場違いな発言

 

 現在に戻る。

 昼間店に来た、ユオ・クルッツ。

 借金をしているわけでも、他所に迷惑をかけているわけでもない、善良なお守り屋さんを閉店に追い込もうとしている、許し難い男。

 ろくでもない部下を連れ、私に身体を売れと言う。

 あの部下の、にやけた気持ちの悪い顔を思い出すと、吐き気がする。

 クルッツは本人も屑野郎だが、人を見る目もない。

 救いようがないな。

 よし、殺そう。

 というわけで今は深夜なのだが、現役時代の技を駆使して情報を集め、ユオ・クルッツの寝所を特定したところだ。

 相当なブランクがあるというのに、意外と簡単に潜り込めた。クルッツ商会も不用心である。

 私は軽やかに身を踊らせ、寝所の窓辺に降り立った。

 闇に紛れる黒一色、あの夜のように、目元以外を黒い布で覆った。

 音もなく室内に侵入する。

 得物を握り、確認する。久しぶりだが、気持ちは驚くほど凪いでいた。

 これなら問題なく実行出来そうだ。

 部屋の中央まで進む。

 ふと、違和感を覚えた。

 何もないのだが、胸騒ぎがするのだ。

 なんだ?

 違和感の元を探して、あることに気が付いた。


 似ている。内装が、怪我を負った時の部屋に。

 無駄に広いが、金持ちの部屋にしては、質素過ぎる印象だ。

 あの夜を思い出してしまう。

 部屋の隅に目をやると、置物が置いてあった。大きな布が被せてある。そう、ちょうど、あんな感じだった。あの子供が隠れていたのは―――


 まさに見ていた布が、突然持ち上がった。

「……!」

 危うく声を上げる所だった。

 布の中から、人が現れる。私は窓を背にして立っていたから、月明かりが差し込んで、相手の姿がよく見えた。

 クルッツ本人である。

 クルッツは顔をあげて、硬直した。

 反応を見るに、今私の存在に気が付いたようだ。

 クルッツが何故隠れていたのかは知らないが、何にせよまずい。すぐに終わらせよう。

 得物を手にし、一気に間合いを詰める。

 最期に、恐怖に戦く顔を見てやろうか。

 そんな考えが頭を過る。

 この時はまだ冷静だった。

 しかし、至近距離で見た奴の顔は……


「!?」


 ……満面の笑顔だった。

 悪寒が走る。

 思わず、ざっと、距離をとった。

 すると、クルッツは眉を下げ、残念そうな表情で、こちらに手を伸ばしてくる。

 なんだ、こいつ!?

 得物を変えて、再びクルッツに迫っていくと、奴は嬉しそうに応戦した。

 ……応戦しただと?

 奴が何処からか取り出した長い刃物が、私の攻撃を弾いた。クルッツはその間もずっと、私の顔を見つめてくる。

 防ぐだけではなく、たまに切り返してくるのだが……速い!

 クルッツの頬は、高揚からか赤く染まり、殺し合いをしているというのに、蕩けるような笑みだ。

 ……気持ち悪い!!

 やがて、認めたくない事実が判明した。

 クルッツは、強いのだ。

 殺しを生業としていた私でも思う。あの夜の刺客などより、よっぽど。

 数年怠けていた私よりも、動きが速く、一撃も重い。

 つまり……屈辱的なことに――現時点で、私より強い。

 俄には信じ難いが、私もかつては玄人だったのだ。それが事実だと理解してしまう。

 何ということだ。クルッツの動きは、特別に訓練していなければあり得ない。命を狙われることもあるから、備えていたのかもしれない。自分の考えの甘さに歯噛みする。

 分が悪い。リスクは大きいが……退散するしかなさそうだ。

 今の私ではクルッツに敵わない。

 私は攻撃の手を止め、後ろに跳んだ。

 瞠目する。

 私の動きを見越していたかのように、一瞬速く、クルッツも地面を蹴っていた。

 奴はすかさず、覆い被さろうとしてくるが、私は直前で身体をひねり、何とか避けた。

 地に足がつく前に避けたが、着地の瞬間、死角から足をかけられ、背を床に倒れてしまう。

 以前では考えられない失態に、思わず舌打ちする。

 腹立たしいことに、覚悟した衝撃は感じなかった。

 奴が抱き留める形で、私の背中に手を添えていたからだ。

 鼓動が速まり、嫌な汗が流れた。

 時間にすれば、ものの数分だろう。

 私は敗北を悟った。

 暗殺に失敗したどころか、逃亡すら出来ない状況だ。

 おかしいだろう。クルッツ商会のトップが、素人じゃないなんて。

 普通は護衛される立場なのに、何で、私より強いんだよ。

 考えても仕方のない恨み言が、取りとめなく浮かんでくる。

 クルッツが、私の身体に両腕を回して、雁字搦めにした。

 身動きが出来なくなる。

 昔とは明らかに違うことを、今思い知った。

 私は、ぬるま湯に浸かりすぎたのだ。

 お祖父様の顔が、頭に浮かぶ。

 昔と違うこと……

 死を恐れるようになったこと。


(お祖父様は、きっと悲しむだろうな……)


 死にたくない。

 自分は人を殺そうとしたくせに。

 固い床に縫い付けられたまま、奴の手が首筋を辿る。

 首を絞められると思った。

 予想に反して、手は私の顔を滑り、目元から下を被う布を剥ぎ取った。

 月光で、私の顔が鮮明に見えただろう。

 顔を背けるくらいしか、抵抗できない。


「ああ………」



 恍惚とした声が、奴の口から漏れた。


「やっぱり、君だ」


 奴が私の顎に指をかけ、抵抗むなしく、正面を向かされた。そして、目を真っ直ぐに見つめてくる。

 両手で頬を包み込まれた。

 大切な物に触れるような、優しい手付きだった。


「ずっと……ずっと、探していたんだ」


 何故そんな、今にも泣きそうな顔をしているんだ。

 私のほうがよっぽど泣きたい。

 それに、言っていることも意味不明だ。

 暗殺者に会いたがるなんて、酔狂にもほどがある。気違いだ。

 両手が胴体から離れたことで、行けるかもしれない、と思った。

 諦めたように、力をぬいたふりをして、奴の体が一番離れる瞬間を狙う。

 体を浮かそうとしたのか、少し隙間ができたのを、私は見逃さなかった。

 膝に力を込める。渾身の一撃で腹を蹴りあげ、奴の体が一瞬飛んだ。

 勢いよく横に転がり、すぐに体制を立て直す。

 もう戦わない。とにかく逃げよう。

 あんな気違い野郎を相手取るのは、私には無理だ。

 奴は、噎せて踞っているため、すぐには追ってこない。流石にきいたらしい。

 開けっ放しだった窓に手をかけ、飛び越えようとした時、必死な声が背後から聞こえた。


「ま、待って!!」


 ごほ、と咳き込んでいるが、余りの大声に、少し怯んだ。

 な、何だ。待てと言われて逃げない暗殺者はいないぞ!

 無視して行こうとしたら、奴は、続いてさらに気違いなことを叫んだ。


「俺の恋人になってくれ……!!」


 はぁ?


 余りに場違いな発言に、思わず振り返ってしまう。

 馬鹿か私は……!

 早く飛び降りれば良かった。

 奴は、私のすぐ後ろまで迫っていた。


「……!!」


 ギリギリ間に合うことを祈りながら、背中向きに、外へ体を投げ出した。

 しかし、やはり私の体が宙を踊ることはない。

 奴の手が、伸びてくるのを、絶望的な気持ちで見つめる。

 クルッツの手が届く。奴は今度こそ逃がさないと言わんばかりに、きつく、私を抱き抱えた。

 二度はない。もうおしまいだ。

 せっかく助かったかもしれないのに、みすみす機会を捨ててしまった。

 あんな、戯れ言に惑わされて。


 奴は私を部屋の中に戻し、動きを封じながら、器用に窓を閉める。

 鍵をかける音が嫌に響いた。

 静寂が落ちる。

 私はこの短い時間に、ずっとお祖父様への別れの言葉を、心のなかで告げていた。


 お祖父様、エステルは貴方と会えて幸せでした。

 助けてくれようとしたのに、沢山愛してくれたのに、勝手に死んで、ごめんなさい。

 私がいなくなったら、寂しいですか。悲しみますか。

 お祖父様がどう思うかなんて、分からないはずはないのに……。

 私が死んだら、結局お店は助からないですよね。

 こんな無意味な死。余計な事、しなければ良かった。

 ごめんなさい……ごめんなさい……

 ごめんなさい……


 私を抱えたまま、床に座りこんだ奴は、暫く無言だった。

 私はただ、殺されるのを待つしか出来ない。

 どれだけそうしていたのか、やがてぽつりと、奴が呟く。


「君は……ステラ、だよな……」


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