6-10.〈王の器〉

「先人たちは〈王の器〉を求めていた」


「王たるにふさわしい人間ということ? 弑逆をたくらんだあなたが?」リアナは皮肉っぽく聞き返した。


「そうではない。文字通りの意味なのだ、娘よ、よい例を見せよう」

 マリウスはそう言うと椅子から立ちあがり、二人を手招きして数段上がったところにあるスペースへ向かった。背の低いキャビネットが並べられたその一角には本は置かれておらず、その代わりに標本がいくつかと、虫眼鏡、なにかを量る道具のようなものが並べられている。「これがなにかわかるかね?」


 リアナはしげしげと眺めた。高価なガラス製の容器に入っている。「えーと、糸くず? 乾燥に失敗した唐辛子?」


「おまえはあまり想像力が豊かなほうではなかったからな」マリウスがやんわりと不正解をほのめかした。フィルに向かって「正解は?」と問う。

冬虫夏草属コルディセプスのどれか」フィルがあっさりと答えた。

「そうだ」


 王はリアナの手の中にあった容器を横からつまんだ。

「これは、まあ私流の皮肉というものだ。ご存知のように、冬虫夏草属というのは、決まった昆虫を宿主にする寄生生物で、たとえばこの種類だと、宿主は熱帯の梢に生息するアリだ。この胞子がアリの外骨格を貫くと、アリはけいれんを起こして木から落ちてしまう。落ちたアリはゾンビとなってあてどもなくさまよい、宿主の菌が繁殖するのにもっとも適した場所にとどまって死ぬ。アリが死ぬと、長く細い柄を首から生やして、もっとゾンビをやすために胞子を飛ばす」


 ご存知ではなかったわよ、とリアナは思ったが、ひとまず黙って謹聴した。この壮年の男性が自分の養父イニかと言われるとどうにも信じきれない部分もあるが、少なくとも話し方はそっくりだし、そしておそらく、質問を挟むと話がとても長くなるのだ。


「さて、このキノコの特性から、なにか導きだせることはあるかね?」

 生徒に問いかける教師のようなそぶりをみせる王に、フィルが腕組みをしたまま言った。

「このキノコの例で言えばあなたがアリ、そして〈先住民エルフ〉はキノコ。〈王の器〉は一種の寄生関係における宿主のような意味だろう」

 まったく思い至らなかったリアナがまじまじとフィルを見あげると、フィルは肩をすくめた。「この人はただ、あなたに感嘆されたいだけなんですよ」


「おまえは本当に、私の楽しみを裁断することにけているよ、〈竜殺しスレイヤー〉」

「話を長くしたくないだけだ。あなたは陛下を疲れさせている」


「知ってたの?」自分が馬鹿みたいに思えて、リアナは眉尻を下げた。フィルが苦笑する。

「〈鉄の王〉はたしかにかつてのマリウス卿ですが、イニとは人物像が違います。それに、いま目の前にいる人物とも違う……俺が知るマリウス卿じゃない。年齢も、いかに竜族といえど見た目が若すぎる。それはイーゼンテルレの宮廷で会ったときから疑問でした。仮説はいくつかあって、その汚いキノコは決定打になっただけです」


「じゃあ、つまり、あなたはイニじゃないってこと?」リアナは王に向かいなおった。

 王はうなずいた。「おまえたちが考える形での、完全な同一の人間ではない」

「じゃ、わたしは歩くキノコと話してるってわけ? 死にそうになりながら雪山を横断してきて?」

「おまえのユーモアのセンスはお寒いかぎりだな。嘆かわしいことだ」養父と呼べるかどうかわからなくなった男は、表情を動かすことなくそう述べた。

 キノコにおまえ呼ばわりされたくはないわ、とリアナは思った。


 扉が開き、かちゃかちゃと陶器の触れあう音がした。フィルがさっと扉のほうへ向かう。「夕食はここで?」

「まだ正式な晩餐ができるほど、おまえの王は回復していないよ。ここで軽食を済ませておくのがよかろう」

 女官が運んできた軽食を、フィルは疑わしげな目つきで観察した。

「妖精の土地で出された食事に手をつけると、元の国へ戻れなくなる。そう言われるわけがわかりましたよ。スープのなかのキノコに寄生されるかもしれないんじゃあね」

「〈先住民エルフ〉といえど火を通せば死ぬ。彼らは脆い生き物だよ」

 王は段を下りて食事を受けとった。「来なさい」


 リアナはフィルの背中をたたいてやった。

「大丈夫よ、すでにもうこれ以上悪くなりようがないほど悪いんだから。わたしは腹をくくったわ」


 フィルは嘆息し、腕をだしてリアナを先導した。



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