腕輪と恋の自覚
部屋に入ると、中央にソファが置いてあった。
前に来たときはなかった物だ。
入った瞬間気付いていたが、ソファに奴が寝そべっている。
窓際に向けられたソファは大きく、奴の体がギリギリ収まらないくらいだ。
足を曲げているが、あれだと足が辛いだろう。
仰向けで、寝息をたてている。
あれ? 寝息?
疑問に思い、そろそろと奴に近付く。
顔を見るが、やはり眠っていた。
おいおい、らしくないな。こいつなら侵入者がいればすぐ目覚めそうなものだが。
よく見ると、疲れきった顔に見えた。
何なんだ、この憔悴ぶりは……。
奴の眠りは浅いようで、瞼の下が動いているのが分かる。
こいつは今、夢を見ているのだろうか。
そこに、ステラはいるのだろうが。
……いやいやいや、夢とか、何を考えているんだ私は。
どうでもいいだろう、そんなこと。
何だか最近変だ。どうかしている。
深呼吸して落ち着け、私。
「……ら」
奴の口から漏れた声に、吸った息を変なところでのみ込んでしまった。
「ステラ……」
今度ははっきり聞き取れる。
思わず、じっと奴を見つめた。
切なげに眉根を寄せて、時々魘されていた。
私の夢を見ているのだ。
何がそんなに苦しい? 私は目の前にいるんだぞ。
それは無意識の行動だった。
気付けば勝手に、私の手が動いていた。
そのまま奴の眉間に指を伸ばし、弱い力で揉んでやる。
そんなに皺を増やすんじゃない、と言うように。
私の首が、熱を持っていた。
よくよく意識すれば、耳も、頬も熱い。
自分の行動に途中で気付いたが、止められなかった。
早く目を覚ませばいいのに。
そうすれば、こいつの喜ぶ顔が見られる。
きっと泣きそうな顔で、口づけてくるのだろう。
窓から差し込む月明りが、銀の腕輪に反射する。
光が奴を照らした。
奴と会う夜は、思えば、いつも月が明るいな……。
ぼんやりと、そんなことを思う。
ゆっくりと手を離した。
腕を降ろし終えた時、奴は目を開けていた。
驚いた顔をしている。
「よお」
今までになく、気さくに話しかけてみたが、奴はさらに混乱したようで、何も言わない。
まあ、寝起きだし、仕方ないな。
「悪かったな、来てやれなくて」
奴は目を見開いて、「夢か……」と呟いた。
夢じゃねえよ。
「なあ、この腕輪、外してくれないか」
言った途端、奴は勢いよく起き上がった。
「別れたいのか!?」
悲壮な表情を浮かべている。
「そうじゃない」
ただ、純粋に怖い。
ステラが、エステルだとバレるのが。
昼間会って思ったけど、クルッツは、エステルに対してはまるで態度が違う。
いや、ステラに対する態度のほうが、他と違うのか。
どちらにせよ、腕輪が原因でバレたくない。
だから外してほしい。
お祖父様の店を守るために始めたことだったけど、私は、奴に会う事が、どうやら嫌じゃないみたいだ。
認めよう。
私は、ユオ・クルッツに嫌われたくないんだ。
「ステラ、正直に答えてくれ」
奴が、正直に、と言ったので、少し緊張する。
身構えていると、奴に手を引かれ、ソファに座らされた。
「本当は、俺のこと、嫌いだったか?」
握ったままの、奴の手が冷えている。
嫌いだったか、と言われれば、その通りだ。
私はそのまま答えた。
「ああ」
奴は明らかに、傷付いた顔をする。
すかさず私は続けて言った。
「でも、今は……」
なんと言おう。
「今は?」
「……嫌いじゃない」
何の捻りもない。まあ、捻る必要も無いか。
私が来ない間、奴は不安だったのだろう。
さすがに悪いと思うので、これくらいは言ってやってもいい。
「私の事、探していただろう。何故腕輪を使わなかった」
私が気になっていた事を聞くと、奴はよく分かっていない顔をした。
「どうせ、発信器でもつけてあるんだろう?」
ようやく意味を理解したらしい奴は、否定する。
「そんなことして、ステラに嫌われたくない。それに、発信器が付いているなら、何日もステラに会えない日を耐えたりしない」
今度は私が理解できない番だった。
「だが、無理矢理外したら大変なことになるって……」
他にも恐ろしい機能が満載ではないのか?
奴はさっと目を反らす。
まさか……。
「ただ外されたくなかったから、嘘をついた。すまない……。それはただの腕輪だ。ステラが俺の恋人だって印を、身につけて欲しかったんだ」
なんという事だ。ただの腕輪に今まで怯えていたなんて。
黙りこんだ私を、怒りによるものだと思ったようで、奴は落ち込んでいる。
懸念事項はそれだけではないらしい。
「ステラは、気に入らないか? その腕輪……」
私が外してほしいと言ったことを気にしているようだ。
「……いや」
ショボくれる奴を見て、私はつい素っ気ない言い方をしてしまった。
何か、可愛い……じゃなくて。苛めてやりたくなるだろう。つい。
腕輪の件は、実害がないなら、別に付けていてやってもいいかな。
恋人の印っていうのが気にくわないが!
デザインは気に入っていたからな!
それから、空が白むまで、一緒に過ごした。
これからの事を考えなければならないが、正体を隠している以上、これ以上は進めない。
一緒に住むなどもっての他だ。
だが、私の事を嬉しそうに見つめてくる奴を見ていると、何も言えなくなった。
別れようなんて言えない。
結局、物凄く引き留めてくる奴を何とか引き剥がし、部屋を出た。
その際、絶対にまた来ることを約束させられ、私からキスをしろとねだってきた。
面倒だったが、奴があんまりしつこいので、去り際に唇を押し付けてやる。
すぐ離れて飛び降りようとした時、一瞬見えた奴の顔。
至高の果実を口にした時のような、誰から見ても蕩けている幸せそうな表情だった。
落下しながら、私は自分の心臓の音が聞こえてくるようだった。
ああもう! うるさい!!
ばくばくと治まらない鼓動をもて余す。
無事着地した後も、火照る頬を隠すようにしゃがみこんだ。
あ、私もともと布で覆ってたわ。
間抜けな自分が恥ずかしくなり、駆け出した。
日が上りきる前に帰らなければ。
夜はこの格好がベストだが、昼間だともろに不審者だ。
お祖父様も年齢のせいか、年々早起きになってきたからな……。
気を付けないと。
それから、何とかしなければ……と思いつつ。
既に一週間が経過していた。
いつものように、お祖父様のお店で御守りを売りつつ、昼頃には買い出しに出かける。
出掛けた先で顔見知りと会うと、ここ最近の私は機嫌が良く見えるらしく、大抵同じ言葉をかけられた。
「エステルちゃん、何だかご機嫌ね?」
言われて、そんなに以前と違うだろうか、と思う。
私の猫被り笑顔に磨きがかかってしまったか……。
まあ、機嫌が良いのは否定しない。
腕輪の呪縛から逃れたのは大きかったようだ。
発信器と爆弾が内蔵された(と思い込んでいた)腕輪と、繊細な造りのお洒落な、至って普通の銀の腕輪だったら、つける人間の心持ちも大分違う。
いやあ、開放的だ。
愛想よく、「そうですか?」とか、「ええ、そうかもしれません」とか、当たり障りのない返事を適当にする。
「もしかして、恋人でも出来たの?」
話していた女性が爆弾を投下する。
不覚にも、顔が赤くなるのを抑えられなかった。
私の顔色を見た女性が、「ええ! 本当にそうなの!?」と大声を出すので、慌てて止める。
「あ、あの、声を抑えて……恋人なんていません!」
「いや、いない顔じゃないわね」
「ほ、本当にいません」
「そっか……片想いなのね? 大丈夫、エステルちゃんならすぐ捕まえられるわ」
聞いちゃいねえ。
確かに、ステラと奴は仮にも恋人かもしれないが、私はエステルとして生きていくのだ。
いずれは解消する関係だ。……未だに、言い出せないでいるが。
「エステルちゃんも恋する乙女ね~、そうだ、関係無いんだけど、クルッツ商会のトップ、人探し止めたみたいね? 見つかったのかしら?」
関係あるある。
私が毎晩奴の部屋に行っているからな。
「そうなんでしょうね」
まあ適当に笑っておく。
しかし、奴はまだ私を男だと思っている。あの鈍さは何なんだ。
「君も男だから分かるだろうが……」ってたまに話を振ってくるのが、居たたまれない気持ちになる。
頼むから際どい話は避けてくれ、私は女なのだ。
バラす訳にもいかないので、考えても仕方がない事なのだが……。
「ただいま帰りました」
店の入り口から戻る。どうせすぐ接客に回るので、正面から入っていいとお祖父様に言われているのだ。
「おかえり、エステル」
穏やかに言うお祖父様。
そのすぐそばに、またしても見覚えのある背中が立っていた。
その人物はゆっくり振り向くと、「邪魔している」と愛想悪く言った。
端正な顔立ちは、今は冷やかに固まっているが、恋人の前では甘く蕩けることを知っている。
何故、ユオ・クルッツがここに。
「君に一言、言いたいことがあって」
抑揚のない声で奴は告げる。
不安に思ってお祖父様を見るが、此方はにこにことしている。
え、何なの?
「役に立たないと言ったが、訂正する。君が売る護符は、ご利益がありそうだ」
突然どうした。
ぽかんとしている私に構わず、奴は続ける。
一言じゃねえ。
「君が言ったあと、本当に会えた。それだけ言いに来た」
何の事かと思えば、路地裏で奴と会った時の事か。
そんなことのために、わざわざ来たのか?
あの、ユオ・クルッツが?
何と言うか……本当に性格変わったな。
心当たりがあるだけに、ますますステラの時、切り出しづらくなる。
お祖父様の様子を見るに、似たような事を言ったようだ。
「邪魔したな」
最初と同じ事を言って、奴は店を出て行った。
扉が完全に閉まり、ベルが鳴り止むまで、私はクルッツが居なくなった方を眺めていた。
「エステル」
お祖父様に呼ばれて、我に返る。
「はい、お祖父様」
「クルッツ殿は、丸くなったな」
お祖父様は嬉しそうだ。
どうしよう。
ステラが奴の前から消えたら、奴はまた、憔悴しきってしまうのだろうか。
それとも、前のような性格に戻ってしまうのだろうか。
どうしよう。
気持ちが乱れていた私は、手を滑らせて、買い物袋を落としそうになった。
つん、と糸が引かされる感覚があった。
ついで、ビリ、と布が破ける嫌な音がする。
「おっと!」
慌てて駆け寄り、お祖父様が受け止めてくれた。
「ありがとうございます」
ほっとしたのも束の間、お祖父様は無言になって、ある一点を凝視している。
目線を追って、背筋が冷えた。
私の服は、袖口が裂けて、銀の腕輪が露出していたのだ。
銀の腕輪。
まずいと思った。
隠すようにつけていたのを見られたのが良くない。
変に勘繰られてしまうかもしれない。
いや、冷静になれ。
別にユオ・クルッツに見られた訳ではない。
お祖父様にとっては、ただの腕輪だ。
例え銀の腕輪の少年を、奴が探している噂が広がっていても、それだけで結びつけることはないはずだ。
私が何か言う前に、お祖父様は朗らかに笑った。
「もうエステルもそんな歳かあ。綺麗な腕輪だな。恋人からもらったのかい?」
ユオ・クルッツの探し人が恋人だという噂は、広がっていない。
「え、ええ。そうなんです」
深く考える余裕もなく、私は、答えていた。
「破けてしまったので、縫ってきますね」
逃げるように、奥の部屋に行く。
すぐに顔を背けてしまった私は、お祖父様の表情が変わったことに気付かなかった。
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