6-13.……後悔していますか?
下から見あげてくるハシバミ色の目と、スミレ色とがぶつかった。
この目で真剣に見つめられると、逃げだしたくなる。だが、リアナはしばらくためらってから、勇気を出してついにずっと聞きたかったことを口にした。
「あの嵐の夜、本当はなにがあったの?」
二人はまだ見つめあったままだ。こういう場面で目をそらさない青年はずるいとリアナは思う。
「わたしを抱いたのは、アエディクラに亡命する口実をつくるため?」
彼女の足首をつかんだまま、彼女の目を見て、フィルは即答した。「そうです」
「どうして?」リアナはとがめる口調になった。
「どうしてあの時、うちあけてくれなかったの? アエディクラに行ったのが、わたしの治療方法を探すためだったなんて、あなたひとことも言わなかったじゃない。タマリスでは、フィルがスパイ行為をしてるって疑ってる人もいて……どちらの国からもスパイだと思われて、国にも帰れなくなったかもしれないのに」
「覚悟のうえでのことです。あなたに気づかわれることじゃない」
フィルは苦々しい顔になった。「おれを責めるべきは、そこじゃないでしょう」
だが、リアナは言いつのった。
「せめて、イーゼンテルレで再会したときでもよかったのよ。ハダルクもテオもいたわ。あなたの力になってと頼めたのに……フィル!」
叫んだのは、フィルが彼女のふくらはぎをつかんで、膝がしらに口づけたからだった。
「あなたには、本当にいらいらさせられる」
膝に唇をあてたまま、恐ろしいことを言った。行動と態度がまったく一致していない。リアナが驚いて身を引こうとしても、足は強くつかまれたままだった。剣だこのある指の腹が、ふくらはぎをさすりあげた。
「イーゼンテルレのことを蒸しかえすなら、おれも言いたいな。……あの夜は、どうしてあんなドレスを着ていたんです? 黒とスミレ色で、あなたの白い首も肩もあらわで。頭がおかしくなりそうだった」
「あなたまでその話なの? あれは、舞踏会のためのドレスコードで、しかたなく――」
「あなたまで? おれ以外のどの男が、そう聞いたんだ?」フィルの声が鋭くなる。
「――ドレスのことなら、エサル卿が……デイミオンが見たら怒るって……」
フィルはかがむのをやめて身体を起こすと、リアナの肩口の布をぐっと掴んで下ろした。「嫉妬するのはデイミオンだけだと思ってるの?」
「フィル、やめて……」リアナは大きな椅子の上で身じろぎしたが、制止は聞き入れられなかった。
「イヤリングも、首飾りのひとつも着けずに、こんなふうにむきだしで」フィルの指が耳たぶをはさみ、首すじをなぞった。「それで男がどんなに欲望をかきたてられるか、知らないんですね」
ぎしっという音を立てて、木の椅子がきしんだ。フィルが座面にひざをつき、リアナに覆いかぶさる態勢になる。
「フィル! ごまかさないで――」
だが、遅かった。〈救国の英雄〉と呼ばれる男は彼女の首のリボンに手をかけてはずした。金具もない宝石つきのリボンがするりとほどけると、リアナの手首と椅子の背枠とを、あっというまに結んでしまう。いやがって身をよじる彼女の髪に手を差しいれ、耳の後ろに鼻先をうずめる。
「フィル、いや、やめて――」
耳たぶが甘く噛まれ、フィルの声がそそぎこまれた。「おれを拒むんなら、あの夜、そうすべきだったんだ」
椅子にくくりつけられた彼女の手を、フィルの手がからめてつなぐ。濡れた唇が首筋を降り、鎖骨にとどまって熱いため息をもらした。
どうしたらいいのかわからなかった。あのイーゼンテルレの再会のような、リアナの意思など関係ないとでもいうような彼の行動が怖かったし、腹も立った。でも、そうせずにはいられないほど彼が苦しんでいるのなら、それは自分のせいではないかとも思った。フィルはどれくらい多くのものを、彼女のために犠牲にしてきたのだろうか? ……
緑がかった目に冷たく見下ろされると、恐怖だけではない感覚が背筋を這いあがってくる。もみあっているうちに身体が密着して、お互いの体温と荒い吐息以外のことはすべて消えてしまいそうだ。フィルと同じくらい彼女も混乱していて、手が自由だったら彼を張り倒したいのか、それとも抱きしめたいのかもわからなかった。
呼ぶ名前にもう制止の意味もなくなった頃、唇と手の愛撫がとまった。フィルはなにかをこらえるように、おそろしく強い力で彼女を抱きしめていたが、しばらくすると腕をゆるめた。
「あんなことをするつもりじゃなかった」彼女の首すじに顔をうずめたまま、フィルが小さく言った。砂色の短い髪がまだ、首と胸元に触れている。
「あなたを後悔させて、取り返しがつかないほど傷つけるかもしれないのに。亡命の口実なんて、ほかにどうとでもなるはずだった。あのとき――あのときは……」
だが、最後まで言い終わることなく、彼女の首もとからのろのろと顔をあげた。
「……後悔していますか?」かすれた声がそう尋ねた。
二人の目がふたたび合った。
「いいえ。あなたは?」リアナは静かに答えた。
自分で聞いたくせに、フィルはずいぶん長いこと答えに迷っているように見えた。だが、やがて手枷をほどき、椅子につながれていた彼女の手を解放した。
「アエディクラで
そう言いかけた彼の顔を、リアナは自由になった手ではさんだ。二人は間近に見つめあったが、フィルが顔をそむけ、はさんだ手がそっと外された。
「いまは後悔しています。……知らなければよかった」
「フィル」
青年はドレスの襟ぐりを元にもどし、丁寧な手つきで胸もとのリボンを結びなおした。そのリボンのあたりに目を落としたまま、「今夜は外で見張ります」と言い、リアナの返事を待つことなく出ていった。
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