10-3.フローチェイサー

 ようやく入城したはずの場所から、ファニーたちはあわてて出ていくことになった。国一番のお尋ね者といってよい人物を連れて通路を急いでいるのだが、幸か不幸か城内は混乱していて、彼らの脱出を気にかける者はいないようだった。


「飛行船の位置は? 飛竜で近づける? 降下位置で待つほうが確実? 僕走るの遅くない?」

 いそがしい頭のなかをそのまま声に出したような少年に、男のか細い声が答えた。「船は落ちつつあるが、白竜に守られて城のやや西側に降りるだろう。王たちはすでに脱出している……飛竜で追ってくれ」


「申し訳ありません、ファニー様、少々遅いです!」

 セラベスが走りながら律義に答えた。「命令系統の〈ばい〉は混乱しています。エサル公ではなく、黒竜部隊に直接対応願うほうが早いかも」


「デーグルモールの頭領を背負しょって、安全な城から戦場に飛びだすなんて、俺の人生もいよいよ狂気じみてきたな」

 テオはぼやいたが、それでも言葉どおりにダンダリオンを背負って、誰よりも早く出口までの道を走っていく。


  ♢♦♢

 

 二人は炎のなかにいる。


「本当におまえなのか?」

 胸のなかから見あげたデイミオンの瞳は、飴のような金色だった。「ずっと、〈ばい〉が聞こえなかった。継承権がナイムに移って――おまえを失ったと思ったんだ」

「それが原因なの? アーダルの暴走は……」


 リアナは周囲を見まわした。

 火柱があがり、熱のせいで周囲が歪んで見える。デイミオンのそばにいなければ、一瞬で焼け死んでいるだろうほどの高温のはずだ。

 ようやくもどってきた感覚のグリッドのなかでは、アーダルの咆哮にほかの黒竜たちが追随して、その反響がさらにライダーたちを混乱させているようだった。


 ニザランで〈竜の心臓〉を取りだすというときから、リアナがもっとも心配していたことが起こってしまった。デイミオンの本質は群れのリーダーアルファメイルそのものだ。自信と力に満ちて庇護的で、自分に襲いかかる苦難には強いが、愛する者をうしなうことには耐えられない。


「お願い、アーダルを止めて。このままでは、あなたは〈老竜山〉を焼き尽くしてしまう。人間の軍隊ごと……」

「できないんだ」

 デイミオンが苦しげに首を振った。「制御できない。アーダル自身が我を失っているんだと思う。〈ばい〉に反応しないんだ」


「反応しない……」

 アエンナガルで見た、ナイルとシーリアの姿を思い出した。白竜シーリアの暴走は、主人であるメドロートをうしなった彼女と、後継者ナイルの怒りと絶望が相互に増幅しあって起きているように見えた。今回も、起きたこととしては似ているように思える。

(でも、それなら、もう暴走は止まっているはず。わたしは生きているんだから……)


「どうしたら……」

 二人はアーダルを見上げた。まるで、咆哮しながら動く城のようだ。黒い影のなかで、目だけが月のようにらんらんと輝いている。


 炎が近づきつつあった。水たまりが干上がっていくようにだんだんと、炎の壁が近づきつつある。が、熱よりも恐ろしいのは先に空気が尽きることだ。おそらくいま、デイミオンはほとんどの力を酸素を確保することに使っているのだろう。しかし、酸素を生めば炎の力はいっそう強まる悪循環だ。

「炎を遮断できないか?」

「白竜の力よ。酸素は止められない――」ケイエの火事を思い出し、リアナはいそいで首をふった。「水がある!」


〔レーデルル!〕

〔来て、わたしとアーダルを助けて!〕


 竜を呼び、じりじりしながら待った。まもなく白く優美な翼が上空にあらわれた。驚いたことに、背に人影がある。

「デイミオン!」

 白竜の上からフィルが呼ばわった。軽い指笛の音に、竜がするりと旋回する。古竜は、たとえ〈ハートレス〉でも信頼関係に応じてくれる場合もあるのだろうか? あるいは、ごく短い期間でもライダーとして共に過ごした時間のおかげなのだろうか。

「フィル!」デイミオンも応えた。上空で、レーデルルの上に立つフィルバートがそこにいた。

 炎の勢いが弱まった。デイミオンとフィルバートは目だけでタイミングを推しはかる。


「飛びうつれ!」

 ふわりと腰が浮いたかと思うと、デイミオンが自分を持ちあげていた。「デイ、だめ――」レーデルルはもう目前に迫っている。

「掴まって!」フィルの腕にとらえられ、振り向くともう竜の上だった。風で髪が巻きあげられ、地面がぐんと遠のく。

 炎の勢いがいっきに増した。ゴオオッとうなり、デイミオンの姿がかき消えた。

「デイミオン!」叫ぶと、煙を吸った肺がむせて涙がでた。

「やめて、こんな別れは――」


「もう一回……」だがもちろん、フィルはあきらめていなかった。「もっと炎を弱めて! もう一度降りる、次がラストチャンスだ!」

 その言葉に力づけられ、〈竜の心臓〉にようやく熱が戻ったのを感じた。水。地下深くで生き物のように脈動するもの。流れと熱を、フローチェイサーの思うがままに……

「レーデルル!」

 名前を呼んだのが爆発点になった。ハンドルを回すように、やすやすと、一気に水柱が噴きあがる。燃えたつ地面の下によくもこれほどの水が、と思うほどの量だった。水圧を引き受けてひっくり返りそうになるのを、フィルがあわてて腕で支える。

 それほどの水量でも、間にあわない。炎の勢いが強すぎるのだ。破裂音がますます激しくなった。


「デイミオン!」悲痛な声で叫んだのは、自分ではなく、フィルだった。


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