8-2. 竜騎手(ライダー)フィルバート
二人は、城とツリーハウスの中間地点にある開けた場所まで連れ立っていった。
上空ではカン、カンと木刀の打ち合う音がして、激しい模擬戦闘が繰りひろげられていた。
鮮やかな夏の海のような色の青竜がゆったりと旋回し、そのまわりを小柄な白竜がくるくると動き回っている。その竜の背に二人の男が立ち、たがいの出方をうかがっている。
先に仕掛けたのは、フィルバートだった。軽くひざを曲げてばねのように跳びあがり、真上から青竜のライダーに斬りかかる。体重がないかのように身軽なのは、竜の力で空気の層を作っているから。動きを見越していたクローナンは受けずに避け、その流れでフィルの足元を風で払った。青年はよろめいた――ように見えたが、かがんだように見せかけてぐっと踏みこみ、さらにクローナンに切りつける。剣戟を受けたクローナンは後退しながら後ろ向きにとんぼ返りをした――着地した先は、リアナの白竜、レーデルルだ。
クローナンが、自分の竜とともに、フィルの竜を支配下に置いたのだ、と直感的に気づく。
フィルの目が驚きに見開かれるが、それと同時に、竜の支配を失ってなすすべもなく落ちていく。ひやひやしているリアナの目の前で、青年は直前になって風を取り戻し、着地とともに地面を蹴ってまた飛びあがった。
「青竜の〈
「判断は悪くない。だが、最初から白竜の支配を渡すな! 私からこれを取り戻すには時間がかかるぞ」
フィルは無言で、ぱっと前方に駆けだした。白竜――それとも、クローナンの言葉どおりなら青竜――の力で一点に風を集めて足場にしているのだろう。が、リアナはあぜんとした。言うはやすしだが、実際にはかなり難しいことをやっている。リアナ自身が苦労したように、空中では姿勢を安定させるだけでも本来は難しいのだ。
「驚いたわ……」
見上げたリアナが呟いた。「あんなことができるなんて」
リアナの身体から剣の形をしたなにかを抜いたフィルバートは、驚くべきことに、古竜との力の通路が開き、その力が使えるようになった。いわば、後天的な〈
つまり、その剣とは〈竜の心臓〉であり、他者に移植可能だ、ということになる。にわかには信じがたいことだった。リアナはともかく青の〈癒し手〉だったクローナンでさえ、そんな事例ははじめて聞いたという。
事例がないということは、どう扱えばいいのか、誰にもわからないということでもある。あらゆることが考えられた。病気の原因だった〈竜の心臓〉を、フィルが使用して大丈夫なのかという心配もある。クローナンはフィルに〈竜の心臓〉を装着させたままにしておきたいらしい。その口調が人体実験めいていてリアナは嫌だった。
要するに内心穏やかでないのだが、マリウスはそんな彼女の心境などお構いなくしゃべり続けている。
「フィルはライダーよりコーラー向きだな。クローナンやおまえほど竜の忠誠度に恵まれていないが、その分というのか、力の使い方がうまい。小規模な戦いならこちらに分がある。
『忠誠度』とは何を指すか覚えているかね? 絆とか情緒的なふれあいのようなあいまいな概念ではないぞ。古竜には、長きにわたって
マリウスは持ってきたバスケットを地面に置いた。
「ともあれ、さすが〈
「なんだか……複雑な気分。レーデルルはわたしの竜なのに」リアナは肩を落とした。「フィルったら、あんなに剣の腕が立って気が利いて魚釣りも料理もできて、さらに〈竜の心臓〉を持ったとたんにわたしよりうまく竜を操るんだもの。不公平だわ」
「おや、おまえは〈ハートレス〉の地位向上に興味があると思っていたがね」
「まあ、そうなんだけど、自分の心に余裕がないっていうのは厳しいわ。……わたしはフィルと違って、〈ハートレス〉になったからって急にはなにもできないし。それこそ、地道に見つけるしかないんでしょうけど」
マリウスはうっすらと微笑みを浮かべて、バスケットの脇にしゃがみこんだ。「お茶にしよう」
リアナはふうっと息をついた。「そうね」
「じゃあ、わたしは茶器を準備するから、イニはお湯を沸かしてちょうだい」
「そうしよう」
今は王二人となったかつての老人と養い子は、彼らなりの手順で用意をはじめた。だが、もともと家事一般があまり得意ではなかったうえに、最近では周囲がやってくれることに慣れきっているため、見ているほうが危なっかしい手つきだった。マリウスは着火したあと竜術で空気を温めていたが、力加減がよくわかっていないのか、近くの足場に燃え移りそうな勢いだ。リアナはといえば、鉄製の土瓶を鍋つかみもなしに火にかけている。
見ているほう、つまり上空のクローナンとフィルが、訓練も忘れて同時に悲鳴をあげた。
「マリウス卿! よそ見をするな!」
「リア、その取っ手は熱くなるから……」
が、親子はまるで聞いていなかったかのように続け、結果として、リアナが「あつっ」と言って放した土瓶が地面に落ち、地面からあがりかけていた煙をじゅっと消火した。
「消えたな」「こぼれたわね」
二人は地面を凝視して、他人事のような感想を述べた。
「訓練したてのコーラーといってもこんな初歩的な失敗はしないぞ。卿らときたら、まったく……」地面へ降りてきたクローナンが言う。フィルがそのあとに続いた。「フィル、陛下の指を冷やしてさしあげなさい」
「すみません、実験台にして。ちょっと見せて」
リアナは、フィルに手を取られるにまかせた。空気中の水分を凍らせるのは自分でもよくやっていたので不安はないが、やはりすこし複雑な気持ちだ。
「こうしているのは嫌?」
「え?」
「俺が、あなたの心臓を使って、あなたの竜を従えるのを見るのは……」
フィルはリアナの指に落としていた視線をあげて、彼女を見た。なにかを恐れるような、気がかりそうなその顔に、リアナは罪悪感を覚えた。
(馬鹿ね、わたし。フィルのほうがずっと気にしているはずなのに。わたしを〈ハートレス〉にしたって、気に病んでいるんだわ)
それで、わざと冗談めかして言った。
「実を言うと、ちょっと懐かしくなっていたところよ。部屋も食べ物もみんな凍らせて、ネズミをかじってまわりから化け物扱いされていたころがね」
フィルは「ハッ」と白い息を吐きだすように笑った。めったに見せない、皮肉げな笑みだ。それから、笑みをひっこめて真面目な顔をつくった。
「時間をとって、すみません。最低限の能力の使い方は頭に入れておきたくて。……明朝には出立できます。飛竜とレーデルルと一緒に――今度は竜上だから、タマリスまで二日もかかりませんよ」
リアナは強いてにっこりした。「よかった」
フィルはまだなにかを言い足りない顔を見せたが、結局、「じゃあ、またあとで」と言って訓練に戻っていった。
彼が去ると、マリウスが隣にやってきた。
なにを思ったのか、養い子に向かって不穏な声でささやいた。「『〈竜の心臓〉なんて要らない。あなたの心が欲しい』」
リアナは正面を向いたまま問うた。「……フィルがそう言ったの?」
「いいや、言わない」見あげると、斜め上に邪悪な笑みがあった。「だが、そう思っているのではないかな、わが子よ」
本当に、この男は。
人心を惑わすような悪趣味な元養い親に、リアナは何と言ったものかと思った。イニにも空気を読まないと言うか人をイライラさせるようなところがあったが、メナやアミたちは「年寄りの言うことだから」と流していたのである。若くハンサムな王の言葉だと思うと、許してやろうという気にならない。それで、辛辣に言った。
「わたしはあなたの娘じゃないし、フィルはそんなこと言わないわ」
男は笑みを深めたようだった。「おまえにあの男のことがわかると?」
リアナは戦闘訓練に戻ったフィルの背中を見ていた。
「ええ」そして、胸に手を当てて、わきあがる喪失感をやり過ごそうとした。「わかっているわ」
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