逃げと恋人捜索

 

 翌朝。

 前回と同様で、特に説明するようなこともない。

 店に戻るまでも大体同じだ。

 だが、これを繰り返すとなると、お祖父様に気付かれないかが心配である。

 奴にはまた来るよう、念を押されてしまった。

 暫くは通わなければならないだろう。

 ……何だか、面倒な事態になったな。

 通わないと駄目か………。


 朝から重い気分の私に、気遣わしげな声がかかる。


「エステル? 溜息をついて、どうかしたのかい 」


 お祖父様に聞かれてしまったようだ。


「何でもありませんわ。最近、色々あったものですから……クルッツ様が、撤回して下さって良かったなと、考えていましたの」


 にこりと、笑みを浮かべる。

 お祖父様も深く同意した。


「ああ、本当に。しかし、急に態度が変わるから、驚いたな」


 あれからお祖父様はずっと不思議そうにしている。

 私は事情を知っているが、「何かあったのでしょうか……?」と嘯いた。


 奴との恋人契約は、いつまで続ければいいのだろう。

 気長に、奴が飽きるまで待つしかないのか。

 今度はお祖父様に聞かれないように、また溜息を吐いた。




 不服ながら、私は毎晩、奴の部屋に通った。

 その度に、あの恋人対応である。

 奴は毎度嬉しそうだが、私は窶れそうだ。

 腹立たしい。


 腕輪も恐ろしかった。

 まだ爆発などはしていないが……無闇に弄ってそうなると嫌なので、何も出来ない。

 奴から逃れるためには、まず腕輪を何とかしないといけない。

 しかし今の私には伝もなく、自分の力では外せそうにない。

 結局、奴に従うしかない状態だ。


 昼間は、袖口の中に腕輪を隠して過ごした。

 ユオ・クルッツが、あれ以降店に来ることは無いが、何処で見られるか分からないから。





 何度目かの夜、いつものように口付けたあと、奴はそわそわと切り出した。


「準備が整いそうだ。後は、ステラが来てくれれば完成なんだが……」


 はて、何の話だ。


「一緒に暮らそう、ステラ」


 目を合わせて数秒。

 両手を捕まれた。

 逃がさない、と言うように。

 奴は本気だった。


 やばい忘れていた……。

 そういえば、そんなこと言っていた気がする。

 というか私は本気にしていなかった。


 ええー……私は準備とか全くしていないんだが。

 末長くお祖父様と暮らすつもりだし。

 この茶番いつまで続くんだ?


「……まだ、無理だ」


 取り合えず、準備が終わってない体でお茶を濁そう。

 嘘はついてない。

 疑う素振りはなく、奴は残念そうな声を出す。


「そうか……俺はいつでも大丈夫だから、手伝う事があれば言ってくれ。ステラが昼間することに支障があるなら、住む場所も変更する。希望はあるか?」


「……考えておく」


「ああ。ステラの住みたい所で、二人で暮らそう」


 いい笑顔で言い切るが、こいつ頭大丈夫なのか。

 クルッツ商会はどうするつもりだ。

 私の知った事ではないが……。




 次の晩、私は奴の所へ行かなかった。


 あのままでは、奴は私に飽きる様子がない。

 少し間をおいた方がいいと思ったのだ。

 そのうち我に返るだろう。

 最近の奴を見ていれば、私が少し行かなかったくらいで、また店を潰すとは言い出さない気がする。

 そろそろ潮時だったのだ。

 奴と関係を絶つ事は。



 腕輪を辿って見つかるかと思ったが、何日過ぎても、奴と私が会うことはなかった。

 奴にとってはやはり、その程度の気持ちだったのだろう。

 このまま何事もなく、忘れ去ってくれればいい。

 今度は失敗しない。


「ありがとうございました」


 お守りを買いに来た客に、愛想よく挨拶する。

 私が微笑むと、客は気分が良さそうに帰っていった。

 うん、本調子だ。

 最近は自分の布団で寝られているし、煩わしいこともない。

 上手くいっている。


「お祖父様、食材を買ってまいります」


 買い物に使う布袋と、硬貨を持ち、扉に手をかける。


「気を付けて行っておいで、エステル」


 お祖父様に見送られて、店を出た。



 体は本調子なのだが、何か、心にわだかまりがあった。

 別に奴に会いたい訳ではないが、もう少し粘るというか、骨がある奴かと思っていた。

 拍子抜けである。

 全く音沙汰なし、居場所が割れていないのなら良いことだ。

 だが、あの熱意は何だったのだ。

 もやもやする。


 買い物中には、その店の人にも、「エステルさん、浮かない顔ねぇ」と言われてしまった。

 いけない。考え込むと、笑顔が崩れる。

 ついでと言った風に、「そう言えば知っている?」と話を振られた。


「何がですか?」


「いえね、クルッツ商会のことなんだけど。」


 嫌な予感がする。

 笑顔で固まっている私が聞かされたのは、予想に反して、ステラの事ではなかった。

 ……なんだ。

 いや、なんだじゃない。良かったじゃないか、ばれていなくて。


「クルッツ商会のトップの、右腕みたいな人、解雇されたらしいわよ」


「え!?」


 右腕と言っても、分からん。

 もしや、あの下劣な部下のことか?


「あの、以前クルッツ様のお側にいた方でしょうか?」


「エステルさんも見たことある? いやーな目つきの、ニタニタしている気持ち悪い男よ」


 どうやら間違いないようだ。

 何故突然、そんなことになったのだろう。


「何だか知らないけど、商会の不利益になるものを一掃しようとしているって噂よ」


 あの男、切り捨てられたのか。

 無理もない気がするが。


「それから、人探しもしているんだって。銀の腕輪をした少年を見つけたら、褒賞金が出るとか」


「………詳しいですね」


 一度逃れたと思ったら、戻ってきた。

 銀の腕輪をした少年、って私のことだよな……。

 あれか、敢えて噂を流して、自主的に戻らせようとしているのか?

 本当は居場所も何もかも分かった上で、奴の掌で遊ばれているだけだとしたら。

 ……考えたくない。


 帰り道、服の上から、腕輪の感触を確かめながら歩いた。

 何かの拍子に見つかったら大変だ。

 外してもらうのが一番いいのだが、また奴に接触して、了承してもらえるだろうか。

 試す価値はあるんじゃないか?

 奴には会いたくないがな。

 そう、腕輪を外してもらうために仕方がなく、だ。

 これはやむを得ないこと。

 もしかしたら、もう私に興味を無くして、あっさり解放してくれるかもしれない。

 ……その可能性も、あるのだ。

 まあ、どうせ奴のこと、何かと引き留められそうな気もするな。

 そうなれば少しくらいは、相手をしてやってもいい。

 ああ、面倒だが、仕方がないな。


 思考の区切りがついたところで、微かに異音が耳に入った。

 よく聞き取ろうとすると、どうやらそれは、人のうめき声のようだ。

 どこからだ?

 私は音のする方を辿った。



 音が耳についたのは、人通りが少なくなったからだ。

 辺りは閑散としている。

 考え事をしながらも、無意識に近道をしようとしたらしい。

 人目があるので、昼間はあまり通らないようにしていたのだが、うっかりしていた。

 エステルとしての私は、か弱い娘のつもりなので、危険がありそうな道は避けて通る。

 普段のイメージ作りは大事だ。

 しかし、来てしまったものは変わらないので、そのまま進む。


 声は路地から聞こえてくる。


「ううぅ……ぁ、ぜ、」


 近づくにつれ、明瞭に聞き取れた。


「……なぜ、私が……クルッツめ、……」


 足を止める。

 不穏な声だった。

 今、クルッツと言わなかったか。

 それに、この声には、聞き覚えがあった。


 気配を気取られたはずはないのだが、声の主は、「誰かいるのか!」と突然叫びだした。


 当てずっぽうで言っているだけのようだが、いかんせん、まずい。

 私のいる方へ足音が近付いてくる。

 逃げた方が良さそうだ。

 しかし、急に目の前を飛んできた物体に、行く手を阻まれる。

 瞬間、耳をつんざく不快な音が響き、私は思わず耳をふさいだ。

 音響弾だった。

 日常的に使うものではない。こんなものを持ち歩くということは、相手は厄介な人間であることが多い。

 少なくとも、一般人ではないだろう。


 昼間ということもあって、気が緩んでいた。

 私が止まった僅かな間に、路地にいた人間に追い付かれてしまう。


 私の姿を捉えて漏らした声は、やはり覚えがあり、不愉快な記憶が頭を過る。


「おや……アーカーシュの店の娘ではないですか……」


 見たくもなかったが振り返る。

 視界に入ったのは、気味の悪い笑い方をする男。

 ユオ・クルッツの部下の男だった。


 先程の話が本当なら、元、が付くが。




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