2-4. あれはお芝居です

 フィルは落下してきたリアナを抱き下ろすと、すぐに壁際に寄って、霧のなかに二人の身を隠すようにしながら移動をはじめた。兵士らしく見えるよう、きびきびと胸を張って、彼女を急き立てていく。使用人棟の近くの茂みで小姓の服に着替えさせ、目立つ髪を外套のなかにたくし込まれた。どうやら通用門のほうへと向かうらしい。久しぶりの再会だというのにすっかり護衛モードで、「急いで」「頭を低くして」以外の言葉がフィルからかけられることはなかった。


 夜間は大門は閉じられており、通用門も行き来は制限されている。案の定、門番の一人が尋ねてきた。赤ら顔の中年で、好物のビールが腹を膨らませているという体型だった。

「こんな時間になんだ? 今夜は使用人の外出許可は出ていないぞ」


 問いかけられたフィルは、リアナの耳を引っ張った。「外出じゃない。こいつをおん出すのさ」

「あぁ?」

「この小僧、ジョスって言うんだが、なにしろ手癖が悪くてな。今夜も夕食後に厨房にしのびこんで、侍従長のとっておきのレモンケーキを失敬したところをお縄、ってわけさ」

「はっ」もう一人の、若いほうの門番が笑った。「坊主、しくじったな」


 リアナは黙って横を向き、唾を吐いた。声を出すと気がつかれるかもしれないので。反抗的な態度に見えているといいのだが。

「侍従長もお怒りで、そのつら見せるなと仰せなんだ。で、こんな夜に、おれが門外まで送る貧乏くじ」フィルは肩をすくめて見せる。フランクな演技が完全に板についていた。


「おうおう、ツイてないこった」

「ま、夕勤上がりだ、このままにでもしけこむさ。今夜はひいきのの誕生日祝いって聞いたんでね」

「ハッハ。そいつぁいい。おれからもキスを贈っといてくれ」

「あんたのじゃ、半ユスにもならないよ」

 いかにも同僚どうしといった軽口をたたき合うと、門番は親指を背後に向けて「通れ」と示した。リアナが抵抗するふりをみせ、フィルは嫌がる彼女を引きずるようにして門外へ連れ出した。


 ギィ……ときしむ音とともに、通用門が背中で閉まった。

「あんな口実で、よく通用したわね」

 うまく脱出できたのはいいが、一応は自分の居城であった場所の警備としてどうなのか、という思いをこめて、リアナは呟いた。フィルはわずかに口端をあげて笑った。「通用しなくていいんですよ。あれはお芝居です」

「え?」

「門番の一人はすでに買収してあるので。もう一人のほうは、誰がこの夜の当番になるかわからなかったので、そいつをごまかすことができればいいだけです」

 相変わらずのフィルの周到さに、リアナは感心すると言うよりもむしろ呆れてしまい、ぐるりと目を回した。

 ひさしぶりの外気は肌寒い。すでに秋の気温だった。 


  ♢♦♢


 デイミオンが竜舎に駆けつけたとき、エサルは栗毛の青年をくびり殺さんばかりだった。ナイル・カールゼンデンは小柄ではないが、軍人として鍛えている体格でもない。エサルのような筋骨隆々たる大男に殴られでもしたら、城の反対側まで吹っ飛んでいきそうに華奢に見える。しかし若くして領主の座を継ぐことになった青年は、なかなかに肝が据わっていた。


「紛らわしい格好をさせやがって。その侍女をどこに連れていくつもりだ?」

「さて、なにぶん田舎者なので……。女性を連れていく店の一軒も存じておりません」

 エサルの詰問を、ナイルはにっこりと受け流した。「いずれは私の領地に来てもらえないかという淡い期待は持っていますよ。なにしろ、公もご存じでしょうが、領地を継いだばかりで繁殖期シーズンの務めもままなりませんので」


「男がぺらぺらと喋るな。陛下の指輪はどこだ? なぜその女が王の指輪を持っている?」

「なにかのお見間違いでは?」言うと、ナイルは隣のルーイの手を優しく持ちあげて見せた。白くて華奢でリアナそっくりだが、装飾品は着けていない。「……彼女はただの侍女ですよ。同郷の出と聞いて、旧交を温めたく思っているだけです」


 エサルはその言葉に納得せず、侍女ルーイの服や持ち物を調べさせた。なにも出てこないと知ると、盛大に舌打ちし、来たとき同様につむじ風のごとく慌ただしく去っていった。


 エサルを見送ったナイルがそっと息を吐いた。リアナと同じスミレ色の目に、気づかわしげな色が浮かんでいる。「……これで、多少は時間が稼げているといいのですが」

「フィルがついている。十分だろう」デイミオンが口を開いた。「よくやってくれた、礼を言う」


 エサルは領主としても軍人としても有能で、情にあつい正義の男ではあるが、その分というべきか、なにごとも自分の目で確認しなければ気が済まないというところがあった。その性格を利用されたと気づけば怒り狂うだろうが、そのときにはフィルが安全な場所までリアナを連れて行っているはずだ。


「卿とルーイには、もうひと働きしてもらうぞ」

「はい」ルーイがうなずき、ナイルも心得た顔をした。「……今後、陛下はのため、生地である北部領ノーザンでご療養となられる」

「そうだ。エサルが否定しても、姿を見た兵たちに混乱は残る。噂を利用して、もっともらしく体裁を整えられるはずだ」

 

「閣下、これを。お渡ししておきます」ナイルが指輪を差しだした。リアナから彼が受け取り、エサルが来る直前までルーイの指にはめさせていたものだ。デイミオンはそれをすばやく服の隠しにしまった。

「思わぬ形で、役に立ったな」

「ええ」ナイルがうなずいた。「ただ、なぜ陛下があのとき、それを私にお預けになったのか……印章指輪は、陛下の財産を引き出すときに必要になるはずでは?」


「いや、これでいいんだ」デイミオンが言った。「どう使うべきかはわかっている」


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