2-6. 商人ヴェスラン

 ヴェスランは二人を人気のない台所に招いた。屋敷の豪華さと比較すると、小ぢんまりとしてくつろいだ雰囲気の場所だ。火が落とされて間もないようで、かまどの近くは暖かく、スツールを引っ張ってきて座ったリアナはほっとした。ヴェスランがオーブンのなかから保温されていたラム肉を見つけ、ワインとともにふるまった。パンはバターの風味がきいてぱりっと香ばしく、肉とともにほどよく温かくて、美味しかった。肉が食べられたことに、リアナは自分でも驚いた。


「うん、実にいい、火入れの具合も非の打ち所がない」

 ヴェスランは立ったままでパンと肉とを口に入れた。行儀悪く咀嚼しながらオーブンのなかをあさり、ほかにめぼしいものがないか見ている。「マッシュポテトがあればなぁ。あれは冷めると食えたもんじゃないから、しかたがないが。……ラム肉をもっとお召し上がりなさい、陛下。とても栄養があるんですから」


「ありがとう」礼を言って肉の載ったパンを受け取ったリアナは、自分が致命的な失態をおかしたことに気づいた。王冠を頭に乗せて名乗ったも同然だ。


 助けを求めてフィルを見るが、青年は苦笑いして、「いいんですよ」と言った。

「ヴェスランは、おれの隊で昔、補給係をしていました」そう説明する。「補給路が途絶えた涸れ谷で、ともに死ぬ思いをしながら生き延びた仲間です。それでも、いつもどこからか必要なものを持ってくるので、『運び屋』と呼んでいたんですよ」


 リアナはにっこりしてヴェスランに向きなおった。「だからあなたも、冷たい食事が嫌い」

 ヴェスランは微笑んだ。「ご名答」


 そして椅子の向きをフィルのほうに合わせて、言った。

「さあ、聞かせていただきましょうか。このヴェスランになにをお望みなんです? 『救国の英雄』どのは?」

「その前に、おまえがどのくらい事情を知っているのか確認しておきたい」フィルが抜け目なく言った。

「テオとは連絡を取っているな? ケヴァンは? ロックはどうだ?」


「おお、あのドブネズミどもなら、しょっちゅううちに入り浸ってタダ酒をくらってますよ。あいかわらず、食い意地の張った連中でねえ。あなたに酒代を請求したいくらいだ」

「上等だ」フィルは口端をあげた。

「じゃあ、おれがアエディクラに潜入していたことは知っているな? その理由は?」

「哀れにも身分違いの愛に身も心も引き裂かれ、醜聞スキャンダルとびかう王都に耐えかね、傷心のために国を出たとか」

「ヴェス」フィルが冷たい目でにらみ、商人は肩をすくめた。

「まあ、あとは、アエディクラの軍事機密を探るためとか。理由はいろいろ聞きおよんでいるんですよ、でも、あなたは読めない人ですからねぇ」デカンタからワインを注ぎ、続ける。「ただもっとも大きな目的は、ある科学者の手記だと聞いていますよ」

「……手記……?」問いを挟んだリアナに、商人は笑みを向けた。

「そう、手記。たいへん貴重な研究記録で、、マリウス手稿ノート、と呼ばれているようですよ」

「マリウス……〈黄金賢者〉マリウス?」

 ヴェスランがリアナの後を続ける。「あるいは、反逆者マリウス」


「そうだ」フィルがため息をついた。

「反逆者マリウスのノートにはおれにとって――おれたちにとって極めて重要な情報が含まれているとにらんでいたんだ。オンブリアではすでに失われた知識が、アエディクラの軍によって引き継がれ、知見を重ねられていると」

「身の毛もよだつような生体実験を繰りかえしながらね」

「ああ」

「戦時中はどこの国でもあった類のものだ。唾棄すべき所業でも、貴重な研究に違いはない。……戦後のどさくさであちらに渡ったんでしょうかね?」

「それは重要じゃない。内容だ」

「何だったんです、その内容というのは? 噂はいろいろありましたが、なにしろ錯綜していましてね」

「……デーグルモールの研究だ。より正確には、研究は竜の力の源泉を突きとめるためのものだった」


 横で静かに聞いていたリアナは、思わずまじまじとフィルに見入った。彼の出奔の理由がその手記にあったというのも初耳だったし、研究の中身はさらに衝撃的だったからだ。もし本当なら、アエンナガルで彼女たちが見つけた白竜とメドロート公の惨状も、その研究のなかで行われたことのはずだ。


 視線に気づいたフィルがリアナを見た。「国を出る前に話せなくて、すみません」

「そんなこと思ってないくせに」

 思わず恨み言が出る。「いつでも自分一人で決めて、誰にも相談もしないで危険なところに行ってしまうんだわ。後に残された人がどれほど心配するかなんて気にもしないで」


 フィルは虚を突かれたような顔をした。後ろめたく感じるのは自覚があるからなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る