サイネとカトレア
「………さて。カトレアはもう立派な淑女だから、抱っこは不満かもしれないが……。何分急ぐのでな。少しの間我慢してくれ」
グラジオラスはそう断ると、両脇に一人ずつ、ひょい、と孫を抱えた。
使用人たちが、必死でカトレアを探しているので、急いで屋敷へ戻らねばならない。
彼は庭へ来た時と同じように、長い足を駆使して歩き始める。
サイネリアやカトレアにとって、大人の歩幅はとても速く感じたので、二人はきゃあきゃあと甲高い声を上げては、背の高い散歩を楽しんだ。
子供たちの中に、祖父に対する恐怖は既に無かった。
その後使用人一同カトレアの無事を確認し、屋敷の騒動は収束したが、帰宅後に顛末を聞いたカーネリアンは、やや不機嫌であった。
彼の機嫌の悪さの原因は、目の前で繰り広げられている。
「ねえねえ、おじいさま? おじいさまは、アザレアおばあさまと結婚したの?」
この、愛娘カトレアの、祖父への懐きぶりである。
一見微笑ましい光景だが、最近、理由も分からず、元気の無い娘の相手をしていた立場としては、まずは最初に父親に甘えてほしいという心境であった。
「いや……結婚は、うん。出来なかった」
顔から、髪から、体中触る勢いで、じゃれつきながらのカトレアの質問に、グラジオラスは律儀に答えている。
「そうなの? じゃあ、今はえっと、どくしん? なの?」
「……まあ、一応はそうなるだろうな、」
『アザレア以外の誰かと結婚するつもりは、毛頭無いが』と、グラジオラスは続けるつもりだったが、そう補足する前に、カトレアの張り切った声が割り込んだ。
「じゃあわたし、大人になったら、きっと、もっと、アザレアおばあさまとそっくりになるわ! だから、わたしがおじいさまと結婚してあげるね!」
「…………!」
――まさか自分が、孫娘にこの台詞を言われる日が来ようとは……。グラジオラスは、瞳を潤ませ、暫し感動に震えた。
無言で胸を詰まらせているグラジオラスとは対照的に、場の空気は一部凍っている。
具体的に言うと、カーネリアンの周りだけ吹雪いていた。
「……クソっ、嬉しそうにしやがって……!」
気鋭の王国騎士は悔しそうに悪態をついたが、父親の悲哀が十分に伝わったので、彼を咎める人はいなかった。
それどころか、少し荒々しい口調の夫を見て、その珍しさにリナリアがおかしそうに笑い出すので、周りはどんどん和んでいくのだった。
そして、その傍らではサイネリアが、ここぞとばかりに、父の腕に抱きついて甘えている。あくまでも、娘を取られた父親を励ますという体で、さりげないつもりでいるらしい。
娘の結婚宣言は納得がいかなくとも、それはそれとして、カーネリアンは息子の態度を嬉しく思うのだった。
※
この一件から、カトレアは悩むことをやめて、態度を改めるようになった。
両親には甘えたいように甘えるし、夜会で陰口を言われても、少しは傷つくけれど、もう平気だ。
急に美しくはなれないけれど、ありのままの自分を好きでいてくれる、味方がいると知っているから。
強気になったカトレアは、今度は積極的に夜会へ付いていくようになったが、もう二度と自分に関する悪口を聞く機会は無かった。
祖父とその知人のボーダイス家が手を回している事など、幼いカトレアには知る由も無い。
※
夜も更ける頃。今日は一緒に寝ようか、と言って、サイネリアとカトレアは同じベッドに入った。
「ねえ、カトレア」
「なあに、サイネ」
サイネリアは、ふふっ、と笑う。カトレアは、何よ、と、まだ少し名残のある、きつい口調で返す。
最近、赤ちゃんみたいって、言わないね……サイネリアはそう思ったけれど、わざわざ言う必要を感じ無かったので、もっと大事な事を伝えることにした。
「……あのね。僕も、僕なりに考えてみたんだ。あの時はおじいさまが、アザレアおばあさまの事を教えてくれたけれど……もしも、僕やカトレアが、この家と何の関係も無い子だったら、って」
「うん……」
「きっとね、血が繋がって無くても良いんだよ。オーキッドさんだって、元々は違う家の人で、うちに養子に来たんだよ」
カトレアは、またか、とちょっとだけ思った。サイネリアはいつも『オーキッドさん』である。
「でもサイネ。オーキッドさんは、ビオラさんと結婚したから、うちに来たんじゃないの? お父さんとおんなじよ」
「ううん。結婚するよりも先にね、オーキッドさんはうちの子になって、ビオラさんのお兄さんになったんだって」
「どうして? だって、お兄さんとは結婚できないんでしょ? 先に兄妹になっちゃったら、結婚出来ないじゃない」
祖父と結婚すると言っていたカトレアだったが、兄妹で結婚出来ない事は知っていた。
少し前のカトレアは、誰の目にもお兄ちゃん子だったので、誰かが「兄妹では結婚出来ないよ」と冗談めかして宥める事もあったのだ。
「よそからきたお兄さんなら、結婚できるんだよ」
「よく分からないわ……」
「分からなくても、オーキッドさんは、ちゃんと家族でしょ? ねえ、もしも僕が、よそから貰われてきた子だったら……カトレアは、僕の事嫌いになるの?」
「……ならない」
「でしょう?」
答えなんて分かりきっているみたいに、サイネリアの問いには何の不安も無かった。
「僕も、何があっても、カトレアが大好きだよ」
「……わたし、大好きまでは言ってないわ」
「そう? 僕は大好きだけどなあ」
「……サイネよりは、ちょっと少ないくらいの、大好き、よ」
照れた言い回しに、サイネリアはまた微笑む。
「……ところで、ねえ。庭の声は、結局誰だったのかしら」
声を潜めて、庭へカトレア達を導いた歌声について、兄妹は話し始めた。
「カトレア以外にも、歌っている人がいたよね。声が違ったと思う。おじいさまには聞こえないみたいだった」
「そうなの。それにね、部屋に居る時も、外から、『コンコン!』って呼ばれたのよ。本当に不思議」
「おばけかな?」
「おばけかもしれないわ」
何がおかしかったのか、二人は顔を見合わせて、同時に噴き出した。
「わたし、おばけの正体に、こころあたりがあるかも。だって、あの歌を歌う人なんて、他に知らないもの」
「僕が考えている人と、同じだと思うな」
「やっぱり?」
「きっとね。待ち合わせまで、まだまだ長いから、たまに様子を見に来ているのかも」
「おじいさまに会っていかないのかしら」
「一応おばけだから、姿は見えないんじゃないかな」
「そういうものかしら」
「そういうものだよ」
コンコン、コンコン。
皆が寝静まった夜に、小石の転がるような音がする。
「……サイネ、今の聞こえた?」
「うん。コンコン、って」
コンコン。
今度は少し強くなった。
恐ろしい音では無かった。
子供たちに寝物語を聞かせるような、柔らかい響きに聞こえた。
「もう寝なさい、ですって。何となく、言っている事がわかると思わない?」
「ね。あんまり夜更かししちゃ駄目って言われている気がする。寝ようか」
兄妹は、くすくす、と笑う。
小石のような音は、もう続かなかった。
「……じゃあ、もう寝るけど……また明日からは、一緒に遊ぼうね。カトレアが一緒じゃないと、寂しかったから」
「そんなに遊びたいの? サイネは子供ね。わたしよりおにいちゃんなのに」
「うん。カトレアは大人だね。だからね、カトレアはもっと、僕の事をかまってね」
「ふふふ、サイネってば、わたしがいないと、駄目なのね……」
カトレアの瞼が、先に閉じた。
彼女の寝息が聞こえてくると、サイネリアはベッド横の小さな明かりを消して、妹の隣にもぐりこむ。
妹の憂いは晴れた。
サイネリアは、また一つ誇らしげな気持ちで、安堵の溜息を吐く。
「おやすみ、カトレア」
二人分の息づかいだけが、静寂に溶けていった。
暗闇の中、庭で聴いた優しい歌声が、サイネリアの頭の奥で甦る。
カトレアの歌声に混ざるように消えた、知らない歌声。
奇跡と呼ぶには小さくて、偶然と呼ぶには不思議な出来事だった。
この世界には、神様の加護と、ほんの少しの魔法がある。
神様が気まぐれをおこして、アザレアの声を届けてくれたのかもしれない。サイネリアはそうやって、より素敵な方へ考える事にした。
そしていつか神様の国へ行って、カトレアとそっくりな祖母に会った時には、また歌を聴かせて、そうせがみたいとも思った。
『――好きな事、好きな人、楽しい事、嬉しい事、何でも見付けなさい』
祖父の言葉を反芻しながら、サイネリアも深い眠りへ落ちていく。
明日からは、カトレアや屋敷の皆と一緒に、好きな事や楽しい事を、たくさん見付けるのだ。
それはきっと、素晴らしい毎日になるだろうから。
〈終わり〉
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