43.きれいだと思った


 さっきまで無機質だった床と壁が、真っ赤な血で汚れている。

 ……このほとんどが、私の血。


「――うっ」


 急に吐きそうになって、口元を手で強く押さえた。

 とにかく早く逃げなければ。

 そう気がついて、ふらつきながら部屋に一つしかない扉へ向かう。

 予想以上に重い鉄の扉を何とかこじ開けて、血にまみれた部屋を脱出した。メアとカルナさんは完全に気絶してしまったようで、追いかけてくる気配はない。

 建物内をおぼつかない足取りで歩きながら、出口を探す。幸いすぐに外への扉は見つかり、手をかける。

 扉を開けると、外はメアの言った通り夜になっていた。辺りに街灯はなく、真っ暗だ。


「はぁ……っ、は、はぁ……っ」


 息が切れる。どうしてだろう。うまく呼吸ができない。

 切断した左腕は綺麗に治ったはずなのに、今にも倒れてしまいそうなぐらい、疲れていた。

 遅れて、自分の身体がおびただしいほどの血で汚れていることに気が付いて、慌てて近くに生えている大きな木の影に身を隠す。

 辺りは真っ暗で、今のところ人影はないけど、もしこの血まみれの姿を見られたらまずいことになる。騒ぎになって、また捕まってしまうかもしれない。


「そ、そうだ、リオくん……っ!」


 リオくんの身が危ないことを思い出して、すぐに召喚の体勢に入る。

 頭がくらくらして、召喚にすら手間どってしまう。


「――リオくん、来て……っ!」


 声と同時に、亜空間が現れる。

 その中にリオくんの姿が見えて、ほっと胸を撫で下ろした。

 よかった……無事だぁ……!

 そう分かった途端、さらに身体の力が抜けた。


「――スズさんッッ!?」


 リオくんが私を呼ぶ大声が、静かな夜の街に反響した。

 いつもおとなしい、リオくんのこんな大きな声、初めて聞いたなぁ、なんて。途切れそうになる意識でそんなことを考えた。

 リオくんはすぐにしゃがんで、私に向かって手を伸ばした。伸ばされた手はガタガタと震えている。


「あ、ああああ……っ!」

「ごめんね、こんなところに呼び出して」

「血、血が……すごい、血が……っ!」

「大丈夫大丈夫。これもう治ってるし、返り血も含まれてるから」


 安心させるようにそう言って、にっこりと笑う。

 けれど、リオくんは顔面蒼白のまま、身体の震えは止まらなかった。


「ご、ごめんなさい……! 僕が、スズさんを守れなかったから……」

「何も謝ることないよ。私こそ、油断してごめんね。……王宮に何か言われてない?」

「ぼ、僕のことは……い、いいんです……! それより、スズさんが……」

 

 リオくんは言葉を濁したように聞こえた。

 あーこれは何か言われてるな……。絶対に手出しさせないけど。

 身体を起こしてリオくんを見る。リオくんは今にも泣きそうなぐらい、瞳に涙をためていた。私はもう一度にっこりと笑って、口を開く。


「……でも、さすがにちょっと疲れたかも。ごめん、王宮まで運んでもらってもいいかな……?」

「はい、もちろんです。すぐに帰りましょう。準備をしますから、待っていてください」


 リオくんはそう言って、着用していた赤いマントを脱ぐ。それを二つに破った。引き裂かれた音が、夜の街に心地よく響く。


「ス、スズさん、立てますか……?」

「うん、大丈夫だよ」

「僕の背中におぶさってください」


 しゃがんで背中を向けられて、小さな背中に身体をあずける。

 リオくんは、私の両手を前にして、やぶったマントで私の両手を結ぶ。それからすぐに狼に変身した。狼の太い首に両手を回した状態だ。

 なるほど、これなら私が眠ってしまっても落ちない。


 綺麗な灰色の毛に、真っ赤な血がべっとりと付く。リオくんを汚したくなかったけど、温かい背中が心地よくて、すぐにうとうとしてしまう。

 狼は走りはじめた。

 真っ暗な夜を、早いスピードで駆け抜けていく。

 ふと薄目を開けると、翡翠色の瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれて、透明な水滴が暗闇に舞っていた。

 わぁ、きれいだなあ。

 不謹慎だけど、その風景がきれいで、つい見とれてしまった。


***


 目を開ける。

 少し眠っていたみたいだ。

 ほんのちょっとだけ、身体が楽になってる。まだ辺りは暗く、夜のままだった。あれからさほど、時間が経っていないのかもしれない。

 そのときだった。

 突然そばに黒い空間が現れて、思わずじっと見てしまう。

 え、何だろ、これ……。

 すると、それに気が付いたらしいリオくんが減速して、立ち止まる。それから、変身を解いて人間の姿に戻った。


「ス、スズさんっ! あの、これ、召喚の空間ですっ!」

「召喚の、空間……?」


 よく分からなくて、首をかしげる。

 リオくんは私を背負いなおしてから、うなずいた。


「はい! スズさんが僕を召喚するとき、この空間に手を伸ばしたら、スズさんの元に行けました。だから多分……陛下がスズさんを召喚しようとしているんだと思います……」


 王様が私を召喚しようとしている。

 あ、そっか。私、王様と召喚契約を結んだんだったな……忘れてた。

 つまり、ここに手を伸ばせば、王宮に帰れるってことだ。

 どうしようか少し考えて。だけど、私は首を振った。


「いや、ここは拒否するよ。こんな血まみれの格好で王様の前の現れたら、何を言われるか分からないし。それに、この後のことを考えたら、少しでもリオくんへの心象をよくしておきたいもん。リオくんに連れて帰ってもらった方がいいよ」

 

 笑ってそう言うと、リオくんはまた泣きそうな顔をして。

 けれど、すぐに困ったように微笑んだ。


「……いいえ。すぐに帰りましょう。今はスズさんの身の安全が一番大切ですから」

「えっ、ちょっとリオくん!? だめだよ!」


 私の静止も聞かずに、リオくんは黒い空間に手を伸ばした。

 途端に、引き寄せられる感覚がする。

 目をぎゅっとつむって、開いたとき、景色が変わっていた。

 柔らかい絨毯に、豪華な家具。高い天井。

 一瞬で王宮に戻ってきたんだ。そう気が付いた。


「……余計なものがついて来ましたね」


 冷たい声が聞こえて、声のする方を見る。

 濃紺の髪に、ぞっとするぐらい美しい金色の瞳。

 数日前に会ったときと同じ、美しい姿のままで、王様は立っていた。

 王様は私の血まみれの姿を見てか、驚いた表情をして、近づいてくる。


「……ああ……どうしたんですか……酷い怪我ではありませんか……」


 私はリオくんの背中に身体を預けたまま、王様に向かって小さく頭を下げた。


「助けて頂いて、ありがとうございます。でも、大丈夫です。もう治りましたから……。こんな汚い格好で申し訳ありません」

「そんなことは気にしませんよ。治っているとはいえ、それだけの血、きっと痛かったでしょう……。かわいそうに、心が苦しいです……」


 王様は形のいい眉を下げて、苦しそうにそう言った。

 ……心配してくれているのは、本心なんだろうか?

 相変わらず、王様が何を考えているのか読めなかった。

 

「本当に大丈夫です。すごい血に見えるかもしれませんが、返り血もありますから」

「返り血? まさかあなたが戦ったのですか?」

「え、ええ、まぁ……」


 しまった。言わない方がよかったかもしれない。

 案の定、王様は金色の瞳をリオくんに向けた。


「……役に立たない駄犬ですね。役目もまともに果たせないのですか? 本当に邪魔です。今度こそ、殺してやりましょうか」


 あまりにも冷たい声でそう言った王様に、リオくんの背中が大きく震える。

 私はすぐに顔を上げて、口を開いた。


「待ってくださいっ! リオくんは、こうして私を助けてくれました! 捕まったのは、私の不注意です!」

「あなたの不注意で捕まろうと、この駄犬が守れなかったのは事実でしょう?」

「……っ! そんな言い方ないでしょ!? リオくんは、これまで何度も危ないところを助けてくれたんですよ!」


 そう叫んで、結ばれていたマントから両手を抜く。リオくんの背中から降りて、王様に近づいた。

 身体がふらつく。

 けれど、王様を真っ直ぐに見て、視線をそらさなかった。


「――だから絶対に、リオくんを殺さないで。殺したら、あなたを一生許さないから」


 強い口調で、そう言った。

 こんな脅しに効果がないのは分かってる。王様からすれば、私に恨まれようが嫌われようが、どうでもいいはずだ。

 だけど、どうしたらリオくんが殺されずにすむのか、その方法が分からなかった。こうして感情的に訴えることしかできなかったんだ。

 王様は表情を変えずに私をじっと見る。

 それから小さくため息を吐いた。


「……今日は早く休んでください」

「リオくんを殺さないって、約束してくださいっ!」

「分かりましたよ。あなたが言うなら、殺しません」

「く、口先だけで言ってるんじゃないんですか!?」

「本当ですよ。殺しません。頑固なところは、相変わらずですね」


 王様は困ったように、だけど少し微笑みながらそう言った。

 どうしてだろう。

 この人は嘘を言っていない。それを漠然と理解できた。

 すんなりと要求を受け入れてくれたことに驚いて、毒気が抜かれてしまう。安心して、一気に身体から力が抜けてしまった。

 ……よかった。とりあえず、これでリオくんは殺されずにすむ。

 

「疲れているでしょう。もう休んでください。部屋にはその子……リオといいましたか。に、運ばせますから。リオ、この子を自室に運んでください。服は侍女に頼んでください」

「は、はい……っ!」


 リオくんは大きく返事をして、私の身体を再び背負った。

 あーリオくんには悪いけど、めちゃくちゃ眠い。気が抜けたせいもあるけど、もう目も開けてられないや……。

 運ばれている感覚の中、いつの間にか、私は意識を手放していた。

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