18.召喚

 

 つんざくような悲鳴が、周囲に響き渡った。

 街の人たちは、突然現れた明らかに普通じゃない少女を目にして、次々に声を上げてその場から逃げ出していく。

 ついさっきまで平和だった風景が、一瞬にして緊迫したものに変わってしまった。

 私は、その場から動けなかった。

 黒く染まった少女から、目が逸らせなかったんだ。

 きっと、この少女が。


「……疫病えきびょうだ。どうやってかは分からねぇが、スラムから脱出してきたんだろう」


 エルマー様は、呟くように言った。


「……大変だ。すぐに手当てしなきゃ」

「――近づくな。可哀想だが、もう助からない」


 きっぱりと言い切った言葉に驚いて、エルマー様を見上げる。


「助からないって……すぐに王宮に連れていって、治癒能力者に見てもらえばいいじゃないですか!」

「……状態が悪すぎる。あそこまで進行してたら、王宮にいる治癒能力者でも助けられない」

「そ、そんなの分からないじゃないですか!」

「絶対に、助からない」


 そう言い切ったエルマー様の声には、確信が含まれているのが分かった。

 口を閉じて、少女を見る。

 本当なんだ。本当に、このままじゃ、この子は死んでしまうんだ。


「騎士様、お願いします、助けてください! 妹を、どうか、助けて。治癒能力者様を、呼んでください……っ」


 片足の少年は、うずくまりながらも少女に身を寄せて、悲痛な声をあげている。

 エルマー様は、感情を噛み殺すように唇を噛んで。

 それから、無情に首を振った。


「……残念だが、王宮の治癒能力者でも、お前の妹はもう助けられない。こんなことを言うのは心苦しいが、被害が大きくなる前に、妹を連れてスラムに帰るんだ」

「そ、そんな……嘘だっ! 王宮は女神様を外に出したくないから、そんな嘘を言うんだろっ!?」

「嘘じゃない。治癒能力者と言っても、レベルは2に満たないんだ。瀕死の状態からの回復はできない……」

「うそだぁッ、ああ、ああ!」


 エルマー様と少年のやりとりを、どこか遠くで聞きながら、私は黒く染まった少女を真っ直ぐに見つめていた。

 瀕死だけど、この子はまだ生きている。

 多分、能力のおかげだと思う。私にはこの少女の命が見えた。

 この子は、あと十秒足らずで絶命する。それが分かった。


「お、お金なら、一生かけても全部払います! だから、お願いです。妹を助けてくださいッ!」

「近づくなッ! お前も感染している。すぐにスラムへ帰るんだ!」

「……絶対に帰らない。妹を死なせたら、絶対に、王宮を許さない。どんな手を使っても、復讐してやる……」

「だからッ、って、おい!? スズッ!? 何してんだッ! 離れろッ!」


 瞬間移動で少女に近づいて、黒く染まった身体に触れた。

 治癒能力者だってバレたらやばいとか、バロンがしてくれたいろんな忠告とか、今は何も考えられなかった。

 目の前で、幼い少女が息絶えようとしている。

 助けなきゃって、その事実だけで、いっぱいになってしまったんだ。


「――生きて! 死んじゃだめだよ!」


 治癒能力の使い方は、分かった。

 移動能力のときと同じだ。本能で理解していた。

 力をそそぐと、少女の黒く染まった身体がみるみる回復していく。まるで絵具で塗りつぶしているみたいに、少女の黒色が肌色へと変化した。

 健康な少女の姿に戻った身体を両手で支える。まだ眠ってはいるけど、頬に赤みが戻っているし、呼吸もしている。ほっと息を撫で下ろして、そっと地面に下ろした。


 ……やばい。やってしまった。

 立ち上がって、おそるおそる振り返る。

 エルマー様は、信じられないものを見るような目で、私を見ていた。


「ああ、あ、ありがとうございます……っ! ありがとうございます……っ!」


 片足の少年は治った少女を見て、涙をぼたぼたと零して泣いていた。


「お、お金は働いて払います……っ! 何年かかっても、一生かかっても、絶対に払いますから……っ!」

「お金なんていらないから、大丈夫だよ」


 優しくそう言った。

 ……もう見られちゃったし、一人も二人も同じだ。

 何よりこんな痛々しい姿、見ていられない。

 今度はうずくまる少年に近づいて、身体に触れた。

 少年の失われていた両手、片足がみるみる再生していく。完全に手足が元に戻り、少年は自分の両足で地面に立った。


「そんなことよりさ、これからはその両腕で、妹さんを守ってあげてよ」

「え……?」


 少年は何度も自分の手足を確認する。

 赤みが戻った顔を上げて、涙で顔をゆがませて。唇を噛んで、何度も何度も大きく頷いた。


「ありがとうございます……本当に、何て言っていいのか、分かりません……夢みたいです……」

「気にしないで。当たり前のことをしただけだよ」


 そう言って、少年の頭を撫でた。

 あーよかった。とってもかわいい兄妹を助けられた。めでたしめでたし。


「ってわけにいかないかな……」


 エルマー様の方を向いた。

 相変わらず信じられないような目で、私を見たままだ。

 幸いにも目撃者はこの少年とエルマー様しかいないはず。二人が黙っててくれれば、逃亡生活をせずに済むんだけど、どうだろう。親しみやすいエルマー様なら黙っててくれたり、しないかな。


「あの、エルマー様! お願いがあるんですけど!」

「スズ、お前、治癒能力者なのか?」


 へらへらした声じゃない。

 真剣な声でそう尋ねられて、言葉に詰まる。

 少し考えて、うなずいた。


「……見られちゃった以上、隠せないので、正直に言うと、そうです」

「何で黙ってた?」

「……ダンジョンで、バロン――精霊に、黙ってた方がいいって言われたので……すいませんでした」

「レベルは? 2、どころじゃないだろ、それ」


 エルマー様は真剣な表情のままだ。どう答えるのが正解なのか、分からない。

 重い空気を変えようと、へらっと笑って顔を上げた。


「エルマー様! 一生のお願いなんですけど、このこと誰にも言わないで頂けませんかね? 王宮に閉じ込められるなんて嫌なんですよ!」

「スズ」


 名前を呼ばれる。

 背筋が、ぞくっとした。

 エルマー様は、笑っていた。心底、うれしそうに。

 そして、どこか不気味に。

 怖いと、思った。


「絶対に言わない。だから、こっちに来い」


 ――あ、だめだ、これ。絶対に黙っててくれないやつだ。

 そう察して、逃げるべく移動能力を使おうとした。その瞬間だった。


「う、わぁ……っ!?」


 突然、身体が信じられないぐらい重くなって、地面に倒れた。

 地面に身体がめりこむ。まるで身体を重いものでつぶされているような感覚だった。

 さっき助けた兄妹も、私と同じく地面に倒れている。

 意識はない。どうやら衝撃で気絶してしまったらしい。

 何とか顔を上げてエルマー様を見ると、両手を私に向かって突きつけている。きっと何かの能力を使われているんだ。

 ……でも、こんなの。移動さえし続ければ逃げられる。

 そう思い、移動能力を使った。


「―――がはッ!」


 けれど、浮いた身体はすぐに地面に叩きつけられた。

 激しい痛みはすぐに消えて、衝撃で負傷した私の身体はすぐに再生していく。口の中に鉄臭い血の味が広がった。

 ……さすがに容赦なさすぎじゃない?

 これが、さっきまで一緒にごはん食べてた部下にする仕打ちかよ!


「無駄なことはするな。すぐ治るっていっても痛みはあるんだろ?」

「う、うぐ……これ、何して、んですか!」

「俺の能力だ。重力発生、レベルは9だ」

「じゅ、重力発生……?」

「今、直径二十メートル以内に、強力な重力がかかっている。お前の移動能力は十メートルぐらいが限度だったろ。これで移動は使えない。そもそもお前の移動能力は、俺と相性が悪い。絶対に俺には勝てねぇよ」


 た、たしかに使用範囲で負けている以上、逃げられない。

 みしみし、と地面に身体が埋まる。

 く、苦しい……骨が折れそう……。

 エルマー様はゆっくりと近づき、口を開いた。


「……スズ。絶対に悪いようにはしない。約束する。だから、逃げようとするな。ここで逃げたらお前はもっと酷いことになる。俺を信じろ」

「はぁっ!?」


 悪いようにはしない、って。それ悪役の常套句じゃん。てか今の時点で、十分酷いことになってるわ! そんなの信じられるかっての!


「……ぐっ、じゃあ、能力解除してくださいよ……っ! 苦しいんですけどっ!?」

「できねーよ。お前逃げるつもりだろ」

「何それ……、信じろって言うくせに……っ、私のこと、疑ってるじゃないですか!」


 ……まあ能力解除された瞬間に逃げるつもりだったけど!

 あーもう、どうしたらいいんだ。この重力内にいる限り、私は逃げられない。このまま捕まって、王宮に閉じ込められるなんて絶対に嫌だ。


「……っ、あ、そうだ……っ、バロン……!」


 この世界に来る前に、バロンと召喚契約をしたことを思い出して、私は手を開いた。

 召喚のやり方も、ちゃんと理解していた。

 力が入らない身体で、口を開く。叫んだ。


「――バロン、きてっ!」


 その瞬間、何もない空中から黒い穴が現れた。

 その穴から、小さなバロンの身体がゆっくりと出てくる。

 久しぶりに見たバロンは、ニコニコと嬉しそうに笑っていた。


「スズっ! やっと呼んでくれたんだねっ! ぼく、ずーっと待ってたのに、全然呼んでくれないんだもん! あ、スズなにその格好、もしかして王宮の制服? すっごくかわいいよ~~グべッッ!」


 完全に身体が出た途端、重力に負けてバロンが地面にめり込み、奇声をあげた。

 バロン……頼りない……頼りなさすぎる……。

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