37 レユシット邸⑤
翌日。リナリアがレユシット邸に滞在して、二日目の朝である。
「リナリアを引き取りたいと思う」
グラジオラスは、オーキッドを呼び出してそう言った。
半ば予想していたために、オーキッドは驚かなかったが、一応リナリアにその気がないことも伝えておく。
「リナリアさんには、何も強要しないと言って来てもらったんだ。レユシット家の一員になることを、彼女が望まないなら無理強いはできないよ?」
言いながら、リナリアから良い返事はもらえないだろうなと思った。
彼女は、あの街に好きな人を残して来ているのだから。
レユシット家に入れば、彼との結婚は難しくなるかもしれない。
「……リナリアは、間違いなく私の娘だ」
「まあ……それは疑ってないよ」
「あの街にいて、呪いは解けると思うか?」
リナリアが喋れない件について、呪いや加護のことも説明してある。
グラジオラスは、リナリアの呪いを解いてやりたいと思っているのだ。
「昨日、色々と調べてみた。呪いを解く方法について」
「え、一晩で!?」
「いや、うちにあるだけだと、資料が足りない。だが不可能ではなさそうだ」
「流石としか……」
頼もしすぎるグラジオラスの発言に、そういえばこの兄は、見かけ倒しではなく優秀なのだと、改めて思い出す。
「アザレアが、大切に育てた娘だ。今まで何もしてやれなかったが……リナリアには、幸せになってほしい」
グラジオラスがこういった本心を素直に言えるのは、相手がオーキッドだからだ。
リナリアを前にすれば、また仏頂面になるんだろうな、と、オーキッドは苦く笑った。
昼頃、オーキッドはまたもや呼び出される。
今度もグラジオラスだ。
何か進展があったのかと、勇んで行ってみれば、彼は少し落ち込んだ様子だった。何事だろうと思う。
「リナリアが、私に対して冷たい気がするんだが……」
これはまた、父親らしいことを言い出したなと、ほのぼのとして気が抜けた。
「兄さんも人のこと言えないと思うよ?」
皆分かってはいるが、グラジオラスの場合、つい上から目線というか、偉そうな態度をとってしまうので、誤解されやすい。
リナリアに対してもそうだった。
「今朝から目つきが……違った……」
グラジオラスによると、まだ昨日は大して話してもいないのに、今朝顔を合わせた時から、既に態度が硬化していたのだという。
「嫌われたんじゃない? 何かしたんだよ、きっと」
「簡単に言うな、何もしてない。オーキッド、お前面白がってないか」
面白がっていた。
グラジオラスが思いのほか大丈夫そうなので、安心したのだ。
娘のことで一喜一憂する兄の姿を見ることになるとは、考えたこともなかった。
結婚はしていないが、まさに父親である。
「兄さんって、良い人なんだけど、何て言うか、愛情表現が下手だよね」
グラジオラスはむっとして黙りこむ。
自覚はあるらしい。
「兄さんがいくら美形でも、もう良い歳なんだからさ、リナリアさんが滞在している間、うんと優しくしてみなよ。彼女良い子だから、気持ちはちゃんと伝わると思うよ」
「……努力はしよう」
「うん、そうして」
優しくしたい父と、受けいれ難い娘の攻防が始まった。
今までのグラジオラスを知る人間からすれば、「やればできるじゃないですか!」と言いたいぐらい、グラジオラスは上手くやっているようだった。
ただ、グラジオラスの言った通り、リナリアが彼を拒否しているように見える。
彼女の態度はかたくなで、愛想笑いの一つさえ浮かべることはなかった。
それによって、使用人達からのリナリアの評価が下がるということはなかったが、一体どうしたのだろうと、彼らの戸惑いは大きいようだった。
だが使用人達はグラジオラスをよく理解しているので、恐らくまた冷たくあしらう癖が出て、誤解を受けているのだろう、と結論づけた。
リナリアは、グラジオラスがやたらと構ってくるので、戸惑いを隠すのに必死だ。
昨日から頭を悩ませる事が多くて、当初の目的は果たせそうではあるが。
別の事で忙しくしていれば、カーネリアンの事を考えなくて済む。
そうなればいいと思う。
リナリアはあてがわれた部屋で、机につっぷした。
溜息を聞いた世話係の少女が、「リナリア様?」と心配そうに声をかけてくる。
様付けはやめてほしいと頼んだのだが、「リナリア様は、リナリア様です!」とまた瞳に星をのせて断言するので、押し負けた。
慕ってくれているのが分かりやすいので、嬉しいのは否定できない。
真っ直ぐに好意を示してくれる少女に、重かった気持ちが浮上し、穏やかな気持ちになる。
「何かあったんですか……?」
友達と呼べるのは、カーネリアンくらいしかいなかったので、歳の近い少女が親しげに話しかけてくれることに、多少浮かれる気持ちが芽生えた。
リナリアも歳相応に、「ねえ、聞いて聞いて?」と愚痴をこぼしてみたくなる。
声は出せないので、例の手帳だ。
さほど待たせずに文字を書き込んで、少女に見せる。
少女は興味深そうに手帳を覗きこんだ。
「えっと……グラジオラスさんが、優しくしてきて嫌だ?」
少女は読み上げた後、変な顔をした。
「え、何でですか?」
心底不思議そうである。
リナリアは続きを書いた。
横から、一緒に文字を追い、読み上げる声が聞こえる。
「だって、冷たくしてくれないと、嫌いに、なれない……」
少女は沈黙した後、「よく分からないんですけど……」と、自信が無さそうに確認してくる。
「グラジオラス様のこと、好きになりたくないってことですか?」
言ってしまえば、その通りである。
リナリアは複雑な心境だったので、渋い顔で頷いた。
グラジオラスは親切なのだ。
リナリアの性格では、優しくしてくれる人を嫌いでい続けるのは、難しい。
でもそれだと悔しいと思う。
母が亡くなったのは誰のせいでもないのだが、グラジオラスが冷酷な人間でないのなら、理不尽に感じてしまう。
自分に良くしてくれるなら、何故母にもそうしてくれなかったのかと。
母は、きっとリナリアを愛してくれたほど、グラジオラスを想っていたはずなのに。
「リナリア様は、何だか拗ねているみたいですね?」
世話係の少女は、くすりと笑う。
嫌な感じはしなかった。
それもそうかもしれない。
「グラジオラス様は、きちんと話を聞いてくれる人ですよ。不満があったら、伝えた方がいいです! 悪いことにはなりませんから!」
にこにこと、見るものを和ませる、邪気のない笑顔だ。
その顔を見たリナリアは、背中を押された気分になった。
つまらない意地をはるのは止めなさいと、優しく宥められているようだった。
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