カラヴィンカ ~さすらう唄いの民~

とや

カラヴィンカ

「おまえには天上の歌声ベルカントがあるね。いずれ印を得るだろう」


 わたしは地面に座り込んで、蔦で編んだ敷物に並べた草花を、これからの作業のために仕分けしていた。わたしは村の子供たちのなかでも一番手先が器用で物覚えも良く、細かく手数の多い作業を黙々とこなすのになんの苦痛も感じなかった。

 そんなわたしに、隣で同じ作業をしていたカラヴィンカは低い声で言った。長旅のなかで砂っぽくなったマントは、それでも鮮やかな色をしていて、全体に描かれた独特の紋様が目を引く。日焼けした手は大きく、その大きく武骨な雰囲気からは想像できない素早さで、薬草とそうでないものを選り分けていく。

 カラヴィンカは旅の民。一つ処に留まることなく、世界中を放浪する人々を称してそう呼ぶ。数年に一度の周期で同じ場所へ戻ってくることもあれば、まったく違う旅路を切り拓いて二度と戻らないこともある。そんなカラヴィンカが、わたしの村に初めてやって来た。

 カラヴィンカは薬草や占いの知識に長け、その占いは未来を見通すことができる。大人たちはそう言っていた。カラヴィンカに会ったことがなくとも、そういう民がいるということを大人たちはどうしてか皆知っていた。カラヴィンカは村に数か月の滞在を求め、その見返りとして薬草の知識を授けたり、村のあらゆる事柄について占いをするのだそうだ。

 そしてなによりわたしが強く惹き付けられたのが、その美しい歌声だった。

 カラヴィンカの歌声は神秘そのもの。カラヴィンカにとって歌は呼吸や会話と同じくらい当たり前のものらしく、なにか特別なことがなくても毎日さまざまな歌を歌う。そしてそのどれもが、聴くものの心に深く深く染み込んでいくのだ。まるで、この身体の奥深くに流れる、遠い昔の記憶を呼び覚ますように。

 わたしは教えられたとおりに草花を仕分けてレイミの紐で括りながら、カラヴィンカが歌っていた歌をこっそりと口ずさんだ。覚えようと思って覚えたのでもなく、気がつくと口を突いて出てくる。詞の意味は難しくて全部はわからないが、この歌に籠められた悲しい気持ちは、漠然とわかった。

 そんなわたしの歌を、隣に座っていたカラヴィンカは耳聡く聴いていたらしい。

「おまえには天上の歌声ベルカントがあるね。いずれ印を得るだろう」

 カラヴィンカは、秘密めいた小声でわたしに告げた。

 『ベルカント』が、カラヴィンカとなる素質のある声のことを言う言葉だと知るために、わたしはそれから一年の時を待たなければならなかった。カラヴィンカが、まるで大切な秘密そのもののように語った言葉、『ベルカント』。その意味を大人たちに訊ねることはなんとなく憚られたし、恐らく訊いたところで、カラヴィンカだけが使うその言葉の意味は誰にもわからなかっただろう。『ベルカント』は、それを持つものだけに語り継がれる言葉なのだ。

 わたしはカラヴィンカから、もっぱら薬草の作り方を習っていた。野原や河原で草花や苔を摘んで持ち帰り、それらを細かく仕分けする。それが終われば今度はそれらを天日に干して乾かしてから細かく砕いて煎じ薬にしたり、生のまま薬液に漬け込んで水薬や塗り薬にしたりする。細かく、注意深さを求められる作業が延々続くから、わたしがカラヴィンカと一緒にいるときは、いつもその手元を見ている。だから覚えているのはその手元と砂色のマントに浮かぶ鮮やかな紋様、それからわたしに語りかける声ばかりで、ほかのことは、例えば顔の美醜や年齢、さらには男だったか女だったかすら曖昧にぼやけてしまっていた。

 わたしに薬草の知識を授けたカラヴィンカは、左手に頑丈そうな革の手袋をしていた。手先の細かい作業には向いていなさそうな手袋で、カラヴィンカはそれでも器用に草花を摘み、薬を作っていく。

 わたしがもっと好奇心旺盛で、明るく人見知りもしない性格なら、きっとその手袋の秘密を暴いていたかもしれない。けれど、わたしは今も昔も、他者の顔をまっすぐに見られないような内気な性格だ。あのときも結局、手袋を不思議に思いつつも、それをカラヴィンカに訊ねることはできなかった。




 カラヴィンカは夏のあいだ村に留まった。村の誰かの家の一員になるのではなく、村の入り口近くに天幕を張って、煮炊きや洗濯もそこでしていた。たまに生活に必要な品が不足すると、物々交換か、あるいは簡単な占いを対価にして村の人々から品物を得る。村の大人たちはカラヴィンカの薬草や占いを求めつつも、決して必要以上に親しくしようとはしなかったし、子供たちにも「子供だけでカラヴィンカに近付くな」と厳しく言いつけていた。

 だから、カラヴィンカと二人で野原を歩いたり、村の広場に敷物を引き、そこに二人で座って日がな一日作業をするわたしは唯一、村のなかでカラヴィンカと親交があったといっても良いだろう。

 親交があったといっても、わたしはカラヴィンカとはあまり話をしていない。薬草の知識をこと細かに教えてもらう以外は、お互いにほとんど無口だった。

 けれど、それでもわたしはカラヴィンカに親しみを感じていた。カラヴィンカは、歌うからだ。

 会話をしない代わりに、カラヴィンカは一日のうちに幾つもの歌をわたしの隣で歌った。

 それはカラヴィンカの信条を歌う歌であったり、いつか見た月の美しさを歌う歌であったりした。なかでも、わたしを魅了してやまなかったのは、異国の風景を歌にしたものだった。海の上を氷が渡る北端の国、黒く陰鬱とした森が果てしなく続く樹海、灼熱の砂漠の真ん中に現れる古代の巨大遺跡群。わたしの知らない遠い風景が詞と旋律で描き出されるたびに、わたしの心は震えた。切ないような気持ちになって、胸を掻きむしりたいような衝動に襲われる。手に汗が滲んでしまって、細かな作業を続けるのは大変だったけれど、それでもわたしはその歌をずっと聴いていたかった。

 カラヴィンカが歌うときだけは、広場に集う人たちもわたしたちの周りで足を止めた。そうしてひとしきり歌を聴くと、無言のまま歩き去る。彼らの様子を見るうちに、わたしはあることに気が付いた。村の人々が足を止め耳を傾けるカラヴィンカの歌は、「月が綺麗だ」とか「子供が可愛い」とか、そんな当たり前の日常の歌ばかりなのだ。カラヴィンカが異国の風景を歌っても、それで足を止める人はあまりおらず、なにかの折に足を止めて聴いたとしても、わたしのように感じ入るような人は誰一人いない。むしろ、首を傾げて「わからない」とでも言いたげにして去っていく。

 村の人々は、大半が村のとその周辺のことしか知らないまま一生を過ごす。せいぜいが徒歩で日帰りできる周辺の村との往復か、二日ほどかけて大きな街へ出稼ぎや物々交換で出かけるくらいで、それすらも限られた大人たちが義務的に行うだけ。誰も、遠い旅の果てに見えるであろう、こことはまったく違う景色になど興味を抱かない。目の前に存在しない、見たこともない、想像も及ばないものに心を揺さぶられることのほうが稀有なことのだ。そもそも、そんなものに夢を膨らませたところで、自分たちの人生はもっとずっと小さな、この村を中心とした世界で終わってしまうのだから。

 そんなことを考えているとき不意に、村の大人たちがカラヴィンカと距離を置く理由がなんとなくわかった。

 ほとんどが村とその周辺だけを世界として生きる人々は、知らない世界からやって来るカラヴィンカを受け入れることができない。彼らにとってカラヴィンカは、自分たちの日常や常識を超えた先にいる不可解な存在でしかない。理解できないし、彼らについて知ろうと、歩み寄ろうとは考えもつかない。カラヴィンカの持つ薬草と占いは貴重だから渋々交換条件を呑んで村のなかに招き入れるだけで、そうでないなら村へ入れることなど絶対しなかっただろう。

 誰も知らない場所からやって来て、誰も知らない場所へ去っていく。

 カラヴィンカとは、そういうものなのだ。




 秋の足音が聞こえ始めると、カラヴィンカはまるで過ぎゆく夏を追いかけるように何処かへ去っていった。

 『カラヴィンカ』は歌を歌いながら流浪する民の集団とそこに属する人々のこと、その両方を指す言葉だ。

 そのときわたしの村を訪れたカラヴィンカは十人に満たない小さな集団だった。

 一つの季節を共に過ごしたというのに、カラヴィンカは別れの挨拶も簡潔に、あっさりと村を後にした。それを遠巻きに見送った村の人々は、彼らの姿が遠くに去ると、皆が皆安心したように揃って深い溜め息をついた。

 そうして訪れた冬のある日。わたしは『印』を得た。

 朝起きて、薄氷の浮いた水瓶に手を浸したとき、その左手の甲、手首との境目に見慣れない痣ができていた。鬱血した紫色ではなく、火傷をしたような赤茶色で、房葡萄の一粒のようなほんの小さなものだった。

 最初は、暖炉を使っていて知らぬまに火の粉に触れたのだろうと思った。

 ところが、冬を越すあいだに痣は少しずつ大きくなった。房葡萄のの粒ほどだったものが、人の目くらいの大きさの楕円形になった。さらに痣のなかに濃淡ができて、痣というよりはまるで紋様のように見えるようになり、やがてわたしはそれがカラヴィンカのマントに描かれた紋様に似ていることに気がついた。

『おまえには天上の歌声ベルカントがあるね。いずれ印を得るだろう』

 そう言ったカラヴィンカの声が、はっきりと耳の奥に蘇る。

 それは、『天上の歌声』を持つものの証。その印を授かったものをカラヴィンカはやがて迎えに来る。

 痣は隠そうにも隠せなかった。初めのうちは火傷としてごまかしていたが、呪術的な紋様を描く痣を、大人たちはいつまでも見逃していてはくれなかった。

 わたしの処遇を巡って、大人たちは角突き合わせて議論を始めた。カラヴィンカの『印』について知らない彼らは、見当違いの方向へ想像を伸ばすばかりだった。だからわたしは、「これはカラヴィンカになる者の印だ」と自分から伝えて、いずれまたカラヴィンカがこの町へ来たとき、わたしを彼らのもとへ遣るように願い出た。大人たちは驚愕したり嘆いたり、親不孝だとわたしをなじったりしたけれど、わたしの心は不思議と落ち着いたままだった。

 わたしにとって来るべきときが来た、それだけのことだとわかっていたからだろう。

 カラヴィンカが次にこの辺境の集落を訪れるのはいつのことになるか、それだけが気がかりだった。もしかしたら、彼らは二度とわたしの前には現れなくて、わたしは侮蔑と疎外を受けるまま長い時間を過ごすことになるかもしれない。だからもし、次の雪解けから秋口まで待っても彼らがやって来ないのなら、自分から彼らを探しに行こうと密かに計画を練っていた。

 しかし、わたしの心配はすべて杞憂に終わった。

 山の雪が解けて、村の近くを流れる川がせせらぎ始めた頃、先年も訪れたカラヴィンカの一団が再びやって来たのだ。

 村の大人たちは彼らの影を遠くに見るや否やわたしを暗い部屋から引き出して、村の入り口に立たせた。

 去年の夏を、薬草づくりをしながら共に過ごした皮手袋のカラヴィンカが、わたしの前に片膝を突いて、くっきりと痣の浮き出たわたしの左手を両手で優しく包み込んだ。

「また会えたね」

 その言葉に、わたしは大きく頷いた。待っていた。この日をずっと待っていた。

「遥か昔、音のなかったこの世界に音をもたらした神なる鳥。その羽の光を受け継いだ、おまえは『天上の歌声』を持つ者。我々はおまえを仲間として迎え入れよう」

 そう歌ったカラヴィンカのことばを、わたしはこの先ずっと忘れることはない。

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