意外な顔

 

 懐かしい呼び名に、目を見開いた。

 こいつ、こいつ………!!

 怖気を震う。

 こいつは、今日偶然やってきた暗殺者を捕まえた訳ではないのだ。

 組織から姿を消した、ステラを知っている。

 死んだことになっているステラを、私だと断じた。

 何処まで……何を知っているのだ。

 私が、一人で計画したこの暗殺も、最初から分かっていたのか?

 いつから?

 侵入した私を見て、驚いたように見えたのは演技だとしても、そもそも私が来ることを知っていたのなら……

 震えが止まらない。

 お祖父様が、危ない。

 店に来たのは、私を炙り出すための罠だったのではないか。

 エステル・アーカーシュを演じる、ステラという名の、殺し屋を。

 私が殺されるだけならましだ。

 お祖父様が、組織との関与を疑われ、拷問にかけられでもしたら。

 私もそうだ。

 絶対、どんな目にあわされようと、お祖父様のことだけは口を割らないが、もう疑われたあとならば、どうにも出来ない。

 殺されている場合ではない……!


「……何が目的だ」


 正体がばれていない、一縷の望みにかけ、一応低い声を出す。

 昔は、声を変える訓練も受けていた。少年くらいには思ってくれるはずだ。


「……ステラ、で合ってるか?」


 私の声を聞いて、少し黙りこんだクルッツが、再度確認してくる。


「だとしたら、なんだ」


 肯定とも取れる言い方をすると、奴は、戸惑う素振りを見せた。


「その……」


 言いかけたまま、また口を閉じた。

 此方は綱渡り状態どころか、もう落下中の身なので、待たされると腹が立つ。

 心の余計がない。

 言う気になったのか、奴が、口を開いた。


「君は、男性なのか……?」


 ……今日は呆けてばかりいる気がする。

 言うに事欠いて、何だ、その質問は。

 こいつは、私が、昼間会った女だと気付いているわけではないのか?

 好都合かは分からなかったが、とりあえず肯定しておく。


「そうだが」


 それを聞いた奴は、眉を寄せ、渋い顔をした。

 怒りとはまた違うが、複雑そうな表情である。

 やがて、悩むような、葛藤するような唸り声をあげ、暫くそのままだった。

 まだなのか。


「俺は、君のことが好きなんだ。その……恋愛の、対象として」


 随分待たされたあとに言い出したのは、戯れ言の続きである。

 いや、その話はもういいから、さっさと本音を言えよ。弄ばれる側は必死に生きようと足掻いてんだよ。


「昔会ったときは、女の子だと思っていて……男性だとは、少しも、考えてなくて……だから……」


 だから、なんだ。

 奴は何の話をしているんだ? 設定か?


「男性だったからと言って、諦められるほど、半端な気持ちじゃない。絶対に、恋人になってほしい」


 沈黙。

 ……ええと。

 随分濃い、設定だな。

 あと、絶対に、ってなんだ。

 ほしい、ってやんわり言ってるけど、ゴリ押しじゃないか。

 何となく、私の思っていた展開ではないような気がしてきた。


「君は、どれだけ調べても、死亡した所で終わってしまうんだ。信じたくなくて、俺はいつの日からか、君が俺を殺しに来るのを、夢見るようになった」


 ちょっと言っている意味が分からない。

 しかし奴の目は真剣そのものだ。

 引きまくっている私を気にせず、奴は話を続ける。


「ステラが、悪人ばかりを担当する殺し屋だと知って、ターゲットになりやすいように、悪人に思われる努力をした。でも、ステラ以外に狙われたら意味が無いから、自衛もできるように鍛えた。情報では、ステラは死んだことになっていたが、どうしても忘れられなくて……現実逃避みたいなものだな……」


 その口ぶりではまるで、本当は悪人ではないようではないか。

 お祖父様に乱暴しておいて、白々しい。

 こいつの言うことは何も信用できない。

 だが、結局目的も見えてこないな……。


「自室も、出会った日の部屋を模してみたんだ。そうして、あの日のように待っていて、今日もだめかと思ったら……君がいた」


 うん?

 何か今、気になることを言っていたような。


「俺のこと、覚えてない……よな」


 それきり奴は言葉を止めた。

 何なんだ、一体。

 それにしても、何かひっかかるな……。

 出会った日、って何だ。

 私は奴の顔をよく観察した。

 男のくせにサラッサラの綺麗な黒髪むかつく……

 黒髪、あの日、部屋。

 部屋といえば、そうだ。入った時に、似ていると思ったんだ。

 あの夜と同じだと。


 ……まさかな。


「……一応確認するが、お前、出会った日とはどういう状況だった」


 埒があかないので、仕方がなくいまだに私を拘束している奴に聞く。

 ぴくり、と反応があった。


「……殺されそうになった俺を、助けてくれた。君は俺を庇って……怪我を負ったのに、安全な場所まで送り届けてくれたんだ」


 奴の言葉を聞いて、確信する。

 私が誰かを庇って怪我を負ったのなんて、あの夜くらいだ。

 間違いない。

 こいつは、あの時助けた子供だろう。

 最後の任務でやらかしたへまが、こんなところで響いてくるとは。

 どうせ、組織から消えるならば、あんな子供助けなければ良かった。


「……忘れるわけあるか。私の実績についた唯一の汚点だ」


 喜ばそうとしたつもりはないのだが、奴は声を弾ませた。


「………俺も! 一度も忘れたことなんかない! 良かった……俺のこと、覚えていてくれたんだな」


 嬉しい……と、本気で心底喜んでいる。

 おい、どういう解釈したんだよ。

 汚点だって言っただろう。


「俺は、本気だ。本気で君が好きなんだ。だから……」


 かちゃり。

 嫌な音がする。

 具体的に言うと、手首に枷的な物をかけられた音がした気がする!

 奴が自ら体を離した。

 枷のようだと思ったのは、片手にしかついておらず、銀の、細い腕輪だった。

 体は解放されたが、自由になった気は微塵もしない。

 これがただの腕輪な訳が無いからだ……

 最低でも発信器やら超小型爆弾やらは内蔵されているに違いない。

 目の前にいるのは、天下のクルッツ商会だ。最新技術を惜しみ無く使っただろう。


 奴の笑顔が恐ろしい。


「ステラ。逃げないでくれ」


 こいつは、私をどうする気だ?

 腕輪を付けたことで安心したのか、奴は余裕そうだ。先程の必死さは無い。


「その腕輪、無理に外したら大変なことになるから、無茶はするな。この都市からは出られないから、それも気をつけて。本当は帰したくないが……日中は俺も家を空けているんだ。今日のところは泊まって行って、明日帰るといい。い、一緒に寝よう。俺も、仕事の調整して、一緒に過ごせるようになるから……それまでは、今まで通り生活していてくれ。荷物の整理もあるだろう? あと、毎晩会いに来てほしい、待っているから……」


 奴は一気に捲し立てたが、いや、今までで一番、何言ってるかわからん。

 何だ。もうこいつのなかでは恋人確定なのか?

 というか、結局私は殺されないのだろうか……。


「だ、駄目だ」


 くそっ!声が震える!

 反論しようとしたが、まだ恐怖が抜けない。だって不気味だろう、こんな奴。


「お前のことは信用できない」


 もう、何が正解か分からない。

 生きられるなら、私はお祖父様の元へ帰りたいんだ。


「交換条件がある」


 こんなことを言い出せる立場ではないことは分かっている。


「お前の条件をのむかわりに、お前が不当に潰そうとしている店から手を引け」


 奴が交渉を受ける必要はない。私は既に奴に捕らえられているのだから。

 言うことを聞くことなんてない。

 でも、もうこれしか方法が無いのだ。

 奴はまた少し考えて、私に確認してくる。


「そうすれば、ステラは俺と一緒に寝てくれるのか? 恋人の俺に、毎晩会いに来てくれるか?」


 気にするのそこか。というか勝手に恋人にするな。


「……お前次第だ」


 本当にな、お前の気紛れ次第でお祖父様のお店の命運が決まるんだよ。


「……分かった。だが、店が多すぎる。何処までが不当だ? 結構悪どい商売をしているところもある。ステラが選んでほしい」


 お前のところが一番悪どいだろうが。

 本音はさておき、奴が挙げた店の中には、しっかりアーカーシュ護符店も含まれていた。

 これも無駄かもしれないが、一応特定されないように、他の店と一纏めで救済させることにする。


「交渉成立だ」


 私は念押しで奴に言う。

 まだ安心とは言えないが、お祖父様を危険にさらさないためにも、保険はかけておいた方が良い。


「ああ、約束する。じゃあ、寝ようか」


 奴は笑顔で承諾し、話が終わった途端、私を抱き上げた。

 完全に油断していた。まだこういうことするのか、こいつ。

 その無駄な早業やめろ。


 ベッドに優しく横たえられ、奴も隣に寝そべる。

 布団をすっぽりとかぶった。

 それどころではないのだが、高そうな寝具だな……と、何処か逃避気味に考える私がいる。

 ここまでくれば予想はしていたが、奴は私を抱き締めて、体勢を落ち着けた。

 一応私は男設定なんだが、それでいいのか。抵抗感とかないのか。

 まあ……いいか。疲れた。

 もうどうにでもなれ……。


 私はそれ以上意識を保つことが出来なかった。

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