3-5. セラベス・セラフィンメアの憂うつな朝


 その朝、オンブリアの貴族女性であるベスの機嫌は最悪だった。


 本名はセラベス・セラフィンメア・テキエリスという。東部に広大な領地を持つ大領主の跡取り娘だが、一年の半分ほどをここ、王都タマリスで生活している。

 夜中まで読書をしていることの多い彼女の生活は本を中心に回っており、起床はほぼ昼、社交の場には一切出ることなく、希少な本を求めてタマリス中をたずね歩くのが日課。王都に最近建設されたばかりの学舎にもさっそく籍を置いていて、新たな知的刺激を得ている。


 その日も気持ちよく睡眠を取っていたところを、兄に命じられた侍女に無理やりたたき起こされたことが、彼女の不機嫌の原因だった。


 「いいお天気なんですから、お嬢さま」

 侍女が部屋中のカーテンを開けて回った。きらきらしい金髪に太陽光が当たってまぶしい。ベスは豊富な語彙を活用して彩り豊かに兄(と侍女)を罵ったが、そうはいっても嫁き遅れの娘という引け目もあり、しぶしぶと床を出た。


「竜祖はいったいどういうお考えで、髪の毛を金色にしようなんて思い立ったのかしら」

 頭からネットを払いのけながら、ぶつぶつと言う。「もう少し実用という点を重んじるべきじゃないかと思うのよね」


「デイドレスを持ってまいりますから、その間にお顔を洗っておいてくださいね。そのあとはちゃんと拭いて、ハトムギ水をおつけになってくださいね」

「世間の人がどうして毎朝顔を洗うのか、まったくわからないわ。毎朝洗ったからってきれいになるわけじゃなし、日に日に老けていく一方だというのに」

 厭世的に呟くが、侍女はすでに出て行っている。


 歪みのない高価な一枚鏡も、全身を映すのが自分ではかわいそうだわ、と毎朝思う。そして、そんな自虐的な自分に毎朝嫌気がさす。東部生まれのため髪も目も黒で全体的に浅黒く、大柄で骨ばっており、もし男に生まれていたら名高い黒竜大公そっくりになっていただろう(ちなみに、デイミオンも東部生まれだ)。色素の薄いことが多いタマリスの竜族のなかでは、浅黒い肌や髪は多産を連想させるので好まれるが、女性らしい柔和さに欠ける印象に拍車をかけている。そのうえ彼女は希少なライダーでもあった。もっとも、読書以外に取り立てて興味のない彼女にとって、宝の持ち腐れとはまさにこのことを言うだろう。男性に生まれてさえいれば。


 あるいは、あの侍女のような容姿に生まれていれば。セラベスはそう思ったが、実際に頭に浮かんだのは、竜王リアナ陛下の姿だった。侍女よりも色の濃いミルクティー色の巻き毛。いつまでも眺めていたくなるような、大きなスミレ色の瞳。美形という意味では、斎姫のアーシャのほうが勝るが、健康的で自然な美しさがベスは好きだ。ほっそりと華奢で色白で、でも笑うとあどけなさもあって……。

 男性が好きになる女性とは、ああいうひとのことを言うのだ。実際、デイミオン卿だって……

 

 そう、先の繁殖期シーズンは、相手のデイミオン卿が途中で通ってこなくなるというアクシデントが起こった。シーズン中に相手の男性から失望されることは珍しくないが、デイミオンは信義に厚くシーズンの務めにも熱心と評判だったのに。しかも、よりによってその理由というのが、陛下との恋愛関係というから、まことに人の世はわからない。事実は小説より奇なりの言葉を、セラベスは噛みしめることになった。

 もっとも、失望しているのは当主である兄ロギオンだけで、セラベスのほうは思いがけず自由な時間が増えて喜ばしい限りだった。もともと、好きでやっている務めではないのだ。ほかの多くの領主貴族たちがそうであるように。

 


 朝食に下りていくと、またもその話だった。すでにほかの男性貴族からシーズンの申し込みが数件、あっているという。セラベスは釣り書きも見ずに断った。妹と違い、細身で小柄、銀髪の兄は、神経質なまでに整った顔に懸念をたたえて切り出した。

「だが、そうは言うけどな、セララ……」

「その呼び名はやめてと言ったでしょう!」

 兄の言いかけるのをさえぎって、ベスは金切り声をあげた。それでなくても、セラベス・セラフィンメアという名前は非常な佳人を連想させる。それに加えてセララなどというあだ名では、まるで自分が深窓のご令嬢のようではないか。いや、まあ、深窓のご令嬢であること自体は否定しないが、メレンゲでできたようなふわふわした華奢な美少女を連想させるようなあだ名は絶対に嫌だ。


「せめて、ベスと呼んでちょうだい」

 威厳を保つべく姿勢を伸ばして言うが、兄はため息をついただけだった。


「……セラベス卿」急にあらたまって呼びかける。

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