来るまでの時間稼ぎになればいいが……。考えても詮無せんないが、ドゥーガルを外につないでいることが惜しい。


 自分の唯一の武器であるすばやさを活かすためには、相手の出方を待つわけにはいかないので、ミヤミはわずかな時間で覚悟を決めるとナイフを構えて腰を落とした。走りだそうとすると、首元を軽く指でつつかれる。


「閣下?」ミヤミは振り返らずに尋ねた。「なにを?」


「青竜のライダーは病を癒やすだけではなくて、対象者の肉体を強化することもできる」

 アーシャは危機的状況に似合わない甘い声でささやいた。「犬は犬らしく、猟犬のように追い立ててくるといいわ」

 その嫌味の意味を深く考えるひまもなく、ミヤミはすでに走りだしていた。


「〈竜騎手ライダー〉のお姫さまと女官ってわけか。最高だな」

「気をつけろ! ナイフを持っていやがる」

 男たちの声が、もう数歩先に聞こえる。


 そして、変化が訪れた。

 まるで走っているドゥーガルから飛び降りたときのように、自分のものではない力が自分の脚に加わった、そんな感じがした。温かい飲み物を飲んだばかりのように体中がほかほかする。心臓が早鐘を打ち、恐怖は消えてスリルへの渇望に塗り替えられる。

 男が突き出した短剣の、鈍い刃の輝きが、きわめて遅く感じられた。風に舞って落ちてくる布切れほどの速さ。腿に力を入れて思いっきり跳びあがると、切っ先が空を切る音が真下に残る。自分の跳躍力にぎょっとしながらも、男の後頭部を着地ざまに蹴り、その反動で背後の集団に飛びこんでいく。


(なんて軽いの!)


 もともと身軽なほうだが、ここまでのスピードは体重の軽さと日ごろの鍛錬だけでは説明がつかない。アーシャが彼女にやったこととの因果関係が今ひとつ掴めないまま、当初の計画通り、動きの鈍い男の顔を袈裟がけに切りつけた。計画と違ったのは、跳びおりざまの動きのために切りつける位置が上がったことだ。


 「ぎゃああっ」と悲鳴があがり、想像以上の量の血が顔から噴き出した。返り血を浴びるかと思ったが、視界が横向きに大きくぶれた。足を掴まれて投げ飛ばされたのだ、と一瞬遅れて理解が追いつく。うしろ向きに飛び、しっくいの壁に勢いよく叩きつけられる。が、かろうじて受け身が間に合い、ごろごろとすべり落ちて、また相手に突進していく。自分の動きが信じられない。まるで獣にでもなったかのようだ。


「なにをしてるの! そこよ! やってしまいなさいよ!」

 アーシャの野次が聞こえる。なんてことだ、これらのすべて、彼女の能力のせいなのだ。彼女のおかげ、と言うべきなのか。首と肩をまわすとぽきぽきと音が鳴る。発散されることを待ち望んでいるエネルギーを、強く感じる。だが、このままでは正当防衛どころではなくなりそうだ。傷つけすぎると、相手から退くチャンスを奪ってしまう。


 残る一人は屈強な体格の男だったから、ミヤミは遠慮なく腎臓を狙って右フックを放った。ふだんなら、体格差のある男にはほとんど効かない攻撃だったが、男はもんどりうって倒れた。

 もれなく一人ずつを攻撃し終えると、ミヤミは自分の両手をぱんと打って息を吸い、自分にできる最大音量で怒鳴った。


「これで力の差がわかっただろう!」思ったよりも低く大きな声に、自分でも内心驚いてしまう。

「すぐに出ていけ! これに懲りたら、〈呼び手コーラー〉に喧嘩など売らないことだ!」


 男たちは口々にミヤミを罵ったが、潮が引くよりも早く出口に向かって突進していき、全員が消え去った。


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