36 レユシット邸④

 

 夕食と言うより、晩餐と言う言葉が当てはまる、豪勢な食事である。


 リナリアは目を白黒させた。

 並べられた料理は、見るからに手間がかかっている。

 貴族が口にする料理など食べたこともない。

 どこから手をつけたらよいのだろう……そう不安に思うリナリアを見越して、オーキッドは言ってくれた。


「作法はあまり気にしなくていいよ。兄さんもそんなに煩く言わないから」


 オーキッドの気遣いは有り難いが、絶対嘘だと思った。

 グラジオラスに対しては安心できない。

 彼は、気位の高い、貴族の印象そのものに違いないと思う。というよりまさに、グラジオラス・レユシットは、指折りの貴族だ。

 グラジオラスに、良い印象が持てない。

 リナリアの行動に、何をどう文句を付けられるか分かったものではないと、憂鬱に思った。







 食事は、グラジオラス、ビオラ、オーキッド、リナリアの四人で席についた。

 グラジオラスは表面上、何ともないように装っていたが、やはり元気がないように見える。

 楽しい晩餐とはならず、気分の上がらないまま時間は過ぎた。

 グラジオラスも薄々気付いていたようだが、オーキッドは食事の前に予め、リナリアが喋れないことを伝えている。

 それもあってか、食事の際に、グラジオラスからリナリアへ声をかけることはなかった。







 沈んだ晩餐が終わる頃には、外はすっかり暗くなる。その後入浴やら着替えやら、何かにつけて世話を焼かれ、リナリアは気恥ずかしくて、まごついた。

 世話係の少女が、目を輝かせてリナリアを見つめてくるので、落ち着かない。

 首を傾げて見せて、視線の意図を探ろうとすると、少女は頬を染めてそわそわとしていた。


 何となく、既視感があった。

 それがなんなのかリナリアは分からなかった。


 実際には、昔も似たような事があったのを、リナリアは覚えていなかったのだ。

 綺麗なものに、人は憧れを懐く。







 少女はリナリアの美貌を近くで見られることを嬉しく思い、無口で可憐な彼女を好ましく思った。

 首を傾げた時など、あまりの愛らしさに、同性でありながら動悸がしたほどだ。

 舞台女優顔負け……いやそれ以上だと思った。

 素直な少女は美しさを妬むでもなく、純粋に、彼女に好意を持った。







 その日、リナリアとグラジオラスの間で会話の場などは設けられず、それぞれが眠りについた。


 グラジオラスはなかなか寝付けず、寝具に上がることさえしないで、昔のことを思い出していた。

 そして、愛する人の人生を思った。

 彼女は、何を考えて、生きてきて、そして死んだのか。

 少しでも知りたくて、彼女が遺したリナリアのことを、よく観察した。

 貴族的なことが分からないのは当たり前だったが、淑やかで、清潔感もあり、好ましい少女だと思えた。

 だが、アザレアの面影がない。

 あまりにもグラジオラスに似すぎているのだ。

 会いたい人に会えないもどかしさが募った。

 もう二度と会えないならば、自分には少しも似なければ良かったのに、と思う。

 そうすれば、彼女の面影に、触れることが出来たのに。

 アザレアは、グラジオラスに良く似た少女を、どんな気持ちで育ててきたのだろう。

 彼女は愛されていたのだろうか。

 だとしたら、グラジオラスは?

 嫌いな男とそっくりな子供に、愛情を持って接することが出来るだろうか。

 アザレアが、自分を嫌っていなければ……。

 そうであれば……。

 グラジオラスは、アザレアからの愛を期待した。

 既にこの世にいない人だと、分かってはいても。







 リナリアは眠る直前まで、考えないようにしていたことがある。

 大好きな母親のことだ。

 母だけは、何があっても、リナリアのことを一番に思ってくれた。

 リナリアは、固く目を閉じる。

 本当に?

 自分自身に問いかけた。

 嫌だ嫌だと思っても、考えるのをやめられない。

 初めて対面した、グラジオラス。

 もう、疑いようもないが、もし彼がリナリアの父親だとして、やはり二人は、似ている。

 そうなればオリジナルは、グラジオラスの方だ。

 彼がリナリアに似ているのではなく、リナリアの方が、彼に似ているのだ。

 リナリアは確かに愛されていた。

 ならば母が、グラジオラスを嫌いな筈がない。

 リナリアに向けられた愛情は、リナリアだけのものだったのか?

 記憶の蓋が開いて、過去の情景が浮かんでくる。


 母はいつも、遠くを見るような、ここではない何かを思っているような目をしていた。


 幼い頃は気付かなかった。

 愛しげな眼差しは、いつも遠くを見ていたのだ。

 母がリナリアを愛してくれたのは、叶わなかった恋の代わりではないと、どうして言えるだろう。


 グラジオラスが、本気で母と恋仲だったとは思わない。

 貴族の彼が、母を捨てたのだとしたら、失恋した母はきっと、心のよすがとして、リナリアを産んだのだ。

 そして、会えない彼を想った。


 そんな母に、グラジオラスは一度として会いに来なかった。

 母のことを思うなら、残酷な仕打ちである。

 リナリアの方がよっぽど好きなのに、あの男に勝てない。

 悔しくて、涙が出る。

 リナリアは到底、グラジオラスを父親だとは認められなかった。


 考えすぎだとも思う。

 しかし母のいない今、それを否定してくれる人もいないのだ……。



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