ある貴族の話

 

 ある若い貴族は心の内で呟いた。


(ああ、面白くない)


 彼の視線の先には、紅い団服を纏う王国騎士の一人が、壁際に佇んでいる。

 何の変哲も無い、そこらで見かける地味な茶色の髪。生来のものであろう、緩い癖がついた髪は、特段珍しいものでは無い。

 遠目では瞳の色まではよく見えないが、顔立ちは普通だ。

 騎士服を脱いでしまえば、目を引く特徴は無くなってしまうだろう。

 視線の先の騎士は、にこりともせず夜会の様子を観察しながら、警備にあたっている。


(カーネリアンといったか。ラドシェンナ家だと? 吹けば飛ぶような下級貴族の分際で。それも養子という話じゃないか。元はただの平民が、王国騎士というだけで分不相応だというのに)


 内心で騎士を蔑みながら、男は歯噛みした。


(あんな男を娘の婿に迎えるなど、レユシット家は何を考えているんだ)



 ※



 レユシット家の当主は、長らく未婚だった。いや、正確には今も、結婚はしていない。

 当主であるグラジオラス・レユシットは、壮年期を半ば過ぎても美貌に衰えは無かった。貴族の家の事情が無かったとしても、彼の伴侶に収まりたい立候補者は後をたたない。


 レユシットの家名の影響力は計り知れない。そのため、当主の妻に収まろうとする者や、娘を嫁がせようとする貴族は多かった。


 男の父親も例にもれず、レユシットの名を欲しがった。嫁ぎ遅れのビオラ・レユシットは狙い目だと思っていたらしいが、(まだ若い男本人からすれば冗談では無かった、)どうも公表していない相手がいるのか、理由ははっきりしないが、話が全く通らないという。


 父親は息子を利用する事を諦め、「うちには男しかいないから、親族の女をレユシット家に嫁がせる」と言い、若く見目の良い娘を選りすぐり、レユシットの当主へそれとなく妻にと勧めていた。


 そう、こちらにも予定というものがあるのだ。

 それを急に、レユシットの当主が実の娘だという令嬢を伴い、夜会に現れたと聞いた時には、寝耳に水で、全ての計画が狂ってしまった。

 娘を溺愛する当主は、跡継ぎに関しても問題は無く、妻を迎えるつもりも無いと、暗に釘をさしていった。


 どこの卑しい血が混じっているとも知れない庶子を連れてきて、何が娘だ。

 男は、難癖をつけるような気持ちで、レユシット家の令嬢が参加する夜会を調べた。そうして、どんな高貴な娘か見物だな、と皮肉な笑みを浮かべながら、彼女の姿を見に行ったのだ。



 先日の夜会の噂を、聞いてはいた。

 天使の生まれ変わりだとか、女神のようだとか、絵画から抜け出してきた芸術品だとか。

 噂に尾ひれがついた話に過ぎないと思っていた。


 レユシット家は、情報通のボーダイス家と懇意らしいという話も以前からあった。好印象を持たせるために、大袈裟に噂を操作したのだろうと思っていた。


(忌々しい。美貌が何だというのだ。レユシット家がどれほど凄かろうと、その内情は知れたもの。どうせその地位も、見てくれの良さだけで、美しい体を使った汚らわしい方法で、権力者を誘惑して代々繋いできたのではないか?)


 男はそれなりに高貴な血筋だった。プライドが高く、何でも一番でないと気が済まない質だった。何かと話題にのぼるレユシット家の事は、嫉妬と、認めたくない羨望から、ありもしない妄想で軽蔑するようになっていた。

 その在り方は、どちらかというと小物じみていて、彼の思う高貴なるものの考え方とは言えなかったが、心の内を除き見て、歪んだプライドを指摘する事が出来る者は存在しなかった。

 男は、少しでもレユシット家に汚点を見付けて、他人の価値を下げる事で、自分こそが至高の存在だと酔いしれたかった。


 しかし現実は、男を返り討ちにした。


 血筋は疑いようも無い。確かに令嬢は、父親によく似ていた。男女の性差や年齢という隔たりがあっても、思わず、生き写しだと言ってしまいそうだった。


 だがそんな事はどうでも良かった。

 卑しい血? もはやそれは問題では無い。


 リナリア・レユシットは美しかった。


 一目で、何も言えなくなってしまうほどに。



 幼い頃に、行儀悪く草の庭を駆け回った事がある。

 足が縺れて転んでしまい、草の上に寝転んだ。

 その時見上げた空は、輝く貴重な青い宝石を、砕いて絵の具にして、贅沢にぬりたくったみたいに、眩しいほどの青だった。


 己の中の、一番透き通った記憶が過る。

 リナリア・レユシットの瞳は、思い出の青を塗り替える美しさだった。


(宝石を砕いた空みたいだ)


 男は呆けたまま、青空の瞳の令嬢を見詰めて、ただその場に立ち尽くした。




 男はすっかりリナリアの虜になってしまった。


 美しい景色に感動する事など、とうに無くなっていたのに、リナリアを初めて見た日から、世界が色鮮やかに変わったように見えた。


 亜麻色の髪は、そこらの人間に被せても、白く乾いた土の色にしか見えないだろう。だが女神に乗せれば、天上の光を受けて目映く輝くのだ。


 夜会で遠くから見詰めるだけの、美しい彼女は、あまり人間味が無かった。冷たく見えるという事ではない。

 美しい顏は、めったにその表情を崩さなかった。いつも貴族らしく、内心の読めない微笑をうっすらとのせるだけだったのだ。

 神の作った彫刻が、突然動き出したような、美しさの概念が命を持ったような、とにかく、そういう近寄りがたさなのだ。



 男には、リナリアの夫に名乗りを上げる勇気は無かった。

 というよりも、男がリナリアに向ける感情は信仰に近く、恋愛とは少し違うような気がしていた。存在を近くに感じていたいけれど、触れるのは恐れ多かった。

 俗物の自分が天使の隣に立とうなど、とんでもない話であった。



 ※



 ああ、それなのに。


(なんであんな凡庸な男が、天使の婚約者なんだ! 意味がわからん!)


 堪らず地団駄を踏みそうになる。


 社交界はしばらくその話でもちきりだった。

 しかも聞くところによると、恋愛結婚だとか。


 男は納得がいかなかった。こうしてカーネリアンを見かけては、遠くから睨みつけてしまう程度には、なんだかモヤモヤとしていた。


 リナリアの見る目を疑うつもりは無いが、


(あんなののどこが良いんだ、なんか騙されているんじゃないか?)


 と思わずにはいられない。


 男がじっとカーネリアンを見ているうちに、警備の交代が来たらしい。別の騎士と入れ代わりに、カーネリアンが会場を出ていく様子が見えた。


(交代するだけか? いや、奴も多分もう帰るところだろう)


 まだモヤモヤが残ったままだったので、特に考えも無く、(奴を追ってやれ!)と、男も会場をあとにした。



 追われるカーネリアンはといえば、当然、「なんか変なやつがついてきているな」と感付いてはいたのだが、追う男自身は気付いていなかった。



 ※


 馬車で追いかけ、降りて徒歩で尾行する。

 まだ目的の場所に着かないのか、どれだけ歩かせるんだ、と離れたところから文句を言いながら、ようやく足をとめたのは、最近男も通っている場所だった。


 王都の教会である。


 いつ現れるかは定かでは無いが、たまに、世にも美しい天使のような歌姫がやって来て、神様に歌声を捧げるらしい、という噂の場所だ。頻度としては、月に一度程度だという。

 美しい歌姫の正体が、リナリア・レユシットであるという事は、段々と広まりつつある話だ。


(まさか今日なのか?)


 男も、リナリア目当てで、以前よりも多く教会に足を運ぶようになった一人である。

 期待にそわそわとしだした男を置いて、カーネリアンはさっさと教会に入っていった。



 広い教会内に、窓からの光が降り注ぐ。

 その中心に、白い肌の美貌の持ち主が、祈るように立っている。

 亜麻色の髪は光を受けて、内から輝いているようにも見えた。


 震える睫毛が、ゆっくりと瞼を押し上げて、青い宝石をのぞかせた。

 淡い紅に色付いた、小さな唇が、そっと開く。


 歌声は風のように辺りを満たした。


 男は、歌を知らない。稽古事の中に、音楽は含まれていたが、歌が占める割合は多くなかった。

 けれど、これは、今胸を満たす歌声が、とても素晴らしいものである事は、天使の前では無知に成り下がる男にも、本能で分かる事であった。


 目の前がチカチカと光る。眩しさに目を細めた。伸びやかで心地よい美声が、耳を通って、心の奥を撫でていく。


 いつ歌が終わったのか、男には分からなかった。


 ずっと夢の中にいたような気がする。

 周りを見渡すと、もう音は止んだのに、まだ歌に聞き惚れているような表情をした人々が、ぼんやりと座っていた。


 男を魅了した歌声の主は、まだそこにいた。

 相変わらず人間味の無い美貌で、本当に神様の使いなんじゃないかと思う。

 彼女がいくつか瞬きをしたことで、天使も瞬きをするんだな、というような思考が浮かんだ。


「リナリア」


 歌姫の名を呼ぶ声に、ハッ、と振り向けば、深紅の騎士が、気安く、ひらりと手を振っていた。

 そうだ、カーネリアンを追ってきたのだった。男はここにいる理由を思い出した。


 バッ、と、今度は、先程よりも勢いづけて前に向き直れば、歌姫もまた、呼び掛けに気付いて、カーネリアンへ視線を向けたところだった。


 青い瞳が、まんまるに見開かれた。

 そしてすぐに、朝日を見た時のように目を細めて、弾けるような笑顔になった。


「カーネリアン!」


 リナリアは髪を靡かせて、騎士の元へ駆け寄る。頬をうっすらと赤く染めて、それはそれは嬉しそうに。にこにことしながら。


 二人の会話は、男の耳に入ってこなかった。


 リナリアが、パチパチと瞬きする度に、夜空に足跡を残した星屑みたいな、小さな光が、周りを舞った気がした。


 綺麗だと思った。


(人間味がないだって?)


 男は自分の間違いを悟った。


(馬鹿を言うな、彼女は誰より人間らしい。)


 夜会で男の心をさらっていったリナリアは、あの時の彼女は、確かに美しかった。

 だけど、カーネリアンを見詰めて破顔する彼女は、あの夜会の時よりも、もっと……


(………ふん)


 認める他無い。


(カーネリアン・ラドシェンナ……お前といる時が、天使は一番幸せな顔をする)


 モヤモヤは、いつの間にか消えてしまった。


(お前を見る彼女の瞳が、一番綺麗に輝くのだから、仕方無い)


 男は静かに立ち上がると、なるべくリナリアの視界に映らないように、カーネリアンの側へ寄った。


「幸せにしてやれ」


 小さく、ぼそっと呟くと、触れるか触れないかくらいの力で、ぽん、とカーネリアンの肩を叩く。

 男は憑き物が落ちたように、一人満ち足りた顔をして、出口に向かって歩いて行った。







 カーネリアンは、フッと息を吐いて、心得たように頷く。

 そして、


「いや、誰?」


 結局あいつ何しに付いて来たんだよ、と、眉間に皺を寄せて、見知らぬ男の背中を眺めるカーネリアンであった。





 ※



 後日、とある上級の貴族の子息から、なかなか大きい額の寄付が、王国騎士団に届いた。


 ただ、宛名が、王国騎士団と、名指しでカーネリアンであったため、


「カーネリアン~! この人たらしめ!」

「またどっかの重役の心を掴んできたのか? ほんと世渡り上手だよお前は~!」


 と揉みくちゃにされる当人である。


「いや本当に知らない。今回はマジで何もやってない」


 寄付をしてきたのは、あまり評判が良いとも言えない貴族の子息だったのだが、調べたところ、本当に何の裏も無いらしかった。近頃は、教会や学校、病院などへ寄付をしたり、慈善事業にも協力しているらしい。

 界隈では「急にどうした」「以前の権力を笠に着た態度はどこへいったんだ」とざわついているという。


 騎士たちは純粋に、真新しい剣や防具、充実した備品に喜んでいる。

 いかに王国騎士団といえど、過酷な訓練や任務ですぐに物を壊すので、万年予算不足なのだ。



 はしゃぐ同僚を他所に、カーネリアンは、最後まで一人微妙な顔をして、首を傾げるのだった。










〈終わり〉


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