8 竜騎手(ライダー)フィルバート

8-1. 守られたもの、失われたもの


 灰色の雲が混じる昼の空に、飛ぶ生き物の群れが遠く見える。タマリスからの伝令竜バードかとリアナは目を凝らしたが、どうやらただの鳥らしく、V字に広がってさらに西に向かって行くようだ。東のエランド山脈はすっかり雪化粧で覆われているが、ニザランではまだ積もるほどの雪はなかった。冷たく乾いた風が枯草を数葉はこび、白っぽい金髪を巻き上げて生き物のようになびかせた。


 頭を振って顔を覆う髪をはらうと、淡い灰色の瞳があらわれた。


 目ざめたリアナに告げられたのは、〈竜の心臓〉が取りのぞかれたということと、それが手術によってということだった。意味が分からないでいると、クローナンが順を追って説明してくれた。

 昏睡状態にあるリアナを前に、古竜レーデルルが支離滅裂な警告を発しつづけたこと。そして彼女の胸から出た剣を抜くようにフィルバートにうながしたこと。

 彼が剣を抜くと、同時にリアナの体内から〈竜の心臓〉の反応が消え、剣も消えたこと。そして――


 そこから先のことは、まだリアナには整理がつかないでいる。


 ともあれ、彼女の体内からは〈竜の心臓〉が取りのぞかれた。それと同時に、デーグルモールの黒い紋様も身体にあらわれることはなくなり、あれほど苦しめられた冷たさと飢えと渇きも嘘のように消えた。どんな理由でかはわからないが、病は彼女の身体からなにかひとつ奪うことでその記憶をとどめようとしたらしい。苦痛がすっきりと消えた顔を鏡に映したとき、リアナはそこに、かつての自分とは違う虹彩の色を認めた。


 (これでもう、趣味に合わないスミレ色のドレスを着せられることもなくなるでしょうね)と皮肉げに考えたが、なじんだ容貌が変わってしまうのはさみしくもあった。

 だが、それよりもずっと辛かったのは、もはや竜とのつながりを感じられなくなったことだった。


 レーデルルは以前と同じように、彼女の世話を受けいれてくれるが、あのおもちゃ箱のようなおしゃべりは聞くことができなくなった。当たり前になじんでいた白竜の力も消えてなくなり、風や水の流れも、古竜の力の息吹も感じられない。


 そして、デイミオンとの〈ばい〉――。


 王と王位継承者をつなぐ〈血のばい〉は、〈竜の心臓〉の力ではたらいている。だから、それがとりのぞかれれば、〈ばい〉の糸もなくなるのだった。手術を受ける前からわかっていたことだが、こうやって実感してみると、やはりつらい。里を出てから、ほとんどずっと無意識に感じてきたデイミオンとのつながりが絶たれて、まるで他人になってしまったみたいだった。命綱が切れてしまったみたいだった。


 とはいえ、感傷にひたっている暇はない。術後二日経っても伝令が届かないということが気にかかっていた。フィルに助けられ、死ぬ思いで越えた雪山だが、伝令竜の翼なら一日とかからない距離である。デイミオンからの便りがまだ届いていないのか、それともマリウスが放った竜があちらに到着していないのか。


 (もし後者だとしたら)と、リアナは焦燥感にとらわれた。(デイミオンが心配だわ)



「ここにいたのか」

 声に振りかえると、マリウスが歩いてきていた。手に籠を下げている。「まだ長時間、外気にあたってはだめだと言われているだろう?」

「そういうわけにもいかないわ。……伝令竜バードの経路は安全なの?」リアナは地面の白い草を引き抜いた。「やっぱり密使を出すべきだったんじゃない?」


「ニザランではできるだけ外部との接触を断つようにしてきた。実態が知られると不都合があるからな」マリウスが言った。


「死んだはずの王や竜騎手ライダーが、歩くキノコになってさまよっているとか?」と、リアナ。

「さぞ不都合な事実でしょうね、タマリスにとっては。……それはいいけど、確実な連絡手段がない以上、ここに長居はできないわ。〈ばい〉が切れて、わたしは死んだと思われているもの。一日も早く王都タマリスに戻って、無事を伝えないと」


「まだ王のつもりでいるのか? 言っておくが、〈ばい〉が切れた時点で王位は後継者に移っているはずだぞ」

「そんなことわかってるわよ。もとから王位に未練があるわけでもない。わたしの生死を気にかけている人がいるのよ、イニ、薄情なあなたと違ってね」

 イニと呼ばれた男は反論せずに、形のいい眉を片方だけ器用にあげた。

「継承権が移っているとすれば、デイミオンはわたしが死んだと考える。それはまずいわ」


「どうまずいんだ?」イニが尋ねた。「デイミオン・エクハリトスは昔からオンブリアの王位を狙っていると思っていたが。今ごろ小躍りしながら典礼服でも選んでいるだろう?」

 リアナは嘆息した。どこから説明したものか。


「その話は長引くのか? では、おまえの〈ハートレス〉の様子を見に行こう。竜たちを眺めながら、茶を飲んで話せばいい」自分の話が長いのを棚に上げて王が気楽に言った。


 リアナは複雑な心境で呟いた。「彼は、もう〈ハートレス〉じゃないわ」


 

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