ステラの正体
※
銀の腕輪。
お祖父様はそれが、ユオ・クルッツの恋人がつけているものだと知っていたのだ。
あの日私が店に戻る前、ユオ・クルッツは恋人であるステラの事を、お祖父様に話していた。腕輪の事も詳しく説明したようだ。
考えてもいなかった。あの恋人以外には仏頂面な男が、他人に蕩けている所を想像するはずもない。
確かに見たことがない、特徴的なデザインだったが、まさか一点ものとは思わなかった。お祖父様も、私の腕輪を見たとき、一目でそれと分かったらしい。
だからお祖父様は困惑した。
ユオ・クルッツは、恋人の素性を知らないという話だ。
そこに来て、恋人の証である腕輪を孫娘がつけていたのだ。
孫娘が、何か危険なことに巻き込まれているのではないかと、心配してくれていたのである。
ユオ・クルッツが、何のつもりで、お祖父様にそこまで詳しく話したのか分からないが、兎に角、お祖父様はあの時、私がユオ・クルッツの恋人であると気が付いていたのだ。
※
お祖父様は暫くは、知らない振りをしていた。
私はそれに気付かないまま、変わらず奴の部屋に通っていたということだ。奴の事を言えない。私も十分鈍かった。しかし、ある事件で、事は露呈する。
ユオ・クルッツが行方不明になったのだ。
奴の部屋に行っても、奴いない日が数日続き、何かあったのかと不安に思っている時だった。
「クルッツ商会のトップ、行方知れず。誘拐か、暗殺か?商業都市、怨恨の連鎖……だってよ。物騒だなあ。まあ、クルッツなら恨みを相当買っているだろうけど……」
店で、お祖父様が男性客に話しかけられている。男性客の手には新聞が握られていた。
私はその場に立ち尽くして、話を聞いていた。
お祖父様が寄越した視線にも気付かない程、動揺する。
「牢屋に入っている元部下の男、バックに恐いのがいたみたいだな。仕返しじゃないかって線が濃厚らしい」
男性客が新聞の内容を説明していたが、私は思わず割り込んでいた。
「あの、そのバックについているの、何処の誰何ですか?」
男性客は面食らって、「えらく慌ててんな、エステルちゃん。ユオ・クルッツのファンかい?」と軽く言ったが、私の真剣な表情を見て、新聞に目を戻して教えてくれた。
「ちょっと待て……ええと、この商業都市で五本の指に入る所だな。まあクルッツ商会には及ばないが、かなりでかい店だよ」
私も新聞を覗き込み、名前を確認する。
よし、覚えた。
まだ噂だし、こいつらが犯人とは限らないが、確かめる価値はある。それにしても、奴は私より強いというのに、余程強い相手なのか。だとしても、奴が今にも殺されているかもしれない。急がなくては。今晩乗り込むか。
ありがとうございました、と男性客に頭を下げる。
お祖父様は何か言いたげな目で、私を見ていたが、結局黙っていた。
少し不審だったかもしれない。
その日に限って、夜遅くまでお祖父様が起きていた。
それとなく寝るように勧めても、なかなか寝ようとしない。
心配事があるような、不安げな表情だったので、感付かれたかと思う。
実際はその通りだったが、その時の私は、そんなはずはないと思い直し、半ば強引に、お祖父様を寝室へ連れていった。
「お祖父様、あまり夜更かししては体に悪いですわ。もうお休みになってくださいな」
やんわりと背中を押す。
お祖父様は顔だけ振り向き、すがるように私を見た。
「エステル……いなくならないでくれよ……」
いつになく弱気な言い方だった。
こう言っては何だが、歳をとって、気持ちが弱くなっているのかもしれない。
私は優しく頬笑む。
「はい。ずっとお祖父様の側にいますわ」
もう、ユオ・クルッツを暗殺しようとした日のような無茶はしない。
お祖父様を悲しませないようにしなければ。
大丈夫、必ず戻って来ます。
今晩の事は、少し多目に見てほしいけど。
お祖父様が寝付くまでまた時間がかかり、出発が遅れてしまった。
まだ夜は深い。許容範囲だ。
屋根の上を蹴り、まるで空を飛ぶように建物を伝い、目的地を目指す。何の訓練も受けていない人間には無理な芸当だが、私にかかれば造作無い。私に乗り物は不要だ。
まあ、どうせ奴は楽々やってのけるのだろうが……。
……数日空けただけなのに、落ち着かない。
奴は、無事だろうか。
もし、今向かっている場所が外れだったら、また一から探さなければならない。
奴が今どんな状態か分からない。遅れる程、生存率は下がるだろう。早く顔を見て、安心したい。
あの締まりのない表情を見たいと思うようになるなんて、どうかしているな。
そもそも……何故私が、奴の心配などしなくてはならないのだ。
……いやでも、よく考えてみろ。
このまま奴が、死ぬなりして居なくなれば、自然と関係は絶たれる。
もう、別れる方法に、悩む必要も無くなる。
……と、思っているのに、体はとにかく全力で急いでいるんだよな。
私だって、本当は分かっている。もう、奴に死んでほしくないって。だから、仕方がないじゃないか。
仮にも恋人なんだから、助けに行ってやるさ。
ユオ・クルッツの部屋は、恐らく、あえて侵入しやすいようにされていたはずなので、苦労して忍び込む感覚は久しぶりだった。
そうそう、これだよ。これくらいの手応えはないと、張り合いが無い。苦労と言っても、私が手子摺る程では無いがな。
目的の建物に到着した私は、難なく中に入り込み、各部屋のモニターがある制御室を目指す。このくらい大きい商会になると、トラップも多いからな。
それらを初めから発動させないため、目星をつけていた制御室に行くのだ。
勿論見張りは居たが、クルッツに比べれば何と他愛ない。あっさりと伸して、首尾よくトラップを解除した。
快適になった制御室で、見取り図を広げ、奴が居そうな場所を探す。
ここに来るまで殆ど人が見当たらなかったが、深夜ともなると、商会の人間で建物に残っている者は居ないらしい。どうやら今の時間は、少数の警備が居るだけのようだ。
奴だけ残されているなら好都合。さっさと連れ出してしまおう。
証拠もないのに、奴がいると決め付けているが、私の勘ではここで当たりだ。部屋の特定は仕切れないので、一つずつあたっていくしかないだろう。
一つ、二つと空振りして、三つ目の部屋。
入る前から、既に部屋から明かりが漏れていたため、ここだ、と確信する。
静かだが、人の気配はするようだ。
慎重に天井裏に回り込み、部屋の様子を窺う。
確かに人はいた。
だが、予想とは大分違う様子だったので、暫く固まってしまった。
ユオ・クルッツが、部屋の中央に一人立っているのだ。
数十人の男達を、足蹴にして。
え、ちょっと待って、どういう状況?
呆然としていると、奴が近くに倒れている男を蹴り飛ばした。
飛んでいった男は、声にならない呻き声を上げている。
……もしかして、助け要らなかった感じか。
何だよ、心配かけやがって。平気ならさっさと帰って来いよな。
どう見ても、相手伸してるし。
相手手も足も出てないじゃん。
「いつまでも貴様らに付き合っているつもりはない。さっさと俺を解放しろ」
奴が明らかに怒ってます! という声で言っている。
でもちょっと疲れているみたいだな……。
「ぇ、ステルさんは……俺が先に……好きになったんだ……おまぇなんか、に、渡さない……」
倒れている一人が、息も絶え絶えに訴える。
何か、私の名前が聞こえたんだが。
内容も聞き捨てならないが、それよりも、あの男、見覚えがあるぞ。ぼろぼろで分かりづらいが、間違いない。
お祖父様の店によく来る客だ。
私のこと褒めてきて、どもりながら喋る客。
「……だから、それは終わった話だと何度言えば分かる。俺はあの女に興味ない」
奴の言葉に、胸を刺すような痛みを感じた。
気にするな……。今は傷付いている場合じゃない。
……話を纏めると、男性客が逆恨みで奴を浚ったのか?
愛人云々は、結構前の話だが。
それに、個人で誘拐したとは考えにくい。
私が疑問に思っていると、男性客は最期の力を振り絞るように叫んだ。
「嘘だ!! お、俺は見たんだ!!」
おいおい、致命傷でもないんだから、死ぬなよ?
さすがに、やつも揉み消すのが面倒だろう。
「前にあの店に行ったとき、盗聴機械と、映像記録装置を隠して来た! お前が、店主に話していた恋人のことも、聞かせてもらった! その日、エステルさんの腕に、お前の恋人がつけているはずの腕輪を見付けたんだ! 言い逃れは出来ないぞ!」
普段どもるくせに、火事場の馬鹿力というのか、つっかえずに言い切った。
まあ、叫んでいるし、よく聞こえたよね。
……もちろん、奴も聞いている、よね。
…………というか、今思考が飛んでいたけど、何だよ盗聴機械って!
いつの間につけたあの野郎!!
まさか居住部屋にもつけてないだろうな、私普通に着替えているんだぞ!
そういえばステラの変装もしているし! 最悪だ……!!
「……見間違いじゃないのか」
奴がぼそり、と溢した声があまりに弱々しい。
男性客は、「まだしらを切るのか!」と、這いつくばいながら、懐を探りだした。
私は武器を出すのかと警戒したのだが、手に取ったのは、紙切れのように見える。
どうやら写真のようだ。
「この腕輪だろう!」
まさか、私の袖が破れた時のか?
どうかそうでないことを祈る。
さすがに、写真は小さくてここからよく見えない。
だが、奴が何も言い返さない所を見ると……
ああ、もう、どうでもいいや。
家に帰ったら、徹底的に機械を探して処分しないと……。
奴は全く動かず、反応を示さなくなった。
……そうだよな。恋人の正体が、全く好みじゃない上、以前嫌がらせしようとしてたくらい気に食わない相手だもんな。
……きっと、失望したよな。
誰もが動かないでいると、一つだけある扉の方から、ガタガタと大きな音がした。
やがて、扉が壊されたと同時に、新たな男達が部屋に入ってくる。
倒れている連中と違って、こちらはまだぴんぴんしていた。
このタイミングで増援か。
どこから沸いたんだ。
よって集って、一人を苛めすぎじゃないか?
若い男の中から、むさいおっさんが出てくる。何か偉そう。
奴に向かって喋り出した。
おっさんの声なんて耳を通したくもないので、ざっくり聞き流すが、盗聴野郎はおっさんの息子で、おっさんはこの商会のトップらしい。
どもり野郎、ボンボンかよ。
そしてこれは記事の通りで、捕まった元部下の男と手を組んで、色々悪いことしていたという。
律儀に仕返しとは、元部下の男も捨てたもんじゃない……と思ったら、息子の個人的な恨みを晴らすためだったとほざいた。
元部下の男、関係ないんかい。
おっさんが偉そうに、「やれ」と言った瞬間、男達が襲い掛かかる。
奴を見るが、動く様子はない。
――何をぼうっとしているんだ!
あと少しで、男達の手が届いてしまう――
私は舌打ちした。
天井の床板を割り、体を部屋へと落としていく。
もう、どうにでもなれ。
突然現れた私の姿に、全員が目を丸くしていたが、構わず地面を蹴って突進する。
奴を横切った。やはり、疲れた顔をしている。
もう休め。あとは、私がやってやるから……。
こんな連中、私の敵ではない。すぐ終わらせてやる。
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