1-4. ……お出来になるか、デイミオン卿?

(行かなければ……リアナが今、俺を必要としているはずだ)


 起き上がろうとすると、「いけません!」と慌てた声が降ってきた。

妖精罌粟エルフオピウムがまだ効いているのです。急に動かれては……」

 〈癒し手〉の言うことは本当らしく、身体を動かそうとしてもほとんど力が入らない。呪詛の代わりにうめき声が漏れた。


(なぜ、そんな薬を)

 握った拳を振りおろすだけの力もないのが悔しい。リアナはあのとき、デーグルモールかもしれないと不安に怯えながら、それでも彼に打ち明けようと勇気を振り絞っていたというのに、自分がいま側に行かなくてどうするんだ? 


「エンガス卿を呼んでくれ。状況が聞きたい……」

 だが、その言葉が終わらないうちに、当の本人が入ってきた。続き間のほうに待機していたのだろうか。彼は〈癒し手ヒーラー〉の長なので、それ自体はおかしなことではなかった。


 老人は無言で寝台の近くに立つと、若いヒーラーに二、三の指示を与えた。ヒーラーはうなずいて立ちあがり、彼を手伝いはじめる。


「痛みのほうはいかがかな」

「大事ありません」

 〈癒し手〉に助けてもらいようやく上半身だけ起きた状態だったが、デイミオンはそっけなく答えた。エンガスは相変わらず読めない表情をしている。


 ヒーラーが血と膿で汚れた繃帯を脇台に置くと、エンガスは王太子の傷をあらためにかかった。

「死んでもおかしくなかった。肺が大きく傷ついていて……生きているのが不思議なくらいだ」

「だが、生きている」

 デイミオンは強がったが、生皮を剥がれるような痛みにうめいた。ヒーラーが、傷口にあてた布を剝がしたのだ。


「それより、王は? エサル卿の部隊が陛下を救出したのでしょう? 卿から報告がほしいのですが」


「王はご無事だ。

 デイミオンは、その言葉に悪い予感がした。

? どういうことです?」

を衆目にさらすわけにもいかないだろう」エンガスは含みのある言いかたをした。「先だっても警告したはずだ。ほかならぬあなたが、ご存知なかったとは言うまい」

 デイミオンは平静を装いつつも、内心、激しく動揺した――エンガスの言葉がなにを指しているにせよ、なにかとてつもなく恐ろしいことが、彼の知らないところで起こってしまったのだとわかった。


「――リアナの状態は……」

 二つの心臓が激しく鼓動するのを感じた。呼吸が浅く、早くなる。


「もしもご存知なかったのなら、ご覧にならないほうがよい」エンガスが言った。「お互いに酷なことだ」

 『ご覧にならないほうがよい』? なにを馬鹿なことを。リアナのことで、彼が知らなくてよいことなど、見てはならないものなどひとつもない。

 やはり、早く行かなければ。もどかしく焦る気持ちを、かろうじて抑えつける。なぜこんなにも感情の制御に苦労するのだろう? 自分は黒竜のライダーではなかったのか?


「率直に申し上げよう、デイミオン卿。エサル卿は王佐の権限で王をしいするつもりでいる」

「何っ……!?」

 思わず起きあがり、めまいで視界が真っ暗になりかける。ヒーラーが慌てて彼を支えた。


「私がこれをあなたに打ち明けた意味をわかっていただけるかな? ……私自身は、リアナ陛下への処断には反対だ。彼女がであろうとも」


 その冷淡な表現には、彼女に対する思いやりよりも、むしろ政治的配慮のうえでの発言であることが読みとれた。だから、どれほど歯がゆくとも、デイミオンもそれに合わせなければならなかった。エンガスは他者の感情を観察し、利用することに長けた男で、虎視眈々とこの機会を狙ってきたに違いないからだ。


 なんとかこの老人の策略に乗るまいと、薬の残る頭を忙しく動かした。

「王太子である私にも、五公会にも相談なく? 王佐にそんな権限があったとは、驚きですね」

 だが、エンガスの反応を見ると、デイミオンの冷静さはもはや砂上の楼閣なのかもしれなかった。老人は眼鏡の奥から、ほとんど哀れみといってもよい視線を投げてよこした。

「エサル卿の、デーグルモールに対する憎しみを知らぬわけではあるまい。このままでは、陛下はエサル卿に殺される」

「……!!」


 エンガスはじっとデイミオンを観察し、それから、おもむろに告げた。


「リアナ陛下のお命を守る方法はひとつしかない。彼女を退位させ、あなたが王となることだ。……お出来になるか、デイミオン卿?」


 ♢♦♢


 グウィナは、めったに着ない黒いドレスを身につけていた。長衣ルクヴァの女性版といったところで、装飾的な肩あてと赤い縫いとりがいかめしく、甲冑を思わせる服装だ。二人の甥と二人の息子を持つ彼女だが、いまは母親ではなく五公としての威信を発揮しなければならない。苦境にあるデイミオンとリアナの代わりに、彼らの力となるために。


 手術は成功したが、デイミオンは無事回復するのか。そして、リアナについてのエサルの恐るべき告発は事実なのか……。


 だが、それらを確かめる前に、やるべきことがあった。

 彼女は王佐のエサルに許可を得て、みずからの家の責任のもと、アーシャを釈放した。王太子デイミオンの生命を救ったことで、王への弑逆を企んだ罪は問わないとするものだ。前例のない措置にデイミオンが反対するに違いないと身構えたが、甥は落ち着いた様子でそれを許可した。グウィナはそこに、なんらかの密約の存在を感じた。


 アスラン=アルテミス・ニシュクは、養父エンガス卿の領兵たちにつきそわれて、夜が来る前に城を出ていった。グウィナはそれを門から見送った。

 別れる前、二人は短い会話を交わした。


「なぜ、デイミオンを助けたの?」

 グウィナは率直に尋ねた。

 旅装のアーシャは、なぜそんなことを聞くのかという顔をした。「おかしなことをお尋ねになりますこと。あの男が助からないほうがよかったの?」

「いいえ」グウィナは歯を食いしばった。この元巫女姫の言動には、常にいらいらさせられてきたものだ。

「ただ、あなたの意図がわからなかったから、聞いたのよ」


 年若いライダーは、意図、と口のなかで繰り返した。そして、自分でもよくわからない、といったふうに首をひねる。切ったばかりの銀髪が、夕陽を受けて肩の上でふわりと揺れた。

「どうかしら……? 医術書で読んだ方法を試してみたかったからかしら?」

「医術書……」グウィナは全身から力が抜けるようだった。愛だの慈善だのを期待していたわけではないが、それにしても、そんなもののために?


 生家のニシュク家に戻るのかと尋ねると、アーシャは「いいえ」と答えた。

「では、どこへ?」

 少女は、気にくわないことを示すように鼻の頭にしわを寄せた。「どこでもいいわ。わたくしのやることに、口を出す人間がいないところよ」

 そんな、いかにも彼女らしい言葉を残して、アーシャは王城を去った。


 それから長いこと、彼女たちが再会することはなかったし、アーシャがタマリスに戻ったのもかなり後のことだった。しかし、それはまた別の話である。


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