2-7. このお人にはそれが必要なんだ
「まったく、陛下のおっしゃる通りですよ。このお人ときたら、戦となればさながら鬼神のごとく、剣をふるえば
ヴェスランはしゃあしゃあと追随してから、リアナのほうを見て片眼をつぶってみせた。
「もっと言ってやるといいんですよ。このお人にはそれが必要なんだ。叱ってくれる人がね」
「もちろんよ」
フィルがタマリスを出奔してからのあれこれが思い出され、リアナの怒りが再燃した。「〈ハートレス〉だから、戦時の英雄だからってみんな遠慮してなにも言わないから、あんなふうに突っ走っちゃったんだわ。わたしは違いますからね」
「おお、それは頼もしい」
「……それはともかく」フィルが咳ばらいして話題を変える。
「彼らの研究は、オンブリアの軍事機密だというだけのものじゃなかった。彼らはそれをさらに発展させ、人為的にデーグルモールを作り出すことにも成功していたんだ。どうやってかはわからないが……」
人為的に作り出されたデーグルモール。それは、炎上するケイエで見た、あの兵士のようなものだろうか?
「もし本当なら、それはオンブリアにとっては脅威以上のものとなるでしょうな。竜の力を使うアエディクラの軍が誕生するかもしれないわけだ」
「竜の力を使うアエディクラの軍……」リアナが呟く。
「それが、研究の内容を入手すべきだと思った最初の動機だった」と、フィル。「でも、あとになって、もっと大事なことに気づいたんです。デーグルモールを人為的に生み出すことができるなら、彼らはその生態に精通していることになる。その情報があれば、あるいは……あなたを元に戻す方法がわかるかもしれない」
「フィル、あなた、そんなことを……?」
二人は一瞬、真剣に見つめあった。
ヴェスランはそれをちらっと見て、ワインをすすった。
「察するに、そのマリウス
「ああ。陛下はある種の……病にある。そう理解してくれ」
「それで? 手稿のことはわかりました。それをどうするおつもりで? あなたのことですから、もう手に入れたのでしょうが」
「そうだ。アエディクラの科学者キャンピオンたちがアエンナガルを脱出し、王都に向かう途中で略奪した。手稿はデイミオンのもとに届けた。いまはデイとその協力者たちが手稿を読み解いている最中だろう」
「それで充分ではないとお考えで?」
「いや、それで済めばいいと願っている。だが、すぐに即効性のある治療法が見つかるとは限らない。保険が必要だ……それに、いまのタマリスは陛下にとって安全な場所とは言えない」
「ふむ。そうおっしゃる以上は、どこか当てがあるんですかな?」
「オンブリアの研究者、マリウスの研究は、アエディクラの科学者キャンピオンによって引き継がれた。キャンピオンは死んだ。だがマリウスの関係者が一人、いまニザランにいるんだ。
だから……ニザランに行ってみようと思う」
ヴェスランはあごに手を当てて考える姿勢になった。「ニザラン……ね。ちょっとお待ちなさい」
そして台所を出ていくと、大きな筒状の紙を持ってきて、中央の調理台に置いた。四隅がくるりと丸まっているのを、すり鉢やワインボトルで押さえると、それは地図だった。
「メイボゥの『最新大陸図』。特に山脈地帯については、タマリスの暦局が出しているものより精密と評判でしてね」
「この地図ははじめて見たわ」
「では、陛下にはあとで一枚差し上げましょうね。携帯用の縮小版に、きれいな革の筒もつけて」
「ありがとう、ヴェスラン。助かるわ」
「問題はどのルートを使うか、ですが……」
リアナは地図の上、ヴェスランが指さしたあたりを見た。おおまかにいって、ニザランはタマリスから見てほぼ真西にある。間には、大陸の西をほぼ縦断する巨大なエランド山脈。
「どの程度の安全性が必要ですか? つまり、追っ手の可能性があるかどうか、ということですが?」
「残念ながらあまり悠長に旅をしているわけにはいかないんだ。多少危険でも、最短の日数でたどり着くほうがいい」
「とすると、この真ん中の、サイルーケンの峠を抜けていくのがいいでしょう。ほぼ直線距離ですし足場もいい。北部の町からの巡礼ルートになっているから、宿も整備されていて人目にはつきますが、逆にとればちょっと季節はずれの巡礼者に紛れることもできますし」
「そうだな。どちらにしてもこの時期、あまり選択肢はない。雪に降りこめられたら終わりだ」
「雪山ですからそれなりの装備が必要になりますよ。
「ああ。それに厚手のマント、毛皮の裏打ちがしてある手袋と革のブーツ、雪除けの毛皮のスカーフ、重ね着できる上等の下着。十日分の食料と水、寝袋、背嚢、スノーシューにピッケル、
フィルはすらすらと口にした。その様子から、これまでにも何度も雪山を越えたことがあるのだろうと思わせた。ヴェスランはため息をついた。
「手前どもで準備いたしましょう。……そうですね、巡礼司祭の準備のお手伝いとでも言っておけば名目が立つでしょう」
「実はそれを期待していた」フィルがにやっと笑った。
「城下街で買い物をしてまわるような、目立つ真似はできないからな」
ヴェスランは目玉をぐるっと回して、あきれたようにリアナを見た。「ね、おわかりでしょう、陛下? この男の下で働くっていうのがどういうことか」
リアナはごくひさしぶりに、声をあげて笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます