1-2. エサル公登城す

 ヒュダリオンと十分に距離を取ってから、次に手伝いの呼び手コーラーをまた呼んで術具の準備をさせた。古竜の力を存分にふるう高位ライダーの多くは、外科的手術を下賤なものとして嫌うが、従軍経験の長いコーラーは手術に使う鋭い短刀やカミソリ、ハサミなどを持っていることが多いのだ。コーラーたちは言われた道具を確実にそろえたものの、まさか大領主の嫡子で高位ライダーであるアーシャが外科手術を行うとは思っておらず、困惑と衝撃と好奇心が入り混じったような表情を浮かべていた。


「そうだ、髪を切ってちょうだい」

「わ……私の髪をでございますか? 姫……」

「何を馬鹿なことを言ってるの? あなたの髪なんか切ってどうするというの?」


 アーシャは軽蔑しきった目でコーラーを見た。「わたくしの髪よ。術式の邪魔になりそうだから。早くしてちょうだい、王太子が失血死してもいいなら話は別だけれど」

 ほら、そのハサミで、と指さされ、コーラーは青い顔で道具を手に取った。巫女姫アーシャと言えば〈御座所〉の大神官も跪いたという。美しく結いあげた銀髪は城の出入りの詩人たちもよく歌の題材にしたものだ。その髪を切れと言われ、切るのはいいが、そのあとでなんらかの処分が下らないかと恐れているのだろう。


 もっとも、そんな下々のものたちの心労を気にかけるアーシャではない。

 生体反応の確認。ヒュダリオンは真っ青になりながら黒竜アーダルに命令を伝えようとしている。彼は緊急時の血液の提供者としても使える。体温と脈拍はこちらの指示どおり。

 あとは、アーダルを通じて内臓の損傷個所が同定できれば――

〔姫。今……〕瞑目したままのヒュダリオンが呼ばわった。〔

 ――成功だ。アーシャはうなずいて、口を開いた。


「それでは、術式を開始します」


  ♢♦♢


 エンガス卿は、侍従が差しだした気つけ水を口に含んだ。よほどの疲労だったのか、むせて吐きだした水が青い長衣ルクヴァにかかった。彼がとどめるよりも先に、グウィナがさっと跪いてハンカチでそれを拭った。


「デイミオンのこともですが、……リアナ陛下もお怪我をなさったのでは?」かがんだまま、グウィナが尋ねた。行政の長の一人である彼女がそれを知らされたとき、王と王太子が同時にケガを負うなどということは国家機密にあたるという名目で、緘口令かんこうれいが敷かれた。


 だが、もっとも高位の治療師であるエンガス卿も、彼より才能があると言われるアーシャ姫もデイミオンの治療にまわっているということは(彼女を呼んできたのはグウィナの独断とはいえ)、リアナの容態はそれほど悪くはないと考えてよいのだろうか?


「陛下は、お怪我をなさっているのではない」

 古い機械がきしむように、エンガスは考え考え言った。「いや、損傷はあった。問題は、だ」

「……え……?」グウィナは顔をあげた。

「お立ちになられよ」エンガスは顔をそむけた。「あなたのような女性の手をわずらわせるのは、本意ではない」


 甥が二人、息子が二人、男児ばかりを育ててきたので、つい同じ感覚で老人の世話を焼いてしまう。グウィナは困惑したまま立ちあがった。彼女は背が高いので、側に立つといくらかエンガス卿を見下ろす形になる。


「陛下のお怪我がないのでしたら、あなたは、すこしお休みにならなくては」

 グウィナは気遣ったが、エンガスの声は固かった。「いや。このまま失礼して、陛下の様子をすこしてみようと思う」


「陛下は、かなり……いるように見えた。だが青竜サフィールは、ヒトの心臓もまだ動いている気配があると伝えてきた。つまり……」

 エンガスはその続きを言うのをためらった。意味がよくわからなかったグウィナは、尋ねようと口を開いた。だが、そこにもう一人の男がやってきた。


「診察の必要はない」


 五公の一人で王佐でもある、南部領主エサル卿だった。「彼女に必要なのは、薬ではなく剣だろう」

「エサル卿。たいへんな任務、ご苦労さまでした」

 赤い長衣ルクヴァにも、短い金髪にも泥はねと汚れがあった。彼がみずからの領兵を率いてアエンナガルに乗りこみ、王と王太子の救出に向かったことをグウィナは聞いていた。


 エサルはグウィナのねぎらいに答えない。ぎらりと熱を持った目でねめつける。

「メドロート卿が殺された。アエンナガルで、人間とデーグルモールたちが、拷問のすえ卿を殺した」


 男の言葉が、稲妻のようにその場を打ち、静まらせた。

「……まさか」グウィナはよろめきかかり、壁に手をついた。「ネッドが、そんな」


 土地に豊穣をもたらすために領地から領地へと移動する白竜公の姿は、もう百年以上も変わらぬオンブリアの豊かさの象徴だった。行方不明と聞いて心配していたが、まだ数日しか経っていない。それが、まさか……。

「信じられません」


「本当だ」エサルは陰鬱に言った。「継承権は甥のナイル卿に移った。北部領主として、自動的に次の五公になる」

「……なんてこと……」かろうじて、それだけを口にした。

 エンガスは、すでに聞かされていたのか、沈痛な面持ちで黙っていた。


「もはや一刻の猶予もならん。アエンナガルから逃走したデーグルモールたちを、一人残らずうち滅ぼすべきだ」

「エサル卿……」

 グウィナはあぜんとして、すぐには返答もできなかった。「いまは、それどころでは……。デイミオンが回復するのを待って、陛下とわれわれ五公とで決めることでしょう」

「あるいは、継承者のヒュダリオン卿とな」エサルが暗くつぶやいた。

「拙速な行動はお慎みになって」エサルの意図が彼女を動揺させることだったにせよ、グウィナも五公の一人で、黒竜の主人だ。デイミオン同様、怒りと恐怖をコントロールする重要性は誰よりも知っている。


 だが、エサルはそうではなかった。目に見えて激昂していて、拳を壁に叩きつける勢いだった。あるいは、これも意図してのものかもしれないが。

「白の竜騎手ライダーたちの長、北の種守たねもりを、卑しい人間と半死者しにぞこないたちが拷問のすえ、殺したのだぞ。あなたの甥にこれほどの重傷を負わせたのも、デーグルモールだろう」

「そうだとしても、この場にいるわれわれだけで決定できるものではありませんわ。リアナ陛下は……」


「そうだった」エサルは剣呑な笑みを浮かべた。「まずは、陛下のを確認せねばな」

「エサル卿。まだと断じられるものではない」エンガスが返す。


「いいや。間違いない。リアナ陛下は、デーグルモールだ。――立って歩く死、忌むべき半死者しにぞこない、われわれの宿敵だ」


 グウィナは今度こそ声を失った。


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