裏切り者の天使
「死んでいる、って思っていたのか? それは流石に甘く見られたもんだな」
煙の中で聞こえた声に、ローゼンは驚きの顔をする。すると煙の中から一筋の黒い光が放たれる。
光はローゼンの腕に突き刺さる。だが、ローゼンは驚異の再生能力を持っているため、すぐさまに貫通した穴を回復させる。
だがローゼンが驚くところはそこじゃない。既に身動きすらできない状態にあの魔術を放ち、直撃したはず。そこまでやられて何故反撃ができたのかということだ。
「なんで、どうして!? あれほどの攻撃を受けて、何故生きているというの⁉」
「何でって、そりゃあれだよ。お前がやっていたように、俺も奥の手があるってことさ」
煙が晴れる。そこにいたのはシルファなのだが、ローゼンはその姿を認めることができなかった。
先ほどと変わらない人間体。しかし両手両足は既に再生したらしく、元通りになっている。
しかし問題はそこじゃない。問題はその背に生えている、白の三対六翼の方であるのだ。
背に翼を持つのは天使の証。そしてその中でも三対六翼という最高位の天使となると、自ずとその天使の名は確定する。
そう。その天使の名は――
「どうしてお前がこんなところにいる! 堕天使ルシファーーッ!」
激昂とともに再度、三対の魔術を発動する。しかしシルファは微動だにもせず、その魔術を真っ向から見据える。
放たれる必殺の魔術。それに対し、シルファはただ魔術に対して魔素を込めた拳を叩きつけるだけでいた。
「『ブースト』」
魔術と拳がぶつかる瞬間、シルファはぽつりと呟く。すると込められていた魔素が尋常ではないほどに膨れ上がり、真正面の魔術を破壊する。
「な――ッ⁉ 私の三重魔術を相殺させるだと!?」
「これが俺とお前の実力の差だ。理解したか? ならさっさとくたばれ」
高速移動。もはやそれを超え、瞬間移動と呼んでも過言ではない速度でローゼンに近づき、拳を叩き込む。
叩き込む直前に『コンセントレーション』を超えた身体強化の魔術である、『ブースト』を発動。脅威なほど込められた魔素は拳を中心に爆発と同程度の衝撃を生む。
それを両腕両足へと、ほぼ同時に炸裂。四肢を同時に破壊したことで倒れ伏したローゼンをさらに蹴り上げてから地に叩きつける。
しかしすべての攻撃を終えてもなお、すぐさま再生してしまう。ローゼンの身体は元通りに回復し、シルファを睨む。
「ぐ……ふ、はははは!! どれだけお前が強かろうと、何をやっても無駄だ! 私の再生力を甘く見るなよ。両腕両足が千切れようが、私は死なないのだから!」
「ふぅん。そうかい。だったら――」
魔素を指にたたえ、呪文を記載する。しかしそれは先ほどまでの二重だけではない。一つひとつの指ごとに別々の魔素が込められ、記載されている。
二重、三重を超えた
「死ぬまで殺し続けてやるだけだ」
十本の巨大な剣を携え、ローゼン目掛けて放たれる。両腕両足に突き刺さり、一本の巨大剣を掴んで胴体を両断する。
さらに残った五本の剣を放ち、魔素を爆散させる。肉塊が飛び散るも、シルファは手を止めずに魔素を込めてローゼンを殴りつける。
「ぐ、ああぁぁぁぁ――――ッッッッ!」
「早く楽になりたかったら再生を止めな。そうすりゃすぐさま殺してやるよ」
「ほざけ! この地上の裏切り者がぁ――ッ!」
身体が再生する間も惜しみ、ローゼンはノータイムの魔術を発動する。だがその口元を三つ同時に殴りつけることで、放たれる先を無理やり変更。あらぬ方向に魔術が着弾する。
さらにシルファは胴体へと潜り込み、どてっぱらを蹴り上げる。蹴り上げられた足により、数トンを超える巨体すらも上空へと跳ね飛ばす。
上空に浮いたローゼンよりも早く駆け上がり、巨体目掛けてかかと落としをお見舞い、加えて十の魔術を同時に炸裂。
先ほどと同様、ボロボロになり果てたローゼンの姿を見て、シルファは呆れ果てたように着地してから見下ろす。
「はぁ……もう良いだろ。お前は何度やっても俺には勝てねぇよ。実力に雲泥の差がある。諦めて降伏することも、利口な手段だぞ?」
「ぐ、う、あぁ……」
口が再生していないからか、苦悶の声が漏れるだけで応答はない。だが両腕が再生しきるや否や、シルファに向かって両腕を鞭のようにしならさせる。
「……そうか、それがお前の答えか」
異形な両腕がシルファに衝突する直前、破裂するかの如くローゼンの腕が吹き飛ぶ。シルファの放った拳が魔素を放ち、相殺したのだ。
シルファは先ほどとは異なるバランスで魔素を込める。そして記述魔術ではなく、詠唱魔術を発動しようとする。
それはフィーアが使おうとした禁断の魔術。破壊にすべてを注ぎ込んだ、本当の意味での一撃必殺の魔術。
魔素が込められると、今度は拳ではなく、シルファの背に集っていく。込められた魔素は漆黒に染まり、この世すべてを飲み込むほどの黒さを示している。
「シルファ、アアアアァァァァ――――ッッッッ!!!!」
再生しきったローゼンは猪突猛進でシルファに突っ込む。それが無意味だと分かっていても、理性が抑えきれなかったようだ。
眼前に迫ってくるローゼンを、悲し気な瞳で見つめつつ、シルファただ滅びの詠唱を唱える。
「冥途の土産にくれてやるよ。『黒説はここにありて、滅殺の槍を、顕現せし、目に映る全ての物を、悉く打ち貫け』!」
三対六翼に集っていた魔素が放たれる。六つの『カオス・スピア』が同時に放たれ、ローゼンの身体を黒く塗りつぶす。
シルファのオリジナルの魔術『カオス・スピア・ヘキサ』。単純に『カオス・スピア』を六発、同時に射出する禁呪だ。
その能力は、当たった対象を消滅させる。単純な魔術だが、魔術の防壁や威力など関係ない。ただひたすらがむしゃらに、すべてを破壊する最悪の魔術。
ローゼンの身体は『カオス・スピア』を直撃し、身体を損壊。両腕両足をもぎ取られ、二本の首も吹き飛ばしていった。
今までならその破損した部分も修復したであろう。しかし『カオス・スピア』を受けた部分は治らない。その部位を完膚なきまでに破壊したからだ。再生するにしてもその組織繊維まで破壊していれば、治すことすら不可能なのだ。
魔素をたっぷりと使い切り、顕現させていた翼を消滅させる。ふぅ、と一息を吐き、ローゼンの元へと近寄る。
「がはっ、げほっ! あ、あぁぁぁ――ッ!」
「おぉ、まだ息があるのか。俺が言うのもなんだが、なかなかにしぶとい奴だな、お前」
呆れ半分、驚き半分といった表情で見下ろす。既に身体のほとんどがないに等しいはずだが、ローゼンはまだ息があるようであった。
一つだけになった首を振るうも、弱弱しい力だ。シルファは降りかかってくる首を片手で止め、ローゼンの目の前へと降り立つ。
「生きているなら話は早いな。禁呪書とフィーアは返してもらう。お前はその体でも地下に帰れば回復できんだろ?」
「……何故、私を殺さない?」
「別に理由なんてねぇよ。単にお前を殺す利点が俺にはないだけだ。――まぁ、理由を付けるとしたら、ここでの騒動を明らかにされると、俺としても色々と面倒なんだよ。分かるだろ?」
シルファ=リーベルという女生徒が実は《ゴースト》であった、なんてことを世界中に報道されると、今度こそシルファの立場がなくなる。そうなると女生徒に変装しても、完全な犯罪者扱いとして生きるしかなくなる。それはシルファの望むことではないからだ。
「……つまりここで起こったことは、何もなかった、としたいのか? お前は」
「もっと単純に言えば、このダアトを封鎖しろ。つまり、学園の図書館に地下なんてなかった、としてくれ。どうだ? 取引、しようじゃないか?」
先ほどとは逆の立場で、シルファにニヤリと笑いながら提案する。その提案を飲まざるを得ないローゼンは、苦悶の声を上げて答える。
「この……悪魔が……堕天使のくせに……!」
「うるせぇ、正真正銘の悪魔が。それと言っておくがな――」
一度間を置き、鼻で笑いながら告げる。
「俺は堕天使じゃなくて熾天使だ。二度と間違えるんじゃねぇ」
不遜な笑みをしながらローゼンに言い放つ。そしてローゼンに背を向け、落ちていた禁呪書を拾う。
苦痛に苛まれつつも、ローゼンは身をよじりシルファを睨む。そしてその背に向けて声を発する。
「分かっているの……? あの娘はこちらの世界の姫君なのだということを!」
「だからさっきも言ったが、俺はそんなこと興味のかけらもねぇし、ほんとうにそうかなんて分かんねぇよ。それにお前の言葉が本当だとしても、あの子に自身には関係ないことだ」
「――いつかあの少女が居たせいで、地上すべてを焼き尽くす原因になるとしても?」
「そうなるときは、迷わず俺がその状況を打破してやるさ。――例えこの命が尽きようともな」
すがすがしい表情で答えるシルファに対し、ローゼンは何も言うことができなかった。
するとローゼンは巨大な穴を発生させ、恨みがましい目でシルファを見やった。
「……私を生かしたこと、後悔するといいわ」
「はっ、いつでもかかってきやがれ。また返り討ちにしてやるよ」
口元に微笑をたたえると、ローゼンは身体を転がして穴の中に転落していく。そして開いていた穴がゆっくりと閉じ、その場は静寂に包まれた。
ようやくといった様子で上を向き、携えた本をかがけて一人思う。
――今度こそ、任務完了、と。
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