元殺し屋の過去

 

 きっかけは数年前。

 商業都市に来たのは、要人の暗殺の仕事が入ったからだ。

 組織のなかでも腕利きの殺し屋だった私は、あらゆる感情が欠如していた。

 物心ついたときから裏の世界で生きてきて、喜びも、楽しみも、生き甲斐もなく、人の死に対して何も思わなかった。

 善とか悪とか、どうでもいい。

 ただただ腕を磨いて、人を殺した。

 私は秘匿された存在で、組織でも仲間というものがなく、ボスの命令だけに従い、一人で依頼をこなす。

 仕事で失敗したことはなかった。

 あの夜までは。



 また一つの命を奪った後で、私を狙う刺客に襲われた。

 隠れる時間も、逃げ場もなく、やむなく応戦する。

 刺客自体は私の敵ではない。やろうと思えば、一瞬で息の根を止められる。

 私のターゲットは、幼い子供を売り飛ばしている、ある誘拐組織の運び屋だった。依頼内容には、誘拐された子供の救出も含まれていたため、先に逃がしていたが、小部屋に一人残っていたのだ。

 泣いていたのか、子供が鼻をすすってしまい、刺客に気付かれる。黙って隠れていればいいものを、間抜けにも捕らわれてしまっていた。

 子供の安全を確保するために、少し手こずる。

 こちらの依頼内容も、私の情報も把握した上で刺客は迫ってきた。

 私が自分の命に執着しないことも知っているようだった。

 大人しく死ね。そうすればお前は任務を全うできる。

 子供の命と引き換えだと促し、私を殺そうとした。

 自分よりはるかに格下の相手に殺されるのも癪なので、返り討ちにしてやった。

 誤算だったのが、私を庇おうとしゃしゃり出てきた子供のせいで、一撃で仕留められなかったことだ。

 本当に余計なことしかしない。

 私の腕を引っ張り、手元を狂わせ(刺客の凶器から遠ざけようとしたようだ)、間に割り込んだ子供が、刺客の凶器で怪我を負う。

 私にやられた刺客はまだ意識があり、死の間際に反撃してきた。

 子供にしがみつかれて、上手く動けない私も怪我を負う。

 本当に邪魔だった。

 子供は無傷で帰せず、実績には傷がついたし、自分もこんな怪我、恥でしかない。

 刺客は息絶えた。

 私より一つ二つ歳上らしき子供は、髪色と同じ黒い瞳に涙をためて、しきりに私の心配をした。

 身なりのいい男の子だったが、私は目元以外は黒い布で隠した、全身黒づくめの怪しい出で立ちだ。よく物怖じせずに話しかけてこれるな、と思った。

 子供に応急手当だけして、保護してくれる場所まで送り、私は組織の拠点に帰ることにした。

 私の傷は思ったより深かったらしい。

 私がいくら優秀でも、身体は年端のいかぬ子供である。

 帰り道、拠点にたどり着いた記憶はなく、途中で意識が途切れた。


 目を覚ますと、あたりは明るかった。

 瞬時に昨夜の出来事を思いだし、警戒する。知らない場所に寝かされていた。

 すぐに起き上がろうとしたが、肩口に激痛が走り、思わずうめく。

 痛みに耐えて何とか身体を起こし、自分の身体を確認する。

 顔に巻いていた黒い布は取り払われ、血のついた服も、清潔な白いシャツに替えられていた。

 ペタペタと身体を触る。手当もしてあり、汚れも拭き取られている。

 傷の具合を見ていると、背後に人の気配を感じ、振り向いた。後ろにいたのは、年老いて背が曲がった男だった。

 老人は目を細め、私の頭に手を置いた。

 そのまま、優しく髪を撫でてくる。

 驚き過ぎて声も出ない。

 表情の変わらない私だが、あの時は呆けた顔をしていただろう。


「具合はどうかな、お嬢さん」


 穏やかな声音で問われる。耳に心地よい声だった。老人は、よしよし、と言うように破顔している。

 組織の人間が私を回収したのかと思ったが、それにしては、やけに親しげだ。

 組織の人間は、少なくとも私とは、馴れ合わない。

 一体どういう事だと、困惑する。

 喋れないでいると、老人は経緯を説明してくれた。


「お嬢さん、私の店の裏で、倒れていたんだよ。昨夜の事は、覚えているかい?」


 仕事でへまをするのも初めてで、混乱していた。敵意はなさそうだが、この老人は、何者だろう。

 すぐに逃げた方がいいのか。

 組織に報告はいっているのか。

 今回の仕事のあらましは、知らされているのか。

 私の扱いはどの様になるにしろ、今はまともに動ける気がしない。

 黙ったままの私を、老人は根気強く待った。

 優しげに見つめられ、動揺する。

 こんな目は知らない。どうやって対処していいかも分からない。

 取り合えず、何か言わなければ。


「お……ぼえて、ない。ここ、どこ?」


 命令を聞くのに、返事一つで事足りる。

 思えば、相手ときちんとした会話をしたことがなかった。

 言葉はつかえてしまい、ぼそぼそとしか言えなかった。


「私の店の、居住部屋だよ。店と家が一緒になっているんだ。お嬢さん、自分のことはわかる?」


 私はこくり、と頷く。

 その後で、組織に帰ろうにも動けない事を思いだした。この老人が親切心で家まで送ってくれる可能性もある。

 どうしよう。組織の場所を知られる訳にはいかない。

 かといって、他に行く場所もない。


「お嬢さんの名前は?」


「えっと、すて……」


 言いかけて、慌てて口を閉じる。ぼんやり考えていたせいで、うっかりしていた。

 私のコードネームは、ステラだ。

 組織で使う名前をそのまま教えられない。そして私は、自分の本名も知らない。


「え……えすてる。エステル。名前」


 咄嗟に偽名を名乗った。


「エステルか。私はタリス・アーカーシュというんだ。ところでエステル。君は帰る家はあるのかな」


 どうしてそんなことを聞くのだろう。貧民街でもあるまいし、幼い子供なら、親元で暮らしているはずだ。

 探るように老人を見つめると、老人は痛ましげな顔をした。


「こんな酷い怪我……誰にやられたんだ。明らかに刃物で切られた傷だ……間違っていたらすまん。エステルよ、何処かから、逃げてきたんじゃないのかね」


 聞いて納得した。老人は、私が親から酷い虐待を受けていると思ったらしい。

 老人は、組織とは無関係そうだ。

 頃合を見て、適当に帰ろう。


「あの、帰りたくない。怪我が治るまで、ここにおいて、ほしい……」


 ともあれ、今放り出されても困るので、一応お願いしておく。

 老人は心得たとばかりに、力強く頷いた。

 ほっと息をつく。慣れないことをしたせいで、少し緊張していた。

 顔に影が射す。

 老人が、傷口に触れないようにしながら、私の背に手を回していた。

 あの心地よい声で、老人は、今まで辛かったな、よく頑張った、と言った。


「怪我が治っても、気の済むまでいなさい」


 老人は、私を家族として受け入れてくれたのだった。




 しかしどうしたことか、絆されたのは私のほうだった。

 家族のいない私は、知らなかっただけで、愛情に餓えていたらしい。

 結局、組織に帰らないまま、私は死んだことになっていた。

 私がそれっぽい死体を用意して誤魔化したのだ。

 そうまでして、老人の……お祖父様の側を離れ難く感じていた。

 お祖父様は私に一般教養を教えてくれた。

 普通のことを知る度、お祖父様が優しくしてくれる毎に、足りなかった感情が育っていく。

 近所の人とも付き合いが出来て、私がいることで、お祖父様の不利益にはなりたくないと思った。

 少しずつ、理想の人格を形成していった。

 近所の人からも、いい印象を持たれるように。お祖父様に好いてもらえるように。

 いつだったか、お祖父様が、私のことを自慢の孫だと言ってくれた。

 嬉しかった。

 私はお祖父様が大好きになって、できるなら、ずっとここで暮らしていこうと思った。

 黒い過去は、誰にも知られないようにして。

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