3-7. 黒竜王からの依頼

「いや、これはお恥ずかしい」ロギオンは慌てて立ちあがった。

「父母が亡くなってからめったに登城する機会がなかったもので。ふつうに待っていてしまいました……では、行こうか、セラベス」

 セラベスはうなずいて本をしまい、立ちあがった。ファニーが近づいて、侍女のようにドレスのすそをなおしてくれる。見るものが見ればおかしな光景なのだが、侍女がいる生活に慣れすぎたベスは違和感を感じる隙が無かった。


 ファニーに先導されて移動しているあいだも、ロギオンはまたそわそわしだしている。

「こうやって参上しはしたが、いったいどんなご用件なんだろう?」

「さあ」

 ベスは肩掛けの大きなカバンを気にしながら歩く。本を持ち歩きすぎるのは不格好だとわかってはいるのだが、やめられない習慣だ。侍従があわてて荷物を預かろうとするが、手をふって断った。貴重な本は手元に置いておくに限る。それに、陛下と兄の話が長引いたら、また本が必要になるだろうし。


「出仕のお話だといいんだが! 私は〈乗り手ライダー〉でこそないが、なかなかいい〈呼び手コーラー〉だし、仕事の口さえあれば女性たちも、もっと私との縁談に興味をもってくれると思うのだが。……あるいは、おまえへのいい話かもしれないな。リアナ陛下はご病気だというし、またおまえをお召しになろうということかも……」

「夢を見るのは寝ている間に済ませておいてくださいな、お兄さま」

 ベスは辛辣に言った。兄の出仕はともかく、自分をシーズンの相手にとは……。なんのメリットもない話だ。


 通されたのは謁見の間ではなく、王の執務室だった。ベスはもちろんロギオンもはじめて目にする場所だ。五公か大臣クラスの重要人物しか入室を許されない特別な場所なので、思わずまわりを見まわした。ずらりと並ぶ近衛兵のなかに、竜騎手ライダーの姿がひとり。背格好からみて、竜騎手団の副団長であるハダルク卿だろうとベスは思った。あとは書記官がひとり、紙の山に埋もれるようにして扉近くの机についている。


 兄とデイミオンが話している間、自分はどこにいるのが適切だろうかときょろきょろする。応接セットはないが、飾り気のない大きなオーク材の机のまわりには会議用とおぼしい椅子が並んでおり、すすめられれば座ることができそうだ。


 王になったばかりの青年は、執務机に向かい、書類にサインなどをしていたが、ロギオンの横にセラベスがいるのを発見して一瞬ぎょっとした顔になった。(わからなくもないわね)とベスは胸中で呟く。シーズンの途中で通うのをやめた女性の姿を、思いがけず見かけたとあっては。だが自分も一緒に来るようにと書面にはしたためてあったそうだから、彼も当然それを把握していると思っていたのだが。



「よく来てくれた、ロギオン卿、セラベス卿。長い話になるので、座って楽にしてくれ」

 デイミオンがよく通る声で言った。


「書記官。人数分の水をお願いできるかい?」ファニーがにこやかに書記官に言う。書記官は青くなった。

「あ、いや、私は――」

 兄が言いかけるのを、ベスがさえぎる。「けっこうですわね。ぜひお願いしたいわ。それに季節の果物も、なにか」

 書記官が部屋を出ていくのを待って、ファニーと王は意味ありげな目くばせをした。

 この二人はかなり気心の知れたつきあいをしているらしい、とベスは観察する。とすると、一学生だというファニーの自己紹介はおそらく嘘なのだろう。名のある貴族か官僚か、もしくは隠密の任務に就く竜騎手ライダーか……


(まあ、隠密の任務なんて。わくわくするわね)

 そういう通俗小説を読んだことがあるのだが、いささか子どもっぽい空想かもしれない。


 デイミオンは、療養中のリアナに代わり王位に就いたばかり。二人の関係については貴族たちのなかでもさまざまな噂になっており、熱烈な恋人同士という説から、単なる友人関係、果ては王位をめぐって憎しみあっているという説まである。しかし、もしも愛しあっている女性が病気になり、自分が彼女の後を継いで重責を負わねばならないとしたら、それはベスの平凡な人生には想像も及ばぬほどつらい務めだろう。共感力ゆたかな彼女はしみじみと頭をふった。

(わたくしばかり、いつまでも子どものような空想にふけっていてはいけないわね)


「では、そういうことなのか、エピファニー? おまえが任務に推す人物というのは……」

 デイミオンは、整った顔に思案気な表情を浮かべて銀髪の華奢な青年を見た。セラベスもまた、兄を見た。兄は美少女めいた顔に緊張感をみなぎらせた。


「そう。セラベス・セラフィンメア・テキエリス卿だよ」


 身じろぎもしない近衛兵をのぞいて、その場にいた全員が、いっせいに「ええっ」と声をだしてファニーの方を見た。デイミオンさえ、例外ではなかった。全員が全員、兄ロギオンのほうだと思っていたからだ。


「地理に明るく考古学にも詳しく、五公十家クラスの地位を持ち、健康で頑健で、それでいて世渡りが下手で五公とのつながりが薄く、なんの役職にもついていない。さらに、兄ロギオン卿は優秀な〈呼び手コーラー〉で、こちらとの定時連絡も可能。これ以上は望めないほどの人材だろ?」


「……なるほど」

 デイミオンはうなずいたが、なかば呆然としているのをベスは見逃さなかった。「それに、機転もきく。さっきわかったが」


 書記官を追い払ったことを指しているらしい。ベスはデイミオンに認められて、ちょっと得意になった。異性としては別に好きでもなんでもなく、むしろ威圧感すら覚える相手だが、シーズンの相手をすっぽかされて自尊心が傷ついたのも事実だ。女性として認められなくても、優秀だと思われるのは気分がいい。


「では、妹に出仕のお話なのですね?」

 指名されなかったことに失望するでもなく、ロギオンが目を輝かせた。ベス同様、善良な男なのだ。

「卿にもだ」

 デイミオンはそう言うと立ちあがり、さっと手を振ってなにごとか小さく呟いた。見た目には何の変化も起きていなかったが、ファニーが二人に説明する。「弱い空気の壁を作って、声が外部に漏れないようにしているんだ」

 兄と妹は顔を見あわせた。


「よし、話をはじめよう。簡潔にと行きたいところだが、残念ながらかなり混みいった内容になる。それと、言うまでもないがここでの話はいっさい、誰にも漏らしてもらっては困る」

「無論、心得ております」ロギオンが緊張した面持ちで言った。


「五公たちは新顔に敏感だからね。これまで登城してこなかった人間がいるとなれば、あらゆる方面から探りが入ると思ってほしい。具体的にどう対処するかはあとで説明するけど」

 ファニーは落ちついた笑みだが、デイミオンはあきれたように「おまえが言うのか……」と言った。


 ともかくも、セラベスの探求の旅は、そのようにして幕を開けたのだった。

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