焦がれる人

 

「若い娘が、一人でこんなところを歩いて……感心しませんねぇ、襲ってくれと言わんばかりですよ」


 男は舌舐めずりすると、私に近付いてくる。

 そちらこそ一人で何をしていたんだと思ったが、わざわざ聞くこともない。

 さて、どうするか。

 私は冷静に相手の男を観察する。

 見ると、身なりは乱れて、薄汚れていた。

 解雇されたからといって、こんなにすぐ転落するだろうか。

 そう思っていると、男は聞いてもいないのに、勝手に身の上を語りだした。


「あの男は、ユオ・クルッツはね、私を信頼して側に置く振りをしながら、その実、私の弱味を探り、犯罪の証拠を集めていたのですよ。ああ……侮っていたのは認めますが、してやられました。犯罪と言っても、誰もが手を染めているようなことでしょう? 何故、私が解雇され、挙げ句の果てに、牢屋に繋がれなければならない? おかしいでしょう、クルッツに報復してやらなければ、私の気が収まりませんよ……」


 男はぶつぶつと言った後、暗く笑った。

 私は得心がいった。つまり、牢屋から逃げてきたのだろう。

 しかし、ユオ・クルッツがそこまでしていたとは、知らなかった。

 人を見る目がないと思っていたが、こうするために泳がせていたらしい。

 奴がどんな奴なのか、いよいよ混乱してくる。

 あまり惑わせないでほしい。



 ユオ・クルッツのことは、取り合えず考えないようにしよう。

 目の前の男に集中する。

 男はじりじりと迫ってきていた。

 私も一応、怯えた表情を作り、後ずさる。

 両手を祈るように握り、体を震わせながら、頭では冷静に男を観察した。

 男は私の様子を見て、獲物を狩る強者の態度である。

 相手が何も出来ない小娘だと決めつけて、どうしてやろうかと、悪巧みしている顔だ。

 小物にも程がある。

 一人で何をするつもりか知らないが、私に近付こうものなら、痛い目にあうのは男の方だ。

 殺しはしない。

 だが、顔を見られている状態でやると、後々面倒だ。

 状況を理解する前に沈めてやる。


 男は奇声をあげながら、私に向かって走り出した。

 全く、興ざめだな。

 くだらなくて欠伸が出そうだ。

 冷めた心境で迫り来る男を見ていると、男は突然立ち止まり、動きを止めた。


 何だ? まだ何もしていないぞ。


 そのまま、男の体がゆっくりと傾く。

 べしゃり、と音をたてて地面に倒れた。


 それきり動かない。


 死んだか? と思いつつ、持病でもあったのかと、そっと男に近付き、顔を見た。

 昏倒しているようだ。

 まじまじと見る。

 顔から辿っていくと、首のあたりで、うなじが赤くなっているのを見つける。

 針で刺された跡のように見えた。

 吹き矢か何かで、さされたような……



「うちの元部下が失礼した」



 不意に気配も無く、横から声がする。

 驚いて見ると、横に立っているのは、数日前まで毎夜会っていた男。

 ユオ・クルッツである。

 相変わらず、元プロの私よりも隠密だ。

 しかし、夜の逢瀬の時とは違い、冷ややかな表情で元部下の男を一瞥したあと、その目付きのままで私に視線を向ける。

 謝罪も形だけ、といった感じで、感情が籠っていない。

 すでに見慣れてしまった奴の顔が、目の前にある。

 そこに、ステラに向ける甘い笑みが浮かんでいないことに、何故だか動揺してしまった。

 これが奴の普段通りだというのに、あまりの違いに、訳も分からず不安になる。

 相手に何の価値も見出だしていないような、興味など少しも無いような顔で、奴が私の前に立っているのだ。

 何だか、とても嫌だ。

 何なのかよく分からないが、兎に角、嫌だと思った。


 どうして、奴がここに?


 エステルの姿をしている私は、ステラだと分からないように、すぐさま猫を被った。


「クルッツ様……ありがとうございます、助けていただいて……」


 さも、恐ろしい目にあったというように、自分の肩を抱く。


「あの、クルッツ様はどうして此方に?」


 奴は一度、ふん、と鼻を鳴らした。

 一々嫌味な態度をとらないと話せないのか? この男は。


「貴女には関係ない……と言いたい所だが、うちの不始末があるからな。忠告しておくが、貴女のような女性は、こういう道を一人で歩かないほうが賢明だ。面倒事が起こる」


 本当に嫌みたらしい言い方をする。

 いつも思うよ、さっさと用件を言え、と。


「人探しをしている」


 ドキリとした。

 このタイミングで、奴の探し人など、一人しか思い付かない。

 もしかしなくても、それは、ステラの事ではないのか。


「あの、この人はどうなったのですか?」


 私は床に転がった男を見ながら問いかけた。

 迂闊な話題は避けるに限る。

 自分で振っておいて何だが、探し人の話はそうそうに逸らさせてもらう。


 しかし奴は、普段なら考えられないことに、私に話し続けた。


「こいつは気にしなくていい。死んではいない……それで、探しているのは、若い男性なんだが……」


 余程切羽詰まっているのか、見れば苦悩の表情を浮かべている。


「いや、少年と言った方が正しいかもしれない。実年齢ははっきりしないが……」


 話を遮れる雰囲気ではなかった。

 そんなに、ステラに会いたいのか?

 何故、腕輪を使わない?

 それに、クルッツ商会の力を持ってしても見つけられないなら、私などに聞いても無意味だと思わないのだろうか。


 まあ、実際紛れもなく本人なのだが。


「何か、知っている事があれば教えて貰えないか。この件に関しては、報酬を用意して、広く聞いて回っている」


 奴の話す内容は噂通りだ。

 エステルの時の私にこんなに長く話すとは、本当に意外である。

 奴は早口で話していたが、よく通る、無駄にいい声だ。

 それが途切れた。


 奴は視線を落とし、口元に手を当てたかと思うと、掠れた声で呟いた。

 小さな声だったが、不思議とはっきりと聞き取れる。


「もう、形振り構っていられないんだ。その人は……俺の、恋人だ」


 何か口に含んでいたら、間違いなく吹き出していた。

 いや、良かったよ、何も飲んでいなくて。

 掠れてる方がかえって色っぽい声しやがって!

 何だよ顔赤くして、乙女か!

 ……駄目だ、錯乱している。

 一般人である私に、「男の恋人がいる」とか言っていいのか、お前。

 気にしないのか? 広まるぞ?

 マジで形振り構ってないな……。


 それ、私です。と答える訳にもいかないので、知らない振りをしよう。


「存じ上げませんわ……お力になれず、申し訳ありません」


「……そうか」


 返事は弱々しい。

 たいして期待していなかっただろうが、奴は落胆していた。

 表情はあまり変わらないので、非常に分かりづらいが。

 ……目の前で落ち込まれると、少し良心が痛む。

 原因は、私というか、ステラだしな。

 思わず慰めてやりたくなる。

 ……ほら、今夜会いに行ってやるから、元気出せ!

 元々、腕輪の件もあって、行こうと思っていたし!

 予定通りだし!


「あの、あまり気を落とされないほうが宜しいと思います。気休めですけれど、すぐまた会えますわ」


 奴からすれば何の根拠もない発言だ。

 一応返事はしつつも、鵜呑みにしてはいない事が、表情から分かる。

 しかし、本人が言うのだから、事実なのだ。


「今日は自室でお休みになられては? 今夜はいいことがあるかもしれません。きっと」


 近所では評判だが奴には全く通用しないとびきりの笑顔で、私は言った。




 深夜。

 闇夜に紛れて、窓辺に降り立つ。

 言うまでもないが、ユオ・クルッツの自室だ。

 もう何度目になるだろう、この部屋に来るのは。

 そっと忍び込むのも馬鹿馬鹿しいので、私はわざと音を立てて、浸入する。

 こっそり入っても、どうせ見つかるしな。

 奴のほうが上手なのは、もう否定しようがない。

 プライド? はは、既に私は善良な一般市民なので気にならないな! …………うん。そうだとも。

 さて、奴は素直に待っているだろうか。

 全く……世話のやける男だ。

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