五章.サリエニティ共和国

40.おやすみなさい、スズさま


 時が経つのは、あっという間だ。

 早いもので、私が王宮の騎士になって、三十日が経とうとしていた。

 この世界での生活にもずいぶん慣れて、睡眠時間を削って働いていた、悲惨な以前の暮らしを忘れそうになってしまう。


 リオくんは、護衛としてほぼ私のそばにいる。

 寝るときすら狼の姿になって、部屋の中を護衛してくれているぐらいだ。

 守ってもらう身としてはすごくありがたいんだけど、リオくんはずっと気を張って疲れないんだろうか。

 そう心配して、たずねたことがあるけど、リオくんはとんでもないとばかりにぶんぶん首を振って。


「全く苦にならないので、大丈夫ですっ!」


 と真剣な顔をして答えた。

 嘘を言っているようには見えなかったので、ずっとその言葉に甘えたままだ。私がもう少し強ければ楽をさせてあげられただけに、申し訳ない気持ちになる。


 だけど、リオくんのおかげで、騎士になりたての頃にくらべたら、気兼ねなく外出できるようになった。というのも、リオくんを警戒してか、襲われることが極端に減ったからだ。

 最初の数日は、外を歩けば絶対に一度は襲われたけど、今じゃもう二十日ぐらい何もない。

 ……たぶん、リオくんが容赦なく両足を破壊しているのが効いている気がする。正直、最初はやりすぎじゃないかって思ってたけど、効果はあったらしい。まぁさすがに敵もびびっちゃうよね……。

 

「スズさん。今日、妹が新しいパンを販売するみたいなんです。よかったら、一緒にいきませんか?」


 朝食を食べ終わった後。

 ニコニコと嬉しそうなリオくんにたずねられて、すぐにうなずいた。


「本当? 行きたい! 前、リリア様とライカナ様にほとんど食べられちゃったから、リベンジしたいって思ってたんだー!」

「よかった。じゃあ、行きましょう」


 何十日も一緒に生活すると、さすがに慣れてくれたのか、最近では屈託なく笑ってくれるようになった。気を使われるのが好きじゃないから、これはうれしいことだ。

 さっそく部屋を出て、王宮の外に出る。

 リオくんはすぐに狼に変身した。柔らかい灰色の毛で覆われた背中に乗って、ヴィラ―ロッドへ出発した。

 リオくんの背中から見る、この世界の風景もすでに日常になりつつある。


 ――どうしてだろう。

 最近、日本で働いていたのが、もうずいぶん前の遠い記憶のように感じていて、今ではよく思い出せなくなっていた。

 そんなはずないんだけど、はじめからずっとこの世界にいたような、そんな感覚におちいることがある。

 ……まぁ、それぐらいこの世界になじんだってことだろう。

 それが良いことなのか悪いことなのかは、分からないけどね。


 リオくんの背中に乗ったまま、ヴィラ―ロッドの門をくぐって、街へ入る。ミリアちゃんのお店がある、市場に着いてリオくんは変身を解いた。

 そうして、ミリアちゃんのお店に向かおうとした、そのときだった。

 

「あれぇ! スズ様だぁ、こんにちはー」


 突然、間延びした声で名前を呼ばれて、どきりとする。

 どこかで聞いたことがある声だ。うう、嫌な予感がするなぁ……。

 振り返ると、予想通りの人物がそこに立っていた。

 以前、マナ修練所の訓練場で会った、カルナさんだ。

 相変わらず、青白い顔には深いクマが刻まれていて、表情全体に生気が感じられない。服からすらっと伸びる長い腕も傷だらけだった。

 ……カルナさんは苦手だ。

 はじめて会ったとき、しつこく部下にしてほしいと言われたのが怖くて、申し訳ないけど、できればもう会いたくなかった。

 リオくんは私の心情を察したのか、すぐに前に立った。


「……カルナさん。何か用ですか?」


 リオくんの冷たい声に、カルナさんは思い出したように、はっとした表情をする。それから、すぐにしゅんと俯いた。


「あ、そうでしたぁ……。そういえば僕、こないだスズ様にすっごい失礼なことを言っちゃいました。本当にごめんなさい。僕、しつこかったですよねー?」


 カルナさんは、薄い眉を下げてそう言った。

 まさか謝られるとは思わなかったので、面食らってしまう。


「そ、そうですね……。ちょっとびっくりしました」

「……許してもらえますかぁ?」

「こうして謝って頂けたので、もう気にしてないですよ」

「本当ですかぁ? あーよかったぁ。スズ様に許してもらえて! リオも困らせちゃって、ごめんね?」


 ものすごく反省している様子のカルナさんに、リオくんは、少しだけ警戒をゆるめたように見えた。視線はまっすぐにカルナさんを捕らえたままだったけど。


「僕は気にしてないですよ。でも、スズさんを困らせるのは、もうやめてください」

「うん。残念だけど、もう部下にしてほしいとは言わないよ~! ところで、お二人はこんな場所に何の用事なんですかぁ?」


 首をかしげてたずねられて、ああ、と口を開いた。


「この市場に、リオくんの妹さんのお店があるんです。そこに行こうと思って」

「え~っ! この市場に用事があったんですかぁ? 僕も、すぐそこでお店やってるんですよ。よかったら来てくださぁい!」


 カルナさんは嬉しそうにそう言って、すぐに走り出した。

 少し離れたところから、大きく手招きされて、リオくんと目を合わせる。仕方なく着いて行くことにした。カルナさんが何のお店をやっているのか、ちょっとだけ気になるし。


「着きましたぁ! ここでーす!」


 そう言ってカルナさんが示した場所は、かなり簡素……というか手抜きだった。

 机すらなく、地面に布を引いているだけだ。気合いの入ったミリアちゃんのお店とすごい違いだ。

 黒い布の上に、武器がいくつか並べられている。

 どうやら武器屋をしているらしい。


「う、うわぁ……」


 武器をよく見て、思わずうめいてしまった。

 なにしろ、並べられている武器の全てが、グリップから刃先まで全て真っ赤だったからだ。

 

「どうですかぁ、かっこいいでしょー?」

 

 嬉しそうにそう言われて、顔が引きつってしまう。

 何て答えたらいいのか分からない。


「……あの、なんで赤いんですか、これ」

「よく聞いてくださいましたぁ! それ全部、僕の血液で作った武器なんですよぉ! すごいでしょ? おひとつどうですか、スズさまぁ!」


 カルナさんは、黒い目をキラキラと輝かせてそう言った。

 ……血液を操る能力って、武器まで作れるのかよ。そこは驚いたけど、さすがに怖すぎていらない……。


「い、いや……さすがにこれは……」

「そぉだ! しつこくしたお詫びに、ひとつ差し上げます~! 僕の武器、すっごく切れ味いいんですよぉ! 肉も骨もすっごく簡単に切れちゃいますから!」

「へ、へぇ……いえ、私にはちょっと……」

「あ、この折り畳み式の短刀なんてどうですかぁ? スズさまみたいな、女の子でも扱えますよぉ!」

 

 カルナさんはそう言って、にこにこと真っ赤な短刀を差し出してくる。


「あ……ありがとうございます……」


 さすがに断れずに、おずおずと受け取った。

 ひぇぇ、どうすんだよこれ……。とりあえず、触っているのも怖くて、すぐに制服のポケットにしまった。

 しかし、カルナさん、お店なんかやってたんだなぁ。

 怪しい人には変わりないけど、こうしてちゃんと生計を立てようとしているし、悪い人ではないのかもしれない。


「血液で武器を作るって、貧血とか大丈夫なんですか?」


 なんとなく疑問に思ったことをたずねると、カルナさんは、待ってましたと言わんばかりに、ぶんぶんと首を振った。


「もー全然、大丈夫じゃないですよぉ! ずーっと頭がくらくらしてるんです。ほらぁ、僕、顔が青白いでしょ~? 貧血のせいなんです~。スズ様、治してくださいよぉ!」

「あ、それぐらいなら、全然治しますよ」

「えっ!? 本当ですかぁ!? ぜひぜひお願いしますっ!」


 カルナさんは、小さな子どもみたいに、はしゃいでいる。

 さっそく両手をカルナさんに向けて、治癒能力を使った。カルナさんの青白かった顔に、みるみる赤みが戻っていく。

 回復が終わると、カルナさんは、嬉しそうに笑った。

 

「はぁ、頭がすっきりしたぁ。ありがとうございます~! こんな気分、久しぶりです~」

「それはよかった。これぐらいなら、いつでも言ってくださいね」

「これでやっと全部、繋げられましたぁ。血が足りなくて、困っていたんですよぉ」


 そう言ったカルナさんの顔色は。

 元の青白い顔色に戻っていた。


「――え?」


 そばで、どさり、と音がした。

 音のした方を見ると、リオくんが地面に倒れていた。

 瞳は固く閉じられて、けれど胸は上下に動いている。

 ただ、眠っている。そんな風に見えた。

 それから次々と、倒れる音が聞こえた。周囲を見回すと、市場中の人達が、次々と倒れていく。あまりにも驚いて、私はその場から動けなかった。


「えへへ。スズさまを、捕まえましたぁ」


 両手を掴まれて、にっこりと笑いかけられる。

 慌てて振りほどこうとしても、強い力で掴まれた手は離れなかった。


「は、離して!」

「えー駄目ですよぉ。僕ねぇ、スズ様に初めて会ったあとに、移動能力者について、調べたんですよ~? 移動能力者って、捕まったらもう終わりなんですねぇ。えへへ、頼みのリオも寝ちゃったし、もうスズ様、終わっちゃいましたね」

「何をしたの!? リオくんは……市場の人たちは無事なの!?」

「寝てるだけですよぉ。僕の血液をすんごーく細くしてぇ、市場中の人に届けただけなんですよ。乗せている能力は、僕と別の人ですからー」

「べ、別の人……?」

「えへへ、後で会えますよ! 楽しみにしててください!」


 楽しそうな口調でそう言われ、淀んだ目でのぞきこまれる。

 私が強く睨むと、カルナさんはさらに楽しそうに笑った。

 

「ね~? 言った通り、僕の方がリオより役にたつでしょ~? 僕を部下にしてくれればよかったのにぃ。そしたら、僕だって隣国のサリエニティの人のお願いなんて聞かなかったしぃ。もう遅いですけどねぇ」


 急に、がくん、と身体の力が抜けた。

 頭がくらくらする。

 逆らえない異常な睡魔に襲われて、目が開いていられなくなる。


「僕ね、血液を付けた人の場所が分かるんですよぉ。スズ様に最初に会ったときに、こっそりちょびっとだけつけて、それからずーっと隙をうかがっていたんです。ねぇ、僕、スズ様に言いましたよねぇ、後悔しますよって。あのときに言ったでしょ? ね、今してますか? 僕を部下にすればよかったぁ、って。後悔してますかぁスズ様? あれぇ、もう寝ちゃった~? 寝ちゃったかなぁ」


 頭がまわらない。

 カルナさんの声が小さくなって、言葉は聞こえても、理解まではできなかった。


「おやすみなさい、スズさま」


 意識を手放す前、カルナさんの不気味な声が聞こえた。

 そんな気がした。

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