2-5. 城下へ

 街に下りたのはどれくらいぶりになるのだろう。査察と称して隣の男と楽しく街歩きをしたような記憶があるのは、どうやらリアナのほうだけらしい。フィルはいかにも非番の兵士のていで彼女を小突くふりをしながら、さっさと歩を進めていく。


 城下街だから、夜もそれなりに賑やかだ。裏通りに入ると、急に目の前の扉がばんと開いて、大量の笑い声とフィドルの音とともに男女がなだれ出てきてリアナはびくっとした。いかがわしいお店というやつだろうか。


 繁華街を通り過ぎ、フィルは城下街の中心近くの館の前で足をとめた。てっきりすぐにでも街の外に出るものと思っていたリアナは面食らったが、迷いのない足取りで通用口に向かう青年のあとを小走りでついていく。夜も更けているのに、あたりには数人の男たちがたむろしており、門番とおぼしい男の一人は別の男たちと賭けカードをやっている様子だ。門の近くには幌をかけた馬車があり、数名はそこに樽や荷物を運びいれていた。館の外装は美麗で、高位の役人か商人のものだろうとリアナは推測した。そしてこの荷物。やはり商人だろうか?


「ヴェスランに伝えてくれ」フィルが門番に小金を握らせながら言った。「れ谷の鷲獅子グリフォンが水場を探していると」

「あいよ」明らかな暗号文に動じることなく、門番は館へ入ると、しばらくしてから二人を館のなかへ通した。

 こんな時間に起きている商人なんて、まっとうな仕事でないのは間違いなさそうだ。リアナは警戒してあたりを見まわしたが、フィルは安心させるような笑顔を作った。


 豪華に装飾された応接ホールを通り過ぎた。天井が高く、壁には空色のビロードの布が下げられ、タペストリーがあちこちに飾られている。惜しみなく蝋燭が灯された部屋は明るく、ふかふかのクッションがのったやわらかそうな椅子やカウチが並んでいた。低いテーブルの上には、銀製の瓶やグラス、菓子の載ったトレイが置かれている。


 結局、真夜中だというのにほとんど待つことなく、館の主人が現れた。


 室内履きの音をぱたぱたと響かせながら応接間に入ってきたのは、中背のがっしりした男だった。腹回りには貫禄があるが、筋肉質な体格であまり商人らしくは見えない。服装は部屋着というよりは派手な外出着のようで、エメラルドグリーンの派手なジャケットと、腰回りの膨らんだ流行のズボンを身に着けていた。つかつかとフィルに近寄っていくと、二人は前腕をぶつけあって再会の挨拶をした。


「隊長」男は顔をほころばせた。「やさぐれた若獅子が、立派になったものですな。真夜中にコソ泥のように友の家を訪れるとは」


「涸れ谷の野ネズミほどの出世はしていないさ。こそこそと夜に動き回って、どうせ起きているだろうと思っていた」

 悪口の応酬のようだが、二人のあいだにはもっとリラックスした雰囲気があった。


 フィルが彼女を紹介をするよりも先に、男が深々とお辞儀をして名乗った。

「手前はコーリオと申しまして、誠実で正直な取引だけが取り柄のしがない商人でございます。王都で毛皮をあきなっておりまして」

「あなたの名前はヴェスランでは?」

「それは、昔の名前ですよ」男の笑みが深くなった。「まったく、人を不愉快にさせる名人でしてね、このお人は。誰があの泥まみれの時代を思い出したいと言うんです? ねえ?」


 それでリアナにも合点がいった。この男は、かつてフィルが率いていた師団の兵士の一人なのだ。おそらくは、その過酷で絶望的な戦争を生き延びたことで、彼らのあいだには固いきずながあるのだろう。

 適当な偽名でも使うのかと思っていたが、フィルはさしあたってリアナを紹介するつもりはないらしい。また、男もそれを疑問に思っているふうでもなかった。商談相手を安心させるような満面の笑みを浮かべて、こう言った。



「今日は商談中にちょっとしたハプニングが相次いでね、夕食を取りそびれているんですよ。取っておかせていますから、よければ一緒にいかがですか? うちのコックが焼くラム肉はとびきりうまいですよ」

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