36.サクラベーカリー
“今後スズちゃんに、もしものことがあれば、リオには相応の罰を受けてもらう。命はないと思ってもらっていい”
あの日、言われたモーガン様の言葉は、数日経った今でも頭から消えなかった。
不安でたまらなくて、暇さえあればそのことばかり考えてしまう。
だって、もし私に何かあれば、リオくんが殺されるかもしれないんだ。そんなこと、あってはならないし、絶対に許さない。
「はぁ……」
重いため息を吐いて、書類に承認印を押す作業を止める。
ここ数日は出かけるような気分になれなかったので、今日も自室で事務作業をしていた。
――王宮は一体、何を考えているんだろう。
リオくんが邪魔なのか、私を外に出したくないからそう言っているのか、目的がはっきりしない。
けれど、あの理不尽な要求には、何か理由がある。
そんな気がしてならなかった。
「スズさん、あのっ!」
ぼーっとそんなことを考えていたら、突然リオくんに話しかけられて、慌てて顔をあげる。
「ごめん、ぼーっとしてた! どうしたの?」
「実は、ミリア――妹が今日から、ヴィラ―ロッドの露店でパン屋をはじめるみたいなんです。もしよかったら、行きませんか……?」
控えめにそう言われて、慌てて椅子から立ち上がった。
「えっ、本当に!? 行きたいっ!」
「よかった。じゃあ、今から行きましょう!」
「――あ、でも、外出しても大丈夫かな……。もし何か遭ったら……」
そう言ってうつむくと、リオくんは心配そうな表情をして、下から私を見上げた。
「……スズさん、ここのところ、ずっと難しい顔をしていますよ。僕が守りますから、絶対に大丈夫です。だから、気分転換に外に行きませんか……?」
リオくんはそう言って、柔らかく微笑んだ。
うわぁ。まだ小さいのに、何て天然たらしなんだ。この子は絶対に、将来いろんな女の子を泣かせるね。
でもリオくんの言う通りだ。
部屋にずっとこもってばかりいると、ロクなことを考えない。気分転換に外に出て、頭をリセットするのもいいかもしれない。
そう思って、私は椅子から立ち上がった。
「うん、じゃあ、行こうかな! 書類にも見飽きてたところだし」
そう言うと、リオくんの表情がぱっと明るくなる。
きっと気を使ってくれているんだろう。あーもう、こんないい子に気を使わせるなんて、何をしてるんだろ、私は。
さっそく部屋を出て、王宮の外に出る。空は明るくて、絶好のおでかけ日和だ。
先日、騎士の方々にあんなことを言われて、何となく外出しにくかったから、外に出るのは久しぶりで、少し心がおどる。
「スズさん、乗ってください」
そう言ったリオくんが狼に変身して地面に伏せたので、前みたいに背中に乗せてもらう。
私が毛をつかんでいることを確認して、すぐにリオくんは走りはじめた。
相変わらず風が気持ちいい。
久しぶりの外は気分がよくて、顔がゆるんでしまう。
数十分でヴィラ―ロッドに到着して、門を通り街の中に入っていく。
人が増えてきたからか、リオくんは少しスピードを落とした。
街の中を走っていると、人々からの視線を痛いほど感じる。疫病発生区であるヴィラ―ロッドでは、特に顔を知られているようで、すれ違いさまにいたる所で名前を呼ばれたり、手を振られたりした。
とりあえず笑って手を振っておく。
うう……やっぱ向いてないな、こういうの。笑顔がひきつってる気がする……。
やがて、たくさんの露店が並ぶ、市場のような場所に出て、リオくんの足が止まる。
背中から降りると、リオくんは人間の姿に戻った。
「着きました。スズさん、大丈夫でしたか?」
「うん! ひさしぶりの外だから、楽しかったよ。連れてきてくれて、ありがとね」
「いえ、喜んで頂けてよかったです! えっと、この市場のどこかで妹が出店しているはずなんですけど……」
「じゃあ、とりあえず順番にまわろっか」
さっそく市場に入って、ミリアちゃんのパン屋を探す。
市場はとても活気のある雰囲気だ。お世辞にも綺麗な市場とは言えないけど、こういう雰囲気は好きだ。
人が多くて、そこら中から激しい呼び込みの声が上がっている。
果物、野菜、見たことのないちょっとグロイ肉。それに装飾品や雑貨などいろんなものが売っていて、つい目移りしてしまう。歩いているだけで楽しい。
「スズ様じゃないか! これあげるから食べなよ!」
「えっ、ありがとうございます!」
突然、店主のおばちゃんから、タダで肉の串を二本差し出されたので、受け取った。一本をリオくんにあげて、ありがたく頂く。
うん、何の肉か分からないけどおいしい!
それからしばらく市場を歩いたところで、リオくんは声をあげた。
「あっ、スズさん! 妹の店がありました! あそこです。おーい! ミリア!」
リオくんが嬉しそうに顔をほころばせて、お店に向かって走っていく。私も後をおいかけた。
私たちに気がついたらしいミリアちゃんは、驚いた表情をした。
「お兄ちゃん!? えっ、スズさんも!? ちょっとお兄ちゃん、スズさんが来るなら、言ってよっ!」
ミリアちゃんは慌ててオレンジ色の前髪を両手で整えて、身だしなみを確認しはじめる。そんなにかしこまらなくてもいいのに!
ミリアちゃんのお店は、他の店と同じように簡素なつくりだった。
けれど、ところどころにお花の装飾品などが飾られていて、かわいい雰囲気のお店になっている。
うーん、女の子っぽさを感じる! いい!
正面の机には、三種類のパンがたくさん置かれていて、香ばしい香りが漂っていた。
「スズさん、わざわざ来てくださって、ありがとうございます。まさか本当に来ていただけるなんて……!」
「こんにちは、ミリアちゃん。リオくんから聞いて、すぐに来ちゃったよ。かわいくてすてきなお店だね」
「ありがとうございます! まだ種類も少ないので恥ずかしいんですけど……。ゆくゆくは個人店を開きたいのですが、まず露店でパン作りの腕を磨いて、資金を貯めようと思っていているんです」
そう言って、ミリアちゃんは嬉しそうに笑った。
こんなに小さいのに、立派だなぁ。かなり年下なのに、私よりしっかりしてる。
こないだついに王宮からお給料もらったし、個人店代ぐらいさくっと出資してあげたいけど、それは多分ミリアちゃんの望むことじゃないんだろう。出店が決定したときに、少しだけ援助してあげることにしよう。
あ、その前にエルマー様にお金を返すのが先だった……。
「じゃあ、早速だけど全種類のパンを……そうだな、五つずつ買わせて!」
そう言うと、ミリアちゃんは首を振った。
「いえ、お代はいりません。スズさんですから!」
「いやいや、何言ってるの。こういうのはちゃんとしたいから払わせて。って言っても、実はこの世界のお金の使い方もよく分かんないんだけどね。……リオくん、これ何色の硬貨を何枚? 多めでいいよ」
こそっとリオくんにたずねると、リオくんはすぐに硬貨を選んでくれる。
ミリアちゃんは困った表情を浮かべながらも、おずおずとお金を受け取ってくれた。
パンを紙袋に詰めてくれている間、もう一度お店を見る。立てかけられるようにして設置されている、小さな看板を見つけて思わず声をあげた。
「サクラベーカリー?」
「あっ、す、すみません……っ!」
ミリアちゃんは突然、動揺したような声をあげて、トングからパンを落とした。
慌ててパンを全て詰めて、大きな紙袋三つを、私とリオくんに手渡した。
「じ、実は……お兄ちゃんから、スズさんの正しい名前を聞いて、そこからお店の名前を頂いてしまったんです。勝手にすみません……」
「えっ、そうなの!? そんなの全然気にしないし、むしろすっごく嬉しいけど、私なんかの名前でよかったの?」
「はい……! スズさんの名前がいいんです。サクラ、っていい名前ですね。響きが好きです。どういう意味なんですか?」
「そんなこと、この世界に来て初めて言われたよ。ヘンな名前としか言われなかったから。えっとね、大きな木に生える、ピンク色のお花の名前なんだ!」
「お花の名前なんですか! すてきですね。じゃあこのお店も、もっともーっとピンク色のお花で飾りますねっ!」
嬉しそうにそう言われて、こっちまで頬がゆるんでしまう。
なんていい子なんだ……!
大切なお店の名前にまでしてもらえて、幸せ。暇があれば通おう、この店。
それから、ミリアちゃんに手を振って、市場から出る。
行儀が悪いけど、紙袋からパンを一つ取り出して、ぱくりと食べた。
「うわぁ、ふわふわでおいしい……! リオくんも食べる?」
「あ、はい! じゃあ、いただきます!」
リオくんはパンを受け取って、顔をほころばせて一口食べた。
「おいしい……」
「うん、すごくおいしいね。王宮のより、ミリアちゃんのパンの方が好きかも。ほっとする味がする!」
「……はい。病気だった妹のパンをこうして食べられたのは、すごくうれしいです。スズさん、今日は付き合ってくださって、ありがとうございました」
リオくんは幸せそうに、そう言った。
うん、私も来てよかったな。
結局何にもなかったし、モーガン様の言葉をちょっと気にしすぎたのかもしれない。
「また来ようね」
「はい! でも今日は……ちょっと、買いすぎてしまいましたね」
「いいのいいの。エリスちゃんとエルマー様にお土産だから!」
そう言うと、大きな紙袋を抱えた、リオくんが笑った。
そうして、二人でヴィラ―ロッドを歩いていた、そのときだった。
突然、リオくんが勢いよく振り返って、辺りを確認する。それから手早く紙袋を地面に置いた。
「……スズさん、敵です」
「え!? 今!?」
「二人です。大したことありません。スズさんはここから動かないでください」
リオくんは静かにそう言って、すぐに地面を蹴った。
瞬きしている間に、数メートル先にリオくんが移動していて、敵と思われる男の人の足を掴んでいた。
すぐに、太い悲鳴が聞こえる。リオくんが足を破壊したんだろう。
私も慌てて周りを確認する。視界の端に、身を隠している人影が見えた。
一人がやられたせいか、相手の腰はかなり引けている。これならいける。私は、移動能力でそばに近づいた。
「え、スズさんっ!?」
「大丈夫! ここは私に任せて!」
ターゲットが近くに来て驚いたのか、敵はさらにたじろいだ。
――うん、これなら私でも対処できる。負ける気がしない。
リオくんに守られているだけなのは嫌だし、私だけでもある程度は戦えるようにならないと!
亜空間から手早く剣を一本取り出して。
「ごめん、なさいっ!」
そう叫んで、片足をためらいなく切りつけた。
すぐに男性の痛ましい悲鳴が響く。地面に転がり、片足を抱えている。動けないでいるようだった。
や、やった、一人で倒せた……!
捕まったらリオくんの命が危ないって思うと、意外に非情になれるもんだな。
私は振り返って、リオくんに両手を振った。
「リオくん、こっちは大丈夫だよー!」
「ス、スズさん、危な―――」
「スズちゃん、甘いよぉっ!」
リオくんの声は、甘い声にかき消された。
直後に大きな爆発音が聞こえて、私が足を切ったはずの男性が、再び地面に沈む。それと同時に、さらさらのベージュの髪が、視界に入った。
「やっほースズちゃんっ!」
そう言って、ひらひらと手を振った女性は、リオくんの面接のときに一度だけ会った、女性騎士のリリア様だった。
騎士の制服じゃないから、イメージが全然違う。薄紫色のレースをあしらったワンピースを着ていて、ツインテールだった髪は真っ直ぐにおろしている。はじめて見たときよりも、かなり大人っぽい雰囲気で驚いた。
リリア様は、不満げに頬を膨らませて、私に近づいてくる。
「もースズちゃん駄目じゃんっ! 動きはまぁまぁ良かったけど、傷が浅すぎぃっ! コイツ、動けないふりをしてただけだったよー?」
「な、なんでリリア様がここにいるんですか……?」
「えへへ偶然だよっ! って言いたいけど、さすがに無理あるよねー? モーガンがさぁ、後をつけろって言うからライカナと一緒につけてたの! もーほんとあいつ悪趣味だよねー? 私、あいつきらーいっ!」
そう言われて驚いた。
……ま、まじか。つけられてたことに全然気が付かなかった。
リオくんも目を見開いて驚いている。あのリオくんも、気が付いてなかったんだ。
反対側の物陰から、女性がもう一人現れた。
リオくんの面接のときに見た、長い黒髪の厳しそうな女性騎士だ。上品な白い上衣に、細身の黒ズボンを履いている。ライカナ様っていうんだな……。
「スズ、まだ陽は明るい。行くぞ」
突然ライカナ様に低い声で言われて、目を丸くする。
「えっ、どこに、ですか……?」
思わずたずねると、今度はリリア様が、楽しそうに笑った。
「グリモワールのマナ修練所に行かない? スズちゃん、戦い方がダメダメだから、私たちが鍛えてあげるよっ!」
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