4-2. 街道沿いの宿屋


 巡礼路はオフシーズンとはいえ、まだそれらしい旅行者はちらほらいて、ときおりすれ違った。リアナと同じような格好をした女性もいる。逃亡の旅と思えばつらいが、巡礼の旅と思えば多少は心慰められそうだ。考えてみると〈隠れ里〉を出てから王城に入って一年近くになるが、フロンテラやイーゼンテルレなど南のほうへ行くことが多く、西と北にはまったく出かけたことがない。母の生地という北部領に行ってみたいと思っていたこともあったが、メドロートがああいう亡くなり方をした今となっては、その気持ちもくじけかけていた。


 刈り入れの終わった畑は寒々しく、ところどころにヒースが紅葉しているほかは色味に乏しかった。街道の脇はすでに固い霜の層ができている。凍てついた湿地から鷺たちが飛びたっていく。フィルの荷運び竜ポーターがときおり彼女の前に出ては、安全を確認してまた背後に戻る。同じような光景がくり返された。


 あまり心浮き立つ眺めとはいえそうにない。やむを得ないこととはいえ、レーデルルと離れているという事実が思ったよりも心に重くのしかかっていた。羽毛も抜けきらない幼竜のころからずっと一緒だった相棒だ。かしこいだが、主人と離れて〈ばい〉も遠くなっては、不安に感じているに違いない。

 おまけに、城を出てしばらく復活していた体調が、また悪化しはじめている。身体が重く、だるく、ときおり視界がぼんやりと曇った。デイミオンが与えてくれた薬の効果が切れはじめているのではないかと不安になる。フィルにそう言うと、「あれは、長期保存できない薬なので、もってこれませんでした」と返ってきて、リアナはがっかりした。


 デイミオンに会いたい。


 ああいう状況で別れてしまったので、彼と再会したのが夢だったような気がする。城で軟禁されているあいだ、周囲の現実からも遠かったし、自分という存在への意識がとても薄くなっていて、百年でもああして氷の世界に座っていられそうな気がした。思い返すとおそろしい感覚だ。


 どうしてあんなふうになってしまったのかわからない。アエンナガルで〈霜の火〉と白竜の力を使いすぎたのかもしれない。もしかして、自分はずっとこのままなのかもしれない。


 それでも、今はフィルを信じてニザランに向かうしかない。漠然とした希望でも、ないよりましだった。それに、どれほどデイミオンのそばにいたかったとしても、モンスターのように暗闇に閉じ込められるなんてもう二度とごめんだった。



 欠けたコインそっくりの淡い銀色の月を、置き去りにするように西に進んでいく。

 四つ足を交互に出して進む荷運び竜ポーターは、空を駆ける竜から見れば地上の虫のようなものだろう。早駆けするにはかなりの技術を要するので、地上を移動するのにはあまり適していないが、山岳地帯に入れば心強い相棒になるはずだった。

 竜たちのことを考えていたせいだろうか。ふと方角を振りかえると、タマリスを囲む東の稜線のうえに黒い影が見えた気がした。まぶたを閉じ、巨大な黒竜とその主人を思い描く。


 地平線上に積み重なってゆったりと動いている雲が、灰色とやわらかな薔薇色に染まるころ、一日目の宿に到着した。

 慣れない移動で疲れきっていて、すぐにでも寝台にもぐりこみたい気分だった。だが、竜をつなぎに行こうとするのをフィルが制止した。


「借り物の竜が多い」声に警戒が混じっている。

「宿の周辺だけ、グリッドで確認してみる? ライダーたちがいないか……」

 リアナは提案し、首もとのペンダントに手をやった。〈呼び手コーラー〉たちが使う術具で、古竜の力を一時的に溜めておき、必要時に使うことができるものだ。溜めておける量には限りがあるので、数回限りの使い捨て。しかし、レーデルルを連れていけないリアナにとっては貴重な道具となるはずだ。


「いえ。術具はなるべく使わずに、取っておいてください。……なかに入って、ちょっと確認してきます」


  ♢♦♢


 にぎやかな晩だった。

 街道沿いの宿屋は満員の客入りで、食堂のほうからはゴブレットが合わされる固い音や男たちの笑い声、皿やカトラリーが立てるかちゃかちゃした音でうるさかった。

 宿の主人は忙しい厨房を手伝って皿など運んでいたが、扉が開く音がしたので慌ててカウンターに戻った。オーク材の自慢の扉の前に、青年がひとり立って待っている。


「すまないが、一室頼めるか?」

 ちらりと館内を確認する目を、主人は見逃さなかった。主人のほうもさっと青年を観察した。

 若くて服も小ぎれいだが、身のこなしに隙がない。さりげなく帯剣していて、間違いなくその扱いには熟達しているだろう。しかし流れの兵士にしては殺気がない。ふうむ。


「お客さん、運がいいですよ。最後の一室だ」

「団体客でも?」

「どこかの農村から、若衆たちが竜を借りての巡礼中みたいですよ。……お代はこんなもんでいかがですか?」

 主人が立てて見せた指の数に、青年は軽くうなずく。「それでかまわない。連れがいるんだ。呼んでくるよ」


 おや、と主人は眉をあげた。女連れか。たしかに、派手な男前ではないが、すらりとした体格だし顔立ちも整っていて、女性の一人二人侍らせていてもおかしくはなかった。


 入ってきた女性は、スカーフを目深に降ろしているが、青年よりもさらに若く、成人して何年も経っていないだろう。ふっくらした頬に細いあごのライン、そしてこぼれる金髪が見えた。鄙にはまれな佳人、とまではいかないが、なかなかきれいな少女とみえる。


 なるほど、新婚旅行だな、と主人は推量した。収穫期が終わると農村では旅行に出かける若者が増える。巡礼の旅という名目もあるが、どちらも 物見遊山という目的では変わらない。ここに泊まっている男たちにしたところで、半数ほどはそういった手合いの農民たちだった。青年が何ごとか呟くと少女はうなずいた。青年が帳場のやりとりをするあいだ、少女はカウンター近くの目立たない柱の影でおとなしく待っていた。

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