もうちょっとおまけ

待ち合わせがしたい

 

 カーネリアンは、見かけだけならば、どこにでも居そうな、ごく平凡な男だ。

 だが実際は、騎士志望の若者のみならず、国中の羨望を集めている王国騎士、その一員である。


 下級貴族であるラドシェンナ家の養子になった後に、名門のレユシット家へと婿入りしたという、比類無き出世を果たした男でもある。

 彼は単純に騎士としての実力だけではなく、鋭利な知性も兼ね備えていた。

 その生来の明敏さは、仕事の上でも非常に役に立った。


 しかし頭の切れる彼であっても、簡単にはいかない問題がある。



 リナリアとカーネリアンが結婚して、まだ一月と経たない頃――――

 新婚の夫には、ある願望があった。




 カーネリアンの妻であるリナリアは、神の遣いと見紛う、絶世の美女だ。

 道行けば誰もが振り返る、瞬き一つで恋に落としてしまう程の、美貌の持ち主である。


 彼女は自己肯定が異様に低いので、夫婦間では些細な誤解が起こる事もしばしばあった。

 いっそ神々しい高貴な外見とは反対に、リナリアの内面は、寂しがりやで傷付きやすく、繊細な部分もあった。


 カーネリアンは、リナリアと結ばれるずっと前から、彼女の事が好きだ。これまで並べ立てた全ての事よりも、何より彼にとっての一番の幸運は、最愛の妻であるリナリアと出会えた事だろう。

 それは間違いない。

 しかし、片想いの期間が長かったので、彼は未だに戸惑う事が多い。


 有り体に言えば、カーネリアンは、恋愛下手だった。


 妻に関する事になると、途端に頭が働かなくなるのである。












 ある晴れた日のレユシット邸に、朗らかな笑い声が響き渡った。


「あっはっ、ははは! は、ふ、くっ、駄目だ、お腹が痛いっ、」


 少し実家に立ち寄るだけのつもりが、何者かに腕を捕まれ物陰へと引き摺られていった笑い声の主……オーキッドである。

 彼は、「何か問題があれば、彼に相談しておけば良い」と、すっかり相談係としてお馴染みになってしまっている。


 彼を捕獲した何者か――――カーネリアンは、憮然とした様子で、オーキッドの笑いが収まるのを待っていた。


「……いや、笑い過ぎじゃないですか?」


 ひいひい、とオーキッドの息がようやく落ち着いた頃、カーネリアンが文句を口にする。


「俺は真面目に言っているんですが」


「君からそんな相談をされるなんてね……初めて会った頃の敵意が嘘のようだよ……」


「話聞いてます?」


「惚気なら聞いてた」


 カーネリアンの相談とは、「リナリアとまともなデートをしたことが無い、どうすれば良いか」といった内容だった。

 オーキッドからすれば、「いや、すれば良いじゃん」という話なのである。


 カーネリアンとリナリアの交際期間は、そのまま貴族としての婚約期間だった。

 彼はレユシット家の一員になるための準備で忙しかったので、所謂庶民的な、普通の恋人のお付き合いをした事が無いのだ。


 手を繋いで街を歩いたり、いつ次の段階へ進もうかと悶々としたり、次に会える約束を楽しみにしたり……


 オーキッドが笑ったのは、何も彼が、カーネリアンの話を軽んじたからでは無い。


 騎士の腕力を無駄に発揮して、オーキッドを引っ張っていったかと思えば、「待ち合わせって、どうやるんですか……」と教えを乞う、カーネリアンのその態度が、あまりにも普段とは違っていたからだ。


 人あたりの良い外面を除けば、いつもは冷静沈着なカーネリアンである。

 その彼に似合わず、視線をうろうろと彷徨わせ、何だか恥ずかしげに、まるで乙女なような事を言う様が、オーキッドの笑いを誘ってしまう。


 てっきり、「リナリアさんにおねだりされたのかな?」と思い訊ねると、待ち合わせて出かけたいというのは彼自身の願望だというのだから、可愛いところもあるじゃないか、と笑いが止まらない。


「護衛とかもいるし、貴族的にはどうなんですかね」

「リナリアはこういうの嫌いだと思います?」

「本人に聞いたら引かれるかもしれない……」

 と、カーネリアンは思春期の少年のように後込みしているので、「君達新婚だよね?」とオーキッドが確認してしまった程である。


 いつもはオーキッドの目にも余裕さえ感じさせる、カーネリアンの態度は、どうやら新婚の今に限っては、張りぼてであるようだった。

 浮かれてそわそわとしている事を、リナリアの前では、結構必死で取り繕っているらしい。


 思い出したようにまた、オーキッドが吹き出す。彼があんまり笑うので、カーネリアンも丁寧な物言いは捨てて抗議した。


「仕方無いだろ、リナリアには格好良いって思われたいんだ」


「無用な心配だと思うけどなぁ……」


「あんた慣れてるんだろう、女性の扱いとか……俺は貴族になって日が浅いんだ、下手な事してリナリアに恥をかかせる訳にはいかないんだよ」


 プライドをかなぐり捨てて相談に来ているので、カーネリアンももう歯に衣着せぬ言い様である。


「リナリアは綺麗だ。俺は未だに、彼女の隣を歩く時、酷く緊張する……」


 少し声を落とした言葉にオーキッドは、彼にも彼なりの劣等感があるのだろうと察した。

 確かに並みの男では、あの美貌に並び立とうとは思えないだろう。


「……いつもいつも、俺が入れ知恵するのもどうかとは思うけど……まあ、いいか。リナリアさんにも言われているし」


「リナリアに? ……何を言われたんです」


 カーネリアンは冷静になって聞き返す。


「君にだけ教えたら不公平だろう? リナリアさんに聞いてみなよ。……というか何で皆、俺を間に挟むんだ? 兄さんはいつも通りとして……君もリナリアさんも。直接話せば早いのに」


「聞けないからここにいるんですけど?」


「そう突っ掛からないで」


 まあまあ、と、オーキッドは両手をあげてカーネリアンの気迫を制する。

 それからリナリアに言われた事を頭に思い浮かべ、からかうような気持ちになりながら、それを顔には出さずに、真面目ぶった声を出した。


「カーネリアン君。俺は基本的に、リナリアさんの味方なんだ。可愛い姪だからね」


「はあ」


「良いかい、君は俺の言う通りにするんだ。リナリアさんを喜ばせるために、取って置きの秘策を教えてあげよう……。まずはリナリアさんの手を取り、『今日も可愛いね』と誉めます。彼女が真っ赤になって、なっ、とか、えっ、とか言って狼狽えている隙に、お姫様抱っこをします」


「ふざけてるんですか?」


「あっ流石にバレ、いや! ふざけてなんかいないさ! その方が面白……じゃなくて」


 何やらもごもごと言う。


「リナリアさんはね、遠慮がちで言えないだけで、そういう物語のお姫様みたいな扱いに憧れているんだよ。……それで、そうしたら、君の要望通り、『明日、王都の菓子店〈姫金魚草〉で"待ち合わせ"しよう』とお願いして、デートにこぎ着ければ良い。君と合流するまでは彼女にこっそり護衛をつけてね」


「やけに具体的ですね……リナリアに聞いたという事に関係が?」


 カーネリアンの問いに対して、オーキッドはにこりとしたまま黙った。『沈黙は肯定』だというように。


「……はあ。分かりました、助言ありがとうございます……取り敢えず全部やってみます」


 カーネリアンの普段の言動と照らし合わせると、一笑に付すような話だが、彼は極度の恋愛下手であるので、目の前の男の張り付いた笑みを鵜呑みにした。



 オーキッドは、悪意から出鱈目な話を吹き込んだ訳では無い。

 彼の珍しい態度を面白く思っているのも事実ではある。だが、多少カーネリアンの様子がおかしくても、リナリアなら受け入れてくれるだろうと、本心から思っている。


 本当の目的は、菓子店〈姫金魚草〉だった。




 ※




 リナリアが語ってくれた大切な思い出である。

 彼女は昔、カーネリアンが王都へ旅行へ行った際に、自分にも土産を買ってきてくれた事が、嬉しかったのだという。

 そんな些細な事を、ずっと大事にしているのだと、オーキッドに教えてくれた。


 オーキッドはフリージアとも親しく話した経験があって、偶然その土産の中身について知っていたので、リナリアにこっそりと教えてあげた。

「実はリナリアさんの分のお土産は、他の人と少し違ったみたいだよ」と。


 当時の彼らはまだ子供だったので、土産は安価な焼き菓子だった。

 フリージアや、他の子供が貰ったのは、シンプルな味付けのクッキーである。


 ところがリナリアに土産の中身を聞いてみると、よく見ると砂糖がまぶしてある、少し豪華なクッキーだったという。

 一見分かりにくいが、他の子供が貰ったものよりも、やや値が張る菓子だったのだ。


 恐らく、他と違う「特別扱い」に気付かれた時のために、誤魔化し易いよう、見た目には然程違いが無いものを選んだのだろう。

 カーネリアンは当時からそういう子供だった。

 だが幼さなりに、好きな子に少し良いものをあげたいという意識が働いたのだ。


 以前聞いたフリージアの話と、リナリアの話だけで、容易に事情を把握したオーキッドが、それについて話した時、リナリアは頬を紅色に染めて嬉しそうに笑った。


 王都のレユシット邸に住むようになって、リナリアは思い出の菓子がどこで買えるのか知りたくなり、オーキッドへ訊ねた。調べるのにそれほど苦労はせずに、店は特定出来た。


 リナリアは変に遠慮がちで、カーネリアン本人には、当時の王都土産について聞かなかった。それに彼女は嘘が下手なので、頭の良いカーネリアンに聞けば、土産の秘密に気付いた事を悟られてしまうと考えたのだ。

 秘密は秘密のままで、あの日の思い出として取って置きたいという、繊細な乙女心なのである。




 ※


 ふざけた態度に紛れて然り気無く、例の菓子店を勧める事に成功したオーキッドは、これで双方良いことづくめだろう、と一息ついた。


 後日カーネリアンに、成果はどうだったと、野暮な事を聞いてみると、少し意外な答えが返ってきた。


「泣いて喜ばれました」


「泣っ!? え、そんなに!?」


 予想外の成果である。


「お姫様抱っことかが相当嬉しかったみたいで……泣かれた以外は、概ねオーキッドさんの言った通りの反応で」


「あ、そっち?」


「そっち、とは?」


「いや何でも無いこっちの話」


 菓子店も無事行けたようだが、どうやら適当に言ったロマンス小説のような対応が好評だったらしい。


「待ち合わせも新鮮だって、リナリアも、可愛くて、その……」


「わかった、わかったよカーネリアン君。今頭が回って無いのはわかった、全部報告しなくて良いからね、顔見れば全部わかったから」


 藪をつついて惚気を聞かされ、何だ、気を回す事なんて無かったんじゃないか、と草臥れるオーキッドである。



 カーネリアンの相手を終えて幾らもしないうちに、


「オーキッドさん! この間デートした時のカーネリアンが格好良くて格好良くて格好良かったんですどうしよう!」


 と、大変はしゃいだ様子のリナリアが報告に来る事を、彼はまだ知らない。








〈終わり〉

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