相容れない二人の意志
暗い。闇よりも真っ黒に包み込まれた空間。
光など一つも差してこない場所に、私は立っていた。
いや、そもそも立っていたかどうかすらも怪しい。立つ場所すら視認出来なければ、底のない穴を落ち続けているのかもしれない。
でも何故だろう。その闇が私にとって、とても心地の良い場所だと思わせてくれるのは。
普通なら怖がるだろう。誰もいなく、音も一切立たないこの場所に、不安がるのだろう。でも私は安心してここに居られる。
瞳を閉じ、闇に身を任せる。――あぁ、ここはなんて安らかな場所なんだろう。
「――――」
そうして一体どれだけの時間が過ぎたのだろう。指標となるものがないから分からないが、数時間か。あるいは数日か。
不明瞭な時間が経過したのち、音が反響したような気がした。閉じていた意識が薄っすらと舞い戻り、朧気ながら聞き入る。
「――ィ――ッ」
その音が耳障りだと思った。せっかく心地良い気持ちだったのに、無理矢理身体を揺さぶられているような感じになる。
しかし音は断続的に響く。
「――フィ――ァッ」
それは誰かの名前のように聞こえた。そういえば私の名前は……何だったっけ?
私は思考し始める。自分の名前を。自身の状況を。自らの肉体の在り処を。
頭を巡らせ始めると、闇の中に一筋の光が入り込んできた。
光によってだんだんと意識が覚醒し始めた。始めは酷く不快な感覚を覚えつつも、やがてゆったりと思考が定まり、声がはっきりと聞こえた。
「フィーアッ!」
深い眠りから目が覚めると、横にはシルファの姿があった。心配そうに見つめてくる蒼玉な目と合う。
フィーアの目が覚めたことを確認すると、シルファは一歩後ろに下がりホッと一息を吐いた。
「良かった、目が覚めて。今日起きなかったらどうしようかと思っていたよ。昨夜からずっと寝続けてて、全く起きる気配がなかったんだもの」
「うえ? 私、そんなに眠っていたの?」
「既に朝の八時よ。ルビカにも今日のレッスンは中止するよう伝えているし」
「もうそんな時間!? 早く行かないと遅刻するじゃない!?」
すぐさま体を起こし、布団を跳ね飛ばす。と、立ち上がろうとした瞬間、額に手が置かれてベッドに座らされる。
「今日は休むってルビカには伝えてあるわ。だからゆっくり休みなさい。――朝食を持ってくるから、ちょっと待ってて」
有無言わせずフィーアをその場に残し、シルファは部屋を出て行ってしまった。
手持ち無沙汰になったフィーアはすることもなく部屋を見回す。起きた時は気づかなかったが、ここは自室ではなくシルファの部屋だと理解する。
無駄な荷物はなく、綺麗に整頓されている。一見誰か住んでいるのか疑うほどに無駄がない。
まるで、すぐにここからいなくなれるように準備しているかのように。
扉が開かれる音によって先ほどまでの思考が遮断された。すぐさま音の方を見やると、トーストと卵が添えられたお皿とミルクの入ったコップを持ったシルファが目に映る。
「ぎりぎり食堂が開いてたから貰ってきたよ。って言ってももう時間は過ぎちゃってたから余り物になっちゃうけど……」
「ううん! 全然いいよ。わざわざ持ってきてくれてありがと!」
いただいた朝食をゆっくりと味わっていると、シルファは地べたにどっかりと座る。特に何も言わず、じっとフィーアの事を見つめ続けていた。
朝食を食べ終え、手を合わせたと同時にシルファはずっと閉じていた口を開いた。
「さて、と。フィーア、昨日の事覚えてる。――あの魔術のことを」
「魔術……? あ! そうだった! ねぇシルファも見たよね!? 私、やっと魔術が使えたの。なんか、こう、身体の内側から力が湧いてきて、すっごいものだったわ!」
嬉々とした表情で応えるも、シルファは沈んだ顔で頷く。その顔にフィーアは首を傾げるものの、すぐにその意味が分かった。
「うん、知ってる。だけどね、フィーア。酷なことかもしれないけど――あの魔術のことは忘れて」
意味は理解したが、何を言われているのかは分からなかった。何故、そのようなことを言うのか。何故そのようなことを辛そうに告げるのか。分からない。
「な、なんで? どうして忘れないといけないの?」
「あの魔術は普通の魔術じゃない。それもとびきりにね。一歩間違えれば人を殺める可能性だって、十分にあり得る。そのくらい危険な魔術なんだ」
「でもだったらどうして私がそんな魔術が使えたの? そんな危険な魔術、私なんかが使えるはずなんてないじゃない」
「そもそもの前提が逆なんだよ。フィーアは凡人じゃない。あまりにも桁違いの才能を持っている。だからお願い、あの魔術は二度と使わないで」
目の前のシルファが急に頭を下げる。その様子は並々ならぬ気配であり、フィーアは恐る恐る首を振った。――横方向に。
「……いやよ。アレは私の初めての魔術だもの。忘れることなんてできない」
「頼むよフィーア。あの魔術、『カオス・スピア』は危険なんてものじゃない。生半可な魔術なんて簡単に超える代物。そんなものを使えるなんて周りが知ったら、フィーアの身に何が起こるか分からない」
シルファの言い分は理解した。理解したうえでその願いを聞き入れることは出来ない。
今度はきっぱりと首を横に振るい、シルファの眼をしっかりと見て答える。
「それでもあの魔術は忘れられない。絶対に忘れることはない。あの魔術はとても素晴らしく、心地良いものだったから……」
数瞬、目線だけが交差する。お互い口も開かず、ただ時間だけが過ぎて行く。
やがて諦めたのか、先にシルファが目線を逸らし、一息ため息を吐く。
「分かったわ。でもこれだけは伝えとく。あの魔術は本当に危険なものなの。だからむやみやたらに使ってはいけない。使っていいのはここぞっていうときと、誰にも目に入らないところでしかダメ。いいね?」
「……絶対とは言えない。でも善処するわ」
「それで十分よ」
二人の間で沈黙が生まれる。先ほどまでの気楽な空気はなくなっていた。
居づらくなったフィーアは不意に俯きつつ、ベッドから立ち上がる。部屋の重圧感に耐えられなくなり、扉の方へと向かう。
「部屋に戻るわ。……ベッドと朝食、ありがと」
返ってくる答えを待たず、シルファの部屋を出て行く。
シルファは何も間違っていることを言っていない。あの魔術が危険なものだというのはフィーア自身もよく分かっている。
だけど何故だろうか。あの魔術を使った時、とても気持ちが高揚した。あの魔術の虜になってしまったように。
だからこそシルファがあの魔術を忘れろといったとき、反発心が湧いてきたのだ。何もシルファは悪くないのにも関わらず。
「あぁ、悪い子だなぁ。私って」
軽い自己嫌悪に陥りながら自室へと戻る。眠気があるわけじゃないけれど、することもないフィーアはベッドに腰かけて空を見上げる。
薄暗い雲が空を覆い、灰色に染めあげている。どんよりとした空はまるでフィーアの心を映しているように感じられた。
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