1-5. 軟禁中のリアナ

 食事が運ばれてきた音で、リアナははっと顔をあげた。


 一般兵の制服を着ているが、見たことのない顔の兵士が、食事の乗った台車を押して部屋のなかに入ってくる。季節に合わない部屋の寒さに一瞬ぎょっとした顔をするが、すぐに平常心を取り戻し、不慣れな手つきでリアナに給仕をはじめた。


「デイミオン卿の容態は?」

 兵士はテーブルにカトラリーを並べ、銀食器の覆いを取ってから答えた。「申し訳ございません。存じません。陛下」


 答えは聞く前から分かっていたようなものだった。判で押したようなこの言葉を聞くのは、何度目になるだろう?

 顔に失望を出さないように努める。食事のたびごとに、テーブルクロスで隠れる机の脚部分に、ナイフで刻みを入れている。兵士に気づかれないように膝頭でそっとその部分をこすった。刻みは八つある。八回の食事。彼女が目を覚ましてから、これが三日目の朝だ。


 今はまだ、刻みがなくても日数の経過がわかる。これは、保険のようなものだった。無駄になることを祈るばかりだが、見通しは暗い。

 あの遺跡、アエンナガルでイオと名乗るデーグルモールと文字通りの死闘を繰りひろげたあと、リアナはエサル卿とその領兵たちによって、王都タマリスまで連れ戻された。道中になにがあったかはほとんど覚えていない――なにしろ腹部に剣を刺されて、重傷を負っていたのだ――だが、彼女の取り扱いは王や重傷者というよりもむしろ囚人のようだった。傷の固定という名目で胴と手足をしっかりと縛られていたし、同じく彼らに救出されたナイルやデイミオンとも離され、様子も教えてもらえなかった。


 そっと腹部に手をあててみる。ひきつれたような、盛りあがった箇所があるが、それ以外には目立った傷も痛みもなかった。

  

 食事は以前と変わらず、彼女の好物ばかりだった。たらのミルクスープ。うずらのローストや、仔牛のソテー。色とりどりのソースを添えた蒸し野菜。

 もっとも、いまのリアナには食べられないものばかりだ。


「スープを温め直してまいりましょうか?」兵士が尋ねた。

「いいえ、結構よ」

「あまり食が進んでおられないと、給仕長が案じておりました」

「自室に閉じ込められていれば、食欲がなくなるのは当然じゃない?」リアナは嘆息してみせた。

「せめて、散歩くらい許可してもらえないのかしら? わたしはこの国の王ではないの? 罪人のような扱いは我慢ならないわ」

「ご不便は重々、承知しておりますが……ご寛恕ください。我々には権限がありません」


 ここまでの会話もまた、繰りかえし。最初の数回はいらいらしたものだが、今朝のリアナは冷静だった。

「では、エンガス卿を呼んできて」

 彼女を自室に軟禁しているのは、間違いなく彼の指示だろうとリアナは考えていた。あるいはエサルか。彼らは結託しているので、どちらでも同じことだった。

「エンガス卿は、灰死病の対策のために、タマリスを出ておられまして……」

「彼の竜がこの城にいるのに?」

 疑問形で返すと、兵士がびくりと肩を震わせた。カマはかけてみるものだ。もっとも、ひっかかった兵士は彼がはじめてだったが。

「わたしは竜たちの王なのよ。彼らがどこで何をしているか、わからないとでも思うの?」

「陛下――」

 喉にものが引っかかったような声。「自分は、もう失礼しなくては」


 兵士は行ってしまった。リアナはがっかりしてため息をつく。いたずらに兵士を警戒させただけで、ほとんど何の情報も得られていない。


 食事は手つかずのままだ。気持ちを奮い立たせて、ナイフを動かし、人参を口に運ぶ。柔らかすぎる野菜は、まるで泥を口に入れているようだ。ローストしたウズラは、以前は好物だったが、ここ数日の経験で今ではもう食べられないことがわかっている。仔牛のソテーのほうは見事な赤身で、中心がレアになるよう注意深く火入れされていた。これなら少しは食べられるかもしれない、と期待したが……中途半端な生肉の食感が吐き気を催させるだけで、やはり食べられそうになかった。


 とにかく、やれるだけはやってみたのだ、と自分を慰めるしかない。だが、本当に恐ろしいのは料理が食べられないことではなかった。


 

 


 食事をあきらめて、呼びかけをはじめる。これも、城に戻ってからの日課になっていた。

 一人がけのソファに腰かけ、考え事をしている風を装って、呼吸を整える。鼻から吸って、口から吐く。以前なら、呼吸法などまったく意識しなくても、〈ばい〉に差しさわりを感じたことなどなかった。だが今は、その絆がとても弱くなっていて、もっとも近いはずのデイミオンにさえ、うまく呼びかけることができない。


 あきらめずに、もう一人の相手を試してみる――ナイル・カールゼンデンはメドロートの次の北部領主で、リアナはさらにその後継者だった。アエンナガルに向かう途中の上空で、彼女たちは〈ばい〉によって、メドロートの逝去と領主権の移動を知ったのだった。

 自分のなかから出ている糸が、相手に引っ張られるような、ほかとは間違えようのない〈ばい〉の感覚を、わずかに感じる。


〔ナイル卿?〕

 自分の〈ばい〉が、腹の中に落ちていく感覚がある。しばらく待つと、応答に近いかすかな糸の引っ張りが感じ取れた。〔……か、陛下……〕


 だが、ナイルの応答は、まるで何重もの布で隔てられているかのように、遠くてもどかしい。


〔ナイル卿、声が遠いわ〕

 精一杯強い呼びかけを送ってみる。通常なら、暴れる古竜を制御するときなど、緊急時にしか使わない強さだ。かなりの集中を要求されるので、リアナは目を閉じ、両手で頭を挟みこむようにして強く呼ぶ。


〔いったいどうなってるの? 状況を教えて。ナイル卿!〕

 自分の声の反響が大きすぎ、なかなか返答が聞こえなかった。が、やがて切れ切れにいくつかの声が届く。


〔……デイミオン卿が、けがを……私は城内に……謁見を申請していますが、陛下の……が悪いと。本当なのですか?……〕


〔聞こえないわ!〕リアナは叫ぶ。〔聞こえないの、ナイル!〈ばい〉が……〕


 自分の声が、割れ鐘のように響きわたり、まるで万力で頭を締めつけられているかのように痛む。耐えきれず、リアナは意識と同時に〈ばい〉のつながりを手放した。


 ――

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