4-10.ホワイトアウト

 四日目は雪だった。

 夜のうちにさらに雪が降り積もり、近くを確かめると、膝まで埋まりそうな深さがあった。木々に目をやると、太い枝が雪の重みで垂れ、細い枝にはつららが降りていた。それらの様子から、残念ながら急いだほうがよさそうだと判断する。これ以上雪が降ってきたら、どんな道でも通行できなくなる。その前に峠を越えなければ、もう雪山越えは不可能だろう。 


 フィルは栄養価の高い蜜菓子で手早く朝食を済ませると、リアナを起こす前に竜に鞍をつけて出発の準備を整えた。


 目を覚ました彼女は、朝から満身創痍に見えた。大きな目は冬雲のような凍った銀色に変化している。経験からして、よくない兆候と思われた。フィルが心配のために眉をひそめると、リアナはしいて微笑んでみせた。


「大丈夫。出発しよう」

 フィルもかすかに微笑んで同意をかえした。リアナは我慢強い性格だが、本当に無理なら虚勢を張ったりはしないだろう。自分のように死地を潜り抜けてきたわけではなくても、故郷を焼かれ、親しい人の死を目前にして、黒竜のライダーと戦って勝つ強ささえ身に着けたのだから……。



 二人は出発した。

 冬山の天候はまるで、容赦ない巨大な神意のように二人を翻弄した。真っ白に荒れ狂う風が四方からさんざんに殴りつけたかと思うと、急に退いてつかの間、息をつかせる。方角と風の向きや強さがわかるリアナの能力は、道を失わせないためには有効だが、雪や風そのものを防ぐことはできない。彼女の竜が追いつくのを待って、フィルは鞍袋から巻いた縄を取りだした。くるりと輪を作り、ひょいと身体を折って竜の片足のあぶみにそれを通すと、リアナにも同じことをさせた。これで、視界が悪くなってもはぐれる心配はないが、悪い道に足を取られた場合の危険は増す。竜の首にしがみつくようにして前へ進み、たがいに励ましあってなんとか進んでいく。


 フィルはリアナに声をかけつづけ、急き立ててなんとか手足を動かさせていたが、実際には彼自身も凍って感覚が薄くなりつつあった。雪山と砂漠は、同じ景色の連続という意味でよく似ている。自分でもどれくらい進んだのか、時間の感覚がなくなり、果てしない悪夢のなかを彷徨しているような気分になっていた。ごく束の間、雪がやんで視界がくっきりと開けると、これまで通ってきた痕跡が見えて正気に戻るという繰り返しだ。


 灰色の憂鬱な雪景色に慣れきっていると、ふと頭上の空がぱあっと明るくなった。曇った視界を一瞬で変えてしまうほど明るく、ねじまがった木のシルエットがくっきりと浮かびあがった。それに続いて、太鼓がとどろくような轟音があたりに鳴り響いた。目視できるほど近くの木に直撃し、二人は息をのんだ。木は真っ二つに裂け、雪を煙のように舞いあがらせながら倒れた。焦げ臭い匂いがただよい、ずーんという重苦しい音が、地面をじかに伝わってきた。リアナの竜が怯えてその場でぐるぐる回りだす。

 

「雷雪だ」フィルが言った。「雪がひどくなる。急ぎましょう」雪道が許す限りの速さで竜を進める。リアナもあわてて従った。


 雷雪は驚くべき自然現象だが、たいてい一度きりで、何度も続くことはない。雷自体よりも、それを生む雲の群れのほうが恐ろしい。


 激しく吹き抜ける風が雪を舞い上げ、あたりを白いもやで覆ってしまう。わずか数センチの視界もきかないほどだ。風の音がビョウビョウと鳴り、ほかの音をかき消してしまうので、白い闇のなかに取り残されたように感じる。雪山は何度も経験しているが、いつでも違う種類の危険がある。今回は、この天候とリアナの体調とが、大きな不安要素だった。


 竜の脚が膝まで埋まるほどの雪のなかをだましだまし何とか進み、ようやく、野営できそうな洞窟にたどりついた。もちろん想定になかった道で下調べはしていないが、リアナがグリッドを使って風を避けられる場所を探してくれたのだった。そこは倒木と粗朶と雪の吹き溜まりでほぼ入り口を塞がれかけていたので、フィルがひとりで見つけることはできなかっただろう。まさしく、ありがたい力だった。


 彼女が術具をもちあげて目の前に示すと、竜の力を示す赤い色がなくなりかけ、残量がほとんどないことがわかる。


 そのことは、いまは考えるまい、とフィルは思った。とりあえず今日をしのいでから、明日のことを考えよう。


 手袋をはめた手で倒木を抜き、雪を掻きだしていく。ぐずぐずしていると掻きだしたものが風に飛ばされて舞い戻ってくるので、フィルはもくもくと作業に没頭した。リアナもなんとか手を動かしてはいたが、その動きは緩慢で、ほとんど雪をかく役には立っていなかった。やがて横穴が姿をあらわすと、彼がなかをあらため、特に危険はないと判断した。


 開口部は薄暗い。なかば朦朧としているリアナを抱きかかえるようにして内部に入っていった。

 

 一歩入ると広い空間が開けていて、竜も含めてなんとか中に収まった。中心に、火を焚いた古い穴があるが、雪がこれだけ深いので通風孔には期待できず、注意が必要だろう。岩棚の裂け目を探して松明を差しこみ、竜たちを休ませて散らばったたきつけを拾い集め、たき火跡に火を起こした。

 

「リアナ」そっと呼びかける。「大丈夫ですか?」


 彼女の肩を抱いて揺すろうとして、フィルははっと息をのんだ。雪除けの頭巾から、黒い触手のような模様が伸びて、リアナの頬にまで達しようとしていたのだ。頭巾をはらうと、首すじまでびっしりと黒の紋様が這い伸びていた。さらに、荒く息をついていて、とても疲労だけとは思えないほどだ。


(だがデイミオンは、前にもこれくらいの〈生命の紋〉が発現したことがあると言っていた……)

 その見通しが楽観的に過ぎることがわかったのは、許しを得る間も惜しんで袖口をまくりあげたときだった。


「なんてことだ……」

 華奢な腕をつかんだまま、思わずつぶやく。

 皮膚とは思えないほど固く、灰色に変色した箇所は、細かくひび割れて鱗のような奇妙な光沢を放っていた。


「灰死病」

 そうつぶやいて、フィルは言葉を失った。

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