第一幕
序章 二人の囚人 ①
星を
竜舎から必死に走ってきたために、整えられた赤毛がなかば乱れ、彼女のあとを追うようになびく。ずらりと並んだ使用人たちは、糊のきいたお仕着せ姿で、目の前を飛ぶように通り過ぎる彼女にむかって、波のようにおじぎをしていく。しかし、グウィナ卿にはそれを気にしている余裕はまったくなかった。
彼女の姿同様に優美なパンプスは、その目の色に合わせて夫があつらえさせたものだったが、もちろん全力疾走するようにはできていない。途中でなんどもつっかかり、領主貴族らしからぬ呪詛をつぶやき、かまわずに走りつづける。
「お願い、お願い、お願い……」
なにに対してかはわからないが、知らない間に口から言葉が漏れていた。
最後の角を曲がると、扉近くに廷臣の一団が群がっている。グウィナは息を切らせながら駆けよった。
「グウィナ卿」
力強い腕が両肩をつかみ、彼女を落ち着かせる。「……お気をたしかに」
グウィナはなにか答えたかったが、息をはずませることしかできない。荒く上下する肩に置かれた手のひらの重みがありがたかった。
ようやく息を整えると、グウィナは薄青色の目で男を見上げた。
「ハダルク卿……甥の……デイミオン卿の容態は……」
しゃんとしなくては、と思うが、身体が震えて、まともに立っていられない。デイミオンの年長の副官ハダルクは、彼女に比べれば格段に冷静だった。
「夕刻の鐘の直前から、〈
「ああ、早く……」
誰にとも言うことなく、グウィナは呟く。外遊に出た竜王リアナを追って、人間の国家イーゼンテルレに向かったはずのデイミオンが、瀕死の状態で黒竜アーダルに乗せられて戻ったという連絡が来たのは午後の執務中だった。それから取るものも取りあえず飛竜を飛ばし、今しがた
やきもきしながら、永遠かとも思える時間を廊下で待っていると、ようやく目の前の扉が開いた。〈
「ご苦労さまでした。報告を」声を整えて、そう命令する。
高位にあると思われる年長の〈
「続けて」
「複数の臓器に、大きな損傷がいくつもありますが、もっとも厳しいのは肺の損傷です。肋骨が折れて肺に刺さっており、大量に失血しています」〈
「で、どのような治療を?」
「失った血を〈
「それは――」腹の底から、凍えるような冷えを感じる。
「このようなことを口にするのは残念ですが、どんなに腕のいい〈
「ああ――」視野が暗く、狭くなり、治療師の首元から下がった大きな紋章つきペンダントしか見えない。
「王太子に付き添う方はおられますか?」〈
「炉床にイラクサの茶を置いておきました――目が覚めたら飲ませてさしあげて――まずないと思いますが――ご領地の後継者とご家族に連絡を――」
頭の中でわんわんと響き、なにを言っているのか、もう聞き取れない。
(どうしよう、どうすれば、この子を助けられるの!?)
気がつくと、グウィナはまた走りだしていた。
「グウィナ卿!!」誰かの声が追ってくる。きっとハダルクだろう。彼のもとに駆け戻れば、きっと抱きしめて落ち着かせてくれるに違いない。そうしたいと強く望む気持ちもどこかにあったが、デイミオンの身を案ずる気持ちはそれにはるかに勝った。中庭に飛び降りると、ぼきりとなにかが折れる音がした。パンプスの高いヒールが、ついに酷使に耐えかねたらしい。グウィナは構わずに脱ぎ捨てて裸足で走った。じゃまなドレスの裾を乱暴にからげ、幅広の石段を駆けおり、練兵場のとなりも通り過ぎて、目指す場所へ走っていく。
その塔は灰色の石灰岩でできていて、物見櫓をのぞけば城でもっとも高さがあったが、使用目的のためか誰も手入れを重視しないせいで、外観の汚れが目立っていた。アーチの先に、松明をともした一角があり、その両脇を囲むように兵士が二人立っている。グウィナの姿に、さっと気をつけの姿勢を取った。
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