21 日常

 

 あの頃の自分は愚かだったと思うが、幸せだった。


 リナリアは思う。

 母がいて、言葉を口に出すことが出来て、人から嫌われていることに気付いていなかった。

 無邪気に、何も考えなくてよかった。

 今が不幸だとは思っていない。

 だが、あの頃は、願えば何でも叶うと、言い聞かせていられた。

 まだ希望を持てた。

 母が亡くなった時では、気付くのが遅すぎたのだ。

 自分が望んだところで、祈ったところで、何も変わらないということに。

 なんて愚かだったのだろう。

 もう多くは望まない。

 リナリアは、歌声まで失わないように、ひっそりと生きようと思っている。

 教会の出入りは自由なので、歌を聞きに来てくれる人もいる。

 あまりひっそりとはしていない、と感じることもあるが、少しだけ受け入れられた気がして、嬉しく思った。


 リナリアは現在十六歳。

 相変わらず、カーネリアンに恋をしている。





 教会を出て、カーネリアンと一緒に歩く。

 ランスがカーネリアンに声をかけたことで、行き先が商店街だと判明した。

 ランスはそのまま立ち去らずに、カーネリアンの隣で歩き出した。カーネリアンを真ん中にして、三人で並んでいる状態だ。


 カーネリアンがランスと目を合わせて会話するので、リナリアは気兼ねなく、カーネリアンの横顔を見つめる事が出来た。

 すると、ランスはカーネリアンと向き合っているので、彼の視界には入ってしまう。

 ランスと目が合った。

 慌てて目をそらし、少し間をおく。

 そろそろいいだろうかと、再びカーネリアンを見ようとすると、またランスと目が合う。

 当然だ。ランスはカーネリアンと途切れず会話しているのだから、視線はリナリアにも向いてしまう。

 これでは、カーネリアンをじっと見つめているのがばれてしまう。

 リナリアが気味悪い目でカーネリアンを見ていたぞ、などと言われたらどうしよう……と考えて、狼狽えた。







 おろおろとするリナリアを、カーネリアンは視界の端でしっかりととらえていた。

 何を思っているかは分からないが、ランスが来たことでペースを乱されているのだろう。

 珍しい様子が可愛いらしいと思ったため、カーネリアンは気付かないふりをした。







 ランスはリナリアの心情を正確に察した。


(隠したいんだろうけど……バレバレなんだよな……カーネリアンは鈍感だから気付いてないけど……)


 ほんのり赤くなるリナリアは、とても可愛い。

 微笑ましかった。







 商店街につくと、カーネリアンは淡々と買い物を済ませていった。

 肉類、果実、甘味に、お酒と、日頃使うには、豪勢な量の食材を次々と買い込んでいる。

 ずっと会話をしているランスと違い、リナリアはただついてくるだけの形だ。

 カーネリアンが何も言わないので、ついそのまま隣にいるが、リナリアは少し不安になった。

 示し合わせた訳でもないのに、一緒に店を回っている状況である。自分は邪魔なのではないか、と思った。

 何か、邪魔そうにしていたら、態度で示されたら居なくなろう、と決めて、リナリアは自分を納得させた。


 リナリアには、寂しがりの自覚があった。

 嫌われていると思い込んでいるため、人と積極的に関わるのは恐い。

 だが、一人で過ごすのも好きではない。

 家で一人でいると、母が当たり前にいた頃を思い起こしてしまう。

 母の声も、自分の声もしない部屋は、耐えきれないほどの孤独感が押し寄せてくる。

 だからリナリアは、図々しいとは思いながら、カーネリアンの側を離れられないのだ。


 カーネリアンの買い物が、普段より明らかに多い。

 他愛ない会話をしていたが、気になっていたらしいランスが水を向けた。


「そんなに買い込んでどうするんだ?」


 手荷物も大分増えてきたところである。

 カーネリアンは、荷物に一度目を落として、ああ、と、説明した。


「兄さん用に頼まれてさ」


「兄さん?」


「姉貴の旦那。今は王都にいるよ。姉貴の誕生日が近いから、帰って来るはず。多分」


「多分か。お姉さんの誕生日いつ?」


「明日」


「本当にすぐだな……」







 カーネリアンの家族は、両親と、姉が一人いる。

 姉は結婚しているが、夫が仕事で家を空けることが多いため、ほとんど実家で過ごすようにしていた。

 姉の夫は、仕事が落ち着いた時期に、妻を迎えにくる。

 一緒にいる時間が短いため、それで夫婦としてやっていけるのかと、カーネリアンは心配していたのだが、二人は問題ないようだ。

 兄は、姉の誕生日には必ず会いに来る。

 特に約束しているわけではないらしいが、結婚してから、一度も違えたことはない。


「カーネリアンのところ、仲良いよな」


 ランスはしみじみと、どこか羨ましそうにしている。

 思い返してみれば、カーネリアンは姉から頼み事をされる事が多い気がした。


「そうかな? まあ、そうかもね」


 軽く笑って、ここで最後だ、と、買い物の終わりを告げた。







 用事を済ませると、三人はもと来た道を戻った。

 行きと同じように、居心地の悪い視線を感じながら、リナリアは俯いて歩く。

 軽快に話すランスが羨ましい。

 せっかく一緒にいるのに、気のきいた言葉も言えない。

 知らず知らず、リナリアの歩みが遅くなり、カーネリアンのやや後ろを歩いている。

 自分の靴に視線を落としていたため、カーネリアンが立ち止まったことに気付かなかった。

 額が、カーネリアンの背中に軽くぶつかり、慌てて顔を上げる。

 ごめん、と視線に込めてみたが、彼はこちらを見ておらず、前方を注視している。


(どうしたの? 何を見てるの?)


 控えめにカーネリアンの裾を引きつつ、彼の視線の先を探す。

 彼はすぐにリナリアを見て、「何でもない」と、さりげなくリナリアの視界を遮る。

 平素となんら変わらない、特に何も感じていない表情をうかべている。

 彼が何かに気を引かれたように見えたのは、勘違いだと思った。


 何事もなかったかのように意識をそらそうとしたカーネリアンに、ランスが割り込んできた。


「カーネリアン? 何見てるんだ?」


 ランスが疑問を口に出したことで、誤魔化されそうになったリナリアは、はっとした。

 やはり、勘違いではないらしい。


「いや、別に……」


 口ではそう言うが、彼にしては珍しく、気持ちが声から察せられた。気付かれて面倒、といった感じだ。

 ランスとリナリアは、カーネリアンが見ていたものを探して、目を凝らした。

 よく見ると、遠くに人集りができている。

 中心にいるのは、よく知る人物だ。


(フリージア……?)


 一方的に絶交してから、フリージアとは顔もほとんど会わせていない。

 フリージアこそ、リナリアを最も嫌う理由がある。

 何度目になるか分からない、過去の自分の行いを後悔し、同時に、カーネリアンはフリージアを見ていたのだと気付いた。

 フリージアは今でも、カーネリアンの関心を引くのだろう。

 昔のように激しい感情は沸き起こらないが、仕方がないとは割りきれない。

 カーネリアンの一番にはなれない事実を再認識した。


 フリージアは見覚えのない男性と話している。

 男性は黒に近い、暗い茶髪で、背が高い。

 身綺麗にしていて、人好きのする笑みを浮かべる顔は整っており、目を引く容姿だ。

 中性的ではなく、細身ではあるが逞しい体つきである。

 華やかな王都にいても、他と見劣りしないだろう。

 ただ、向かい合うフリージアの目は険しい。

 睨み付けるフリージアと、気にした様子もなく話かける男性を見て、リナリアは思い至る。

 知らない人に言い寄られて、困っているのではないかと。


 自覚はないが、リナリアの場合は言い寄るのも躊躇するほどの美人なので、そう言う意味で声を掛けられることはあまりない。

 リナリアの中では美醜の基準が曖昧だ。

 決して美男子とは言えないカーネリアンを、世界で一番素敵だと思っているし、明らかな男前に、釣り合わない容姿のフリージアが言い寄られていても疑問に思わない。


 助けた方が良いと思ったが、疎遠になったリナリアが近寄るのは躊躇われた。まして、声がでないため、意味がないような気もする。


 まごつくリナリアを見てとり、カーネリアンは小さく溜息をついた。

 面倒そうにしつつ、人だかりの方へ歩きだす。

 リナリアは、カーネリアンが行動したことで少し安心した。そして、興味本位のランスとともに、後に続いた。



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