21.ノアアーク王


「……いた、いっ!」


 強い力で掴まれた両手首が痛くて、思わずうめく。すると、突然現れたその人は驚いた顔をして、すぐに力を緩めた。


「……ああ、痛かったですか? 申し訳ありません。力の加減があまり得意ではないのです」


 綺麗な顔が悲しそうな表情を浮かべる。けれど掴んだ手を、離してはくれなかった。

 ……こうして捕まるまで、何が起きたのか全く分からなかった。

 大きな鳥に切りかかろうとした瞬間、この不気味な男の人が急に現れて、気が付いたときには拘束されていた。

 バロンは私の肩に乗ったまま、ぐったりしている。身体は温かいから死んではいない。気絶しているのか、気絶したふりをしているのかまでは分からなかった。


「モーガン。おとり、ご苦労でしたね。おかげで簡単に捕まえられました。ありがとうございます」

「――もったいないお言葉。お役に立てて光栄です、陛下」


 地面に降りたモーガン様はそう言って、かしずいた。

 ……モーガン様はおとりだったんだ。そうとも知らずに、まんまと飛び込んでしまった。悔しくて唇を噛む。

 ……ん? ちょっと待った。モーガン様、今何て言った?

 顔を上げて、私の両手を掴んでいる人を見る。

 その人は私を見て、なぜかとても嬉しそうににっこりと微笑んだ。


「陛下……?」

「そうですよ。私はこのティルナノーグ王国の王、ノアアークです。私のことが分からなかったですか? 手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでしたね」


 ノアアーク、と名乗った王様は、そう言って美しく微笑んだ。

 それから掴んでいる私の手をぎゅっと握って、自分の頬に触れさせてくる。

 何だこの人……距離感がおかしい。


「でも、あなたも悪いですよ。逃げられたら、捕まえないといけないでしょう」

「え、あの、ちょっと……」

「可哀想に。いろんな者に突然襲われて怖かったでしょう。もう大丈夫ですよ」

「いえ、あなたの部下にしか襲われてないですけど……ってか近いです」


 異様に距離が近い国王様から顔を背け続ける。

 すると、肩に乗っていたバロンの身体が震えはじめ、突然毛がぶわっと逆立った。


「コラぁっ! さっきから黙って聞いていれば、そこの人間何やってんだっ! スズから離れろっ」


 バロンは、王様に向かっていきなり飛びかかったけど、王様はひょいと簡単にかわした。よかった、気絶したふりをしていただけらしい。


「おや、あなたは……まさかあのときの精霊ですか?」

「――お前は!」


 声が同時に重なる。え、まさかの知り合い……?

 二人は互いにじっと見ている。やがて、バロンが笑った。


「そうか。お前が、スズを狙ってるのか」

「おや、私のことを覚えているのですか?」

「うん。お前、有名人だからね」

「精霊に存在を認知して頂けるなんて、光栄ですね」

「もちろん悪い意味でだよ?」


 馬鹿にしているような口調で、バロンが言った。

 王様はそれに気を悪くした様子もなく、黙ってバロンを見ている。


「ちっぽけな世界で神様ゴッコしてるの、ずいぶん楽しそうだねー? 神に近い存在のぼくに何か言いたいことないの?」

「私のことが、ずいぶん嫌いなようですね」

「嫌い? ぼくがお前を? 面白くない冗談を言うね。ぼくはね、人間相手に好きとか嫌いとか、そんな感情は持たないよ。心の底からどうでもいい。人間が何をしようが、生きようが死のうが、勝手にしてろって感じさ。だからこうしてお前が、楽しい神様ゴッコをできてるんでしょ?」


 ちょ、ちょっとちょっと!

 会話の内容は全く分からないけど、バロン王様を煽りすぎじゃない? 私、王様に捕まってるから、何されるか分からないし、怒らせたくないんですけど!

 不安になって、王様をちらりと盗み見る。あれだけバロンに煽られても、王様は相変わらず表情ひとつ変えていない。小さく笑みをうかべたままだった。

 ここまで何を考えているのか分からない人は、はじめてだ。思考がまるで読めない。


「……ではなぜ、あなたはこの少女の召喚獣になっているのですか? 人間に無関心で、この世界がどうなろうとも、どうでもいいのでしょう?」

「その子が気にいったからさ! 人間にしては優秀だし、度胸もあるんだ」

「それだけのことで、よりによってこの少女を?」

「そうだよ。よりによってスズが、どうやってこの世界を救うのか、ちょっと興味があるんだ。それだけさ」

「スズ……? ああ、この子のことですか……」


 王様は少しだけ不機嫌そうに言って、私を見た。

 吸い込まれそうなぐらい、綺麗で冷たい金色の目が向けられる。

 見られているのが恐ろしくて、思わず目を逸らした。

 何だろう、この人、すごく怖い。


「バ、バロン! 全然話が分からないんだけど、王様と知りあいなの?」

「スズ! こいつ、ずーっと昔に、ぼくのダンジョンに来た人間だよ。強い能力をいくつか手に入れていたからよく覚えてる。レベル10の能力を所持している人間の一人だ」


 レベル10の所持者。

 たしかアイリスさんが、分かっているレベル10の所有者はこの世界に二人しかいないって言ってた。

 その一人が、この人。

 王様は、私を見て、にっこりと笑った。


「おいっ! はやくスズを離せっ! さもないと―――――」


 そこでバロンの言葉は途切れた。突然、姿が消えてしまったんだ。


「え……? え? バロン……?」

「うるさいので、消しました。はぁ、どうしましょうね。とりあえず王宮に戻りましょうか」

「消した、って……。え? 死んでないよね?」


 おそるおそるそう尋ねる。国王様は答えず、また美しく微笑んだ。その表情になぜかぞっとする。

 次の瞬間、周りの風景が一変した。外にいたはずなのに、物凄く豪奢な部屋内に移動していた。どうやったのか知らないが、一瞬でここに連れてこられたらしい。


「ね、ねぇ……バロンは……」

「大丈夫です。殺してませんよ。大切な召喚獣ですもんね。邪魔だったので、ダンジョンに戻しただけです。しばらくは呼び出せないでしょうが、数日経てばまた召喚できますよ」

「そ、そう……よかった……」


 その言葉にほっとする。

 少し落ち着いて、周りを見る。ところどころの豪華な家具に見覚えがあるから、きっと王宮に戻ってきてしまったんだろう。

 居心地が悪くて身体をよじる。王様はまだ手を離してはくれなかった。


「さて、もう一度聞きますが、あなたの名前は?」

「は? だから、スズだって言ってるでしょ」

「それ、本名じゃないでしょう?」

「……鈴木桜だけど?」


 そう答えると、なぜか王様は私をじっと見て。小さくため息を吐いた。な、何だよ。ヘンな名前で悪かったな。


「あの、そろそろ手を……」

「それにしても、よく精霊と召喚契約できましたね。そんな能力者、あなただけですよ。聞いたことがないです。どんな手を使ったんですか?」

「え? どんな、って言われても……」


 唐突にたずねられて、言葉に詰まる。


「……別に、私は何もしてないです。訳も分からないうちに、バロンに契約してあげるって言われて」

「へぇ、精霊からなんですか。先ほども思いましたが、ずいぶん懐かれているんですね。あなたは本当に精霊に取り入るのが上手だ」


 優しい口調だけど、棘のある言い方だ。

 むっとして思わず睨んだけど、相変わらず王様は美しく微笑んだままだった。

 ……悪意はないのか? この人が何を考えているのか、全く分からなかった。


「別に、取り入ってなんかない、です。突然のことで、わけもわかんなかったし。それに、こんな能力だっていらなかった」

「おや、そうなんですか。欲がない方に当たってしまったものですね。ところで、治癒能力のレベルはいくつなんですか?」


 急に核心をつかれて心臓が跳ね上がる。


「……言いたくない」

「あなたはあのスラムの疫病を治めたそうですね。それにモーガンの攻撃で負った傷が一瞬で完治したのを見ました。そんなことは下位レベルではできないでしょう。もう一度聞きます。レベルはいくつですか?」

「……だから、言いませんって!」

「そうですか。別にかまいませんよ。王宮にも能力とレベルを調べることができる能力者が一人いましてね。じきにここに着きます。なのでもう少し大人しくしていてくださいね」

「う、わっ、ちょっと!」


 一瞬で後ろ手を縛られて床に転がった。王様は何の能力者なんだろう。何が起きて何をされているのか全然分からない。

 優しく見下ろす王様をキッと睨んだ。


「先ほどから手荒な真似をして申し訳ありません。移動能力者は拘束しないと逃げてしまうかもしれないでしょう」

「に、逃げないから、離してよっ」

「もう少しの我慢ですからね」


 王様はまるで話を聞くつもりがないみたいだ。

 何とか膝を立たせて、後ろ手を縛られたまま床に座り込んだ。

 部屋がしんと静まりかえっている。居心地の悪さを感じていると、私をじっと見ていたらしい王様が口を開いた。


「あなたは、とても優秀な能力者になりましたね。私よりよっぽど」

「は……?」

「あなたが、治癒能力者ですか……ふふ、笑えますね。おかしい」

「さっきから何を言ってんの?」


 私の問いかけに、国王様は答えず、また美しく微笑む。

 それからすぐに、扉をノックする音が静寂を破った。


「ああ来ましたね。どうぞ、入ってください」


 王様が返事をして、扉がゆっくりと開いた。


「失礼致します、陛下」


 どこか聞き覚えのある、少女の声。

 来訪者が部屋に入ってくる。

 きっと、さっき王様が言っていた、能力のレベルを調べられる能力者だ。やばい、調べられたらレベル10ってことがばれてしまう。無駄だと分かりながらも、身体をよじって部屋の隅へと逃げることをやめられなかった。


「えっ、あなたは……」


 驚いたような来訪者の声に、思わず扉を見る。

 扉を開けた人を見て、目を見開いて驚いた。それは来訪者も同じだったらしい。


「エリスちゃん……?」


 お互いに目を合わせたまま、かちんと固まってしまった。

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