39.また会いましょうね?
リリア様は緑色の目を輝かせて、期待するように私をじっと見ている。
私はおずおずと口を開いた。
「えっと、一応私も騎士になったので、エルマー様との主従関係はもう解消されてると思いますけど……」
「えーそうなの? それあのバカがそう言った?」
「い、いえ……言われてませんけど……」
しれっとエルマー様のことをバカって言っていて、返事をするのにためらってしまう。
リオくんの面接のときも思ったけど、リリア様とエルマー様は、あまり仲がよくないのかもしれない。
「あのバカが解消するって言ってないなら、解消してないんじゃない? 騎士同士で、主従関係を結んでいる奴らもいるからね」
「えっ、そうなんですか!?」
マジか。私が騎士になった時点で、解消されてるのかと思ってたよ。
それじゃあ、これからも私はエルマー様の書類に、ハンコを押し続けなきゃいけないってことか。地味にめんどくさいな……。
ため息をついた私に、なぜかリリア様は悪戯っぽくニヤリと笑って、そっと近づいてくる。
「ねーねースズちゃん!」
「うわっ」
勢いよく後ろから抱きつかれて、声を上げてしまう。腰に右手を回されて、左手で上を向かされた。
ちょ、ちょっとリリア様、近すぎ! 大きい胸が当たってて、女といえどちょっとドキドキするんですけど!
「……あいつさぁ、スズちゃんのこと好きなんじゃない?」
耳元で囁かれて、首をかしげる。
「へ? あいつ?」
「エルマーだよぉ。だってスズちゃんが騎士になったのに、主従関係を解消しないんだよ? あやしくなーい?」
「いやいや、何言ってんですか……そんなわけないでしょ……」
明らかに悪ノリしているリリア様にちょっとげんなりする。
面接のときも思ったけど、きっとこういう話題が好きなんだろう。リリア様は、まるでおもちゃで遊んでいる子どもみたいに、楽しそうな笑みを浮かべている。
「やーんっ、エルマーかわいそー! ざまぁみろー!」
「うわ、ちょっとっ」
リリア様が突然身体をくすぐってくるので、びっくりして身をよじる。
「くすぐったいですって……! ひっ、もーやめてくださいよっ!」
「スズちゃん、かっわいいーっ!」
ますますリリア様は楽しそうな顔をしている。
ど、どうしたら離してくれるんだ……!
ふと前を見ると、近くまで来ていたリオくんが顔を真っ赤にして、オロオロしている。止めるべきなのか分からないみたいだ。
「あ! そうだ、バロンのこと忘れてた! ちょっと、リリア様、離してくださいっ!」
「ちぇっ、はーい!」
意外にもリリア様はすぐに離してくれた。
さっきおとりにしてしまったバロンのことをすっかり忘れていた!
バロンは少し離れたところで、ぐでっとのびている。
「うわぁっ、バロンごめんねっ!」
慌てて抱き上げて、治癒能力を使う。
王様のときみたいに、強制的に戻されてはいないから大したことはないと思うんだけど……。
「うう、スズ……ひどいよ。ぼくのこと完全に忘れてたでしょ……」
バロンはすぐにひょっこりと起き上がって、不機嫌そうにつぶやいた。
よかった、とりあえず無事だった。
その後バロンは、キョロキョロと周りを見回して、首をかしげる。
「何してたの? 緊迫した戦いの最中、ってわけじゃなさそうだけど」
「戦闘訓練だよ。ここ、訓練場なんだって。騎士のリリア様とライカナ様がね、私のこと鍛えてくれてたんだ」
そう言うと、バロンは怪訝そうに首をかしげた。
「戦闘訓練? でもスズの能力は、全然戦闘向きじゃないからなー。無理に強くなって戦うより、逃げるスキル上げた方がいいんじゃないの? 戦闘になったら、あのオオカミ人間に任せとけばいいじゃん!」
「……まぁそれはそうなんだけど、心配なことがあってさ……。自分でも戦えるようにしたいんだ!」
「心配なことってなに?」
たずねられて、バロンにモーガン様に言われたことを伝えた。
私の身に何かあれば、リオくんが酷い罰を受けるかもしれないこと。
命はないと思っていいと言われたこと。
バロンは私の言葉を聞き終わって、後ろ足で頭をガシガシと掻きながら口を開いた。
「ふーん、なるほどねー。ずいぶん露骨だなぁ」
「えっバロン、王宮が何を考えているのか分かるの?」
何か知っているような口ぶりのバロンにたずねる。
バロンは耳をぴんと立てて、ぴょんと私の肩に乗ってきた。
「まぁ大体はね。多分、オオカミ人間――リオだっけ? を適当に理由をつけてでも消したいんじゃないかなー」
「……どういうこと? 私を外に出しにくくするために言ってるのかと思ってた。レベル10の能力者が私の傍にいると、制御できなくなるから邪魔ってこと?」
「まぁそれもあるだろうね。王宮もまさかレベル10の能力者がスズの部下になるなんて、想定してなかったと思うし。実力行使でスズを支配したくなった場合にやりにくいとか、そのへんも考えてるんだろうけど、一番の理由はきっとそれじゃない。ただ単に、リオ個人を殺したいのさ」
過激な言葉にドキッとする。
思わず遠くにいるリオくんを見ると、不思議そうに首をかしげていた。
「バロン、それって……」
「おーいっ! スズちゃん、何してるのー? 精霊ちゃん、大丈夫だったぁ?」
リリア様に大きな声で呼ばれて、振り返る。
話の途中だったけど切り上げて、慌ててリリア様たちの元へ戻った。
……あとでバロンに詳しく聞いてみよう。
「す、すみません! バロンは大丈夫でした!」
リリア様たちにそう声をかけた。
そのときだった。
「あれぇ、もしかしてスズ様ですかぁ?」
突然、間延びした低い声で名前を呼ばれて、声がした方を向く。
少し離れたところに、どこかで見たことのある、背の高い若い男性が立っていた。
乱れた黒髪はえりあしだけ長く、顔は不気味なほど青白い。濁った黒い目には深いクマが刻まれている。見るからに不健康そうな風貌だ。
だらしなく着ている白いシャツから伸びる両手は、痛ましいほど包帯が巻かれている。白い包帯からはうっすらと血がにじんでいた。
男性は私をじっと見て、うれしそうに、へらっと笑った。
「やっぱり、スズ様だぁ! こんにちはぁ!」
男性はそう言って、ニコニコしながら近づいてくる。
すぐに私の前に、リリア様とライカナ様が立った。不審者を見るような目で、男性を見ている。
男性はそれを見て、悲しそうな表情を浮かべた。
「え~! みなさん、僕のこと忘れちゃったんですかぁ? 僕、スズ様の部下を選ぶ、面接に行ったじゃないですか! 一応、最終面接まで行ったのに……」
男性は間延びした声でそう言って、がっくりと肩を落とした。
……ん? 言われてみれば、たしかに最終面接で見た顔な気がする。
もしかして、最後に面接した、血液を操作できるヴィラ―ロッドの人かな? あの貧血になって倒れた人。
すると、隣にいたリオくんは、慌てて口を開いた。
「ス、スズさん、彼の言っていることは本当です……! 彼、僕と同じスラム出身で、一緒に王宮に行きましたから……」
「そうだったね。思い出したよ。面接に来てた人だね」
そう言うと、リリア様とライカナ様は目を細めて、男性を見た。
「あー! あの貧血になった、使えなさそうな奴ねー!」
「ああ、あいつか……。そういやいたな、あんなの」
……二人とも、ひどい言いぐさだな。
けれど男性は、気を悪くした様子もなく、ほっとした表情を浮かべて、にこっと笑った。
「思い出して頂けてよかったぁ! あらためまして、僕、カルナって言います。よろしくお願いしまぁーす。僕もよくここに、訓練に来るんですよぉ」
カルナ、と名乗った男性はそう言って、嬉しそうに、にこにこと笑っている。
不健康そうな見た目に対して、かなり愛想がいい。こんなことを思ったら失礼だけど、見ていると不安になる顔つきだった。
カルナさんは、一歩私に近づいて、また不気味に笑った。
「ねぇ、スズ様。お願いがあるんです。今からでもいいので、僕を部下にしてくれませんかぁ? リオより役に立ってみせますからぁ」
「え? いや、もう決まっちゃったので、すみません……」
「どうしても駄目ですかぁ? リオが気に入ったんなら、僕とリオ、二人でスズ様の部下をしますよ! 僕、スズ様の部下になるのが夢なんですよ~」
カルナさんは、どこかうっとりとした表情でそう言った。
いやいや、私の部下になるのが夢って……。私がこの世界に来て、そんなに経ってないんだけど? 言っていることがよく分からなくて、混乱するわ。
何て答えたらいいのか分からなくて黙っていると、カルナさんはニコニコと笑ったまま、話を続けた。
「僕ねぇ、例の疫病にかかってたんですよぉ。毎日本当に痛くて、苦しくて、腕は腐るし、足はもげるし、もう死ぬかとおもいましたぁ! でも、もう死んじゃうってときに、スズ様が助けてくれたんですよぉ。僕にはもう、スズ様が天使に見えましたぁ」
突然された、あまりにも痛々しい話に驚く。
この人も、あの疫病にかかっていたんだ。
「そうだったんですか……。助けられてよかったです」
そう言うと、カルナさんは目を見開いて驚いた。
それからまた、不気味に笑う。
「……やっぱりスズ様は優しい人ですね。ねぇ、どうしても部下にしてもらえないんですかぁ? 僕とスズ様が組んだら、敵なしなのに」
「え、敵なしって?」
「だってぇ、スズ様は治癒能力を使えるでしょ? 僕は血液を操れるけど、血液だから、内容量に限界があって、あまり使いすぎると、こないだみたいに倒れちゃうんですよ。だからぁ、スズ様が僕を治癒しながら戦ったら、絶対最強になれますよぉ」
カルナさんはそう言って、どんどん私との距離を詰めてくる。
「ねぇ、だめですか、スズ様」
「え、いや、ごめんなさい……」
「え~どうしても~? この話を断ると、あとで絶対後悔しますよぉ?」
何だろう、ちょっと怖い。
深いクマが刻まれた淀んだ目を、あまりまっすぐ見ることができなかった。
そのとき、リオくんが、遮るように、素早く私の前に立った。
強い目で、カルナさんを見上げている。
「カルナさん、やめてください。それ以上、スズさんに近づかないでください」
はっきりとした声だった。
カルナさんは、濁った目で、立ちはだかったリオくんをじっと見下ろして。それから、深いため息を吐いた。
「はぁ。リオに怒られちゃったので、帰りまーす」
そう言って、カルナさんは背を向けた。
やっと諦めてくれたみたいで、ほっとする。けれど、カルナさんは去り際に、もう一度振り返った。
「……残念です。じゃあ、また近いうちに会いましょうね。スズ様?」
意味深にそう呟いて、今度こそ、カルナさんは訓練場を出て行った。
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