13.侍女のエリス


「スズ様。おはようございます。朝ですわ。お目覚めになってください」


 遠くで、小鳥のさえずりのような、可愛い声が聞こえた。

 うっすら目を開けると、カーテンが開かれているらしい窓から、まっすぐに朝日が差し込んでくる。

 まぶしくて、枕に顔をうずめた。


「ん……あと五分……」

「まぁ、いけませんわ! さぁ、早くお起きになってください。初日に遅刻でもしたら、エルマー様に殺されてしまいますわ」


 可愛い声に物騒なことを言われて、勢いよく起き上がった。

 ベッドの傍に立っていた少女と目が合う。


「はじめまして、スズ様。エリスと申しますわ」


 エリス、と名乗った少女はそう言って、スカートの裾を小さく持ち、やわらかく微笑んだ。

 めちゃくちゃ可愛い。

 あまりの可愛さに、一瞬で眠気が飛んでしまった。

 エリスちゃんは、エプロンドレスを着た侍女だった。

 ただの侍女じゃない。昨日、道具を浮かせて掃除をしていたあの美少女だ。

 透き通る白い肌、アメジストのような紫色の大きな目に長い睫。ぽってりとした小さなくちびる。少しウェーブのかかった、セミロングのキャラメル色の髪。

 欠点がない。思わずまじまじと見てしまう。

 この世界の人たちは全体的に顔立ちが整ってるけど、その中でもダントツで美少女だと思った。

 

「は、はじめまして。えっと……エリス、ちゃん? ここは……そうだ、王宮だっけ……」

「はい。ここは王宮で、スズ様のお部屋ですわ」


 エリスちゃんは嫌な顔ひとつせずに、そう答えてくれた。

 美少女に目を奪われてしまったが、見慣れない部屋を見て昨日のことを思い出す。そうだ、今日から王宮で暮らすことになっちゃったんだ。


「スズ様、朝食のご用意が出来ております。でもその前に、お目覚めのお飲み物はいかがですか?」


 エリスちゃんにそう言われて、顔をあげる。


「お目覚めのお飲み物? すごい、そんなことまでして頂けるんですか! じゃあ、せっかくだからいただきます!」

「はい。ではこちらを。本日のモーニングティー、ルビーベリーのお紅茶です」


 そう言って差し出された高級そうなティーカップを受け取る。

 ルビーベリーが何なのか分からないけど……うわぁいい香り。温かいそれを一口飲む。甘くてフルーツの紅茶みたいな味がする。とってもおいしくて一気に飲んでしまった。


「すっごく美味しい!」

「気に入っていただけてよかったですわ。朝はお身体が冷えますから、温かい飲み物がいいんです」


 甘い笑顔でそう言われて、こっちまで頬が緩んでしまう。

 何だこれ、めっちゃ癒されるぞ。

 日本一のメイドカフェに行ってもきっとここまで癒されない。はじめて異世界に来てよかったと思ってしまった。


「さあ、スズ様。ベッドから降りて、朝食を召し上がってください。それとも朝は召し上がりませんか?」

「いえっ、朝からたくさん食べるタイプですっ! いただきますっ!」


 ベッドから立ち上がり、いつの間にか用意されていた朝食をいただくことにした。

 温かい野菜のスープ、とろとろの溶き卵。焼き立てのパン、付け合わせの甘いシロップ。どれもすっごくおいしい。食べるものは元の世界とそんなに変わらないみたいでほっとした。むしろ異世界の方がおいしいし、はるかに豪華だ。幸せ。


「あら……? スズ様が本当の名前ではないんですのね……」

「え?」


突然エリスちゃんが呟くようにそう言って、思わず顔を上げる。


「あ……! 何でもありませんわ。ヘンなことを言ってしまいました。申し訳ありません……」

「ううん。たしかに“スズ”はあだ名だよ。本名はこの世界だとなじみにくいみたい。名乗るたびに、ヘンな名前だって言われるの。でもどうして分かったの?」

「えっと、少々説明しにくいんですが……私の能力の一つが関係しております」


 そう言われて、首をかしげた。


「名乗った名前が、本当かどうか分かる能力ってこと?」

「……そうですね、そんな所ですわ」

「へぇ、そうなんだ」


 ……めちゃくちゃ微妙な能力だな。

 エリスちゃんには悪いけど、使うことなんてあるんだろうか。

 バロンが能力の種類は一万ぐらいあるって言ってたから、こういう使いどきがない能力もたくさんあるんだろう。


「ふふ。スズ様、今、微妙な能力って思いましたでしょう?」

「えっ……いや、えっと。ごめん、どうして分かったの? あっ、まさか人の心が読める能力とか……?」

「違いますわ。スズ様がそんな顔をしてらしたからです。顔に出やすいんですのね。でもスズ様。この世界において、名前は大変大切なものです。レベルによっては発動条件に、相手の名前が必要な能力が複数存在しますから。偽名を名乗る人もいるぐらいですのよ」


 エリスちゃんは、優しく微笑んでそう言った。

 へぇ、この世界で、本名ってそんなに大切なものなんだ。


「そうだったんだね。微妙なんて思ってごめん。あれ? でもエリスちゃん昨日、道具を浮かせて掃除してたよね? あれもエリスちゃんの能力の一つ?」

「あ、見ていらしたのですね。お恥ずかしいですわ。おっしゃる通り、あれもわたくしの能力ですわ。浮力で物を自由に動かすことができるんですの。とは言ってもレベルは3ですから、軽いものしか浮かせられません。わたくしにできることと言ったら、王宮の皆様のお名前を呼ぶこととお掃除ぐらいです。だけど、この力のおかげで王宮で働くことができて、わたくしとっても幸せですわ」


 エリスちゃんは幸せそうに微笑んでそう言った。

 かわいい。美少女が幸せそうだとこっちまで温かい気持ちになる。

 美少女ってすごい。


「申し遅れました。わたくし、しばらくスズ様のお世話をさせていただくことになりましたの。これからよろしくお願いいたしますね」

「えっ、本当? うれしい。こちらこそよろしくお願いします! エリスちゃん!」

「さぁ、スズ様。朝食はもうよろしいかしら。制服にお着替えになって。そろそろエルマー様のお部屋に行く時間ですわ」

「……うう。そうだった」


 思い出してうなだれる。

 仕方なくクローゼットから制服を取り出して、のろのろと着替えをはじめる。うう、やっぱりスカートの丈が短すぎる。スースーして落ち着かないよ。


「まあ、スズ様。とってもよくお似合いですわ!」

「そ、そうかな……えへへ。あんまり嬉しくないけど……。ところでスカートが短くて落ち着かないんだけど、何か履くものあるかな?」

「あら、スズ様。お言葉ですが、この世界にスカートの中が見えて恥ずかしがる女性兵士なんて、みえませんわ」


 エリスちゃんの言葉に、くちびるを尖らせる。

 それからすぐに、エリスちゃんのスカートを思いきりまくりあげてやった。西洋のお人形が履いているような、真っ白なドロワーズが見えて、思わず頬が緩んでしまう。


「きゃっ、何をなさるんですか……!」

「ほら、エリスちゃんだって恥ずかしいでしょ?」

「わ、わたくしは兵士ではありませんから、いいんです」

「そんなこと言われても、私だって恥ずかしいよ。ところでエリスちゃん、いいの履いてるね。その白いドロワーズ、私にもちょうだい」

「こ、こんなものを履いたら、せっかくの立派なスカートから丸見えですわ。もう、仕方ありませんね。少しお待ちになってください」


エリスちゃんは肩をすくめて、一度部屋を出る。

それからすぐに戻ってきた。


「これはいかがでしょう? 見えてもかっこいいですわ」


 そう言って渡されたのは、ぴったりした黒くて短いズボン。元の世界で言うスパッツのようなものだった。たしかにこれなら動きやすそうだし、黒いから見えてもあんまり目立たないかも。


「これいい! エリスちゃん、これいっぱいちょうだい!」

「かしこまりました。スズ様が戻られるまでに準備しておきます」

「ありがとう。ごめんね、無理を言って」


 慌ててエリスちゃんが持ってきてくれたスパッツを履いて、派手なブーツを着用する。その間、エリスちゃんは私の髪を解いて、結んでくれた。

 ……あーいよいよエルマー様のところに行かなきゃいけないのか。嫌だなあ。できれば穏便に平和にクビにされたい。エリスちゃんに会えなくなるのは残念だけど。


「では、スズ様。いってらっしゃいませ」

「うん、いってきます!」


 可愛い声に見送られて部屋を出る。

 えっと、アイリスさん何て言ってたっけ。たしか最上階の一階下。右から三番目の部屋。


「最上階から一階下……って」


 そうつぶやいて天井を見る。

 ……めちゃめちゃ高い。何階建てなんだこの建物は。徒歩で階段を上っていたら日が暮れてしまいそうだ。

 仕方なく、移動能力を使って上へあがっていく。

 時折人に見られては声を上げられたけど、気にしていられなかった。だって遅れたらエルマー様めっちゃ怒りそうなんだもん。

 最上階の一階下のフロアに着地して、すぐに右から三番目の部屋をノックする。

 しばらく待つが、返事が聞こえない。少し悩んで私はおそるおそる扉をあけた。


「……失礼しま~す」


 部屋に入ると、エルマー様は昨日と全く同じ体勢で黒いソファに寝そべりながら、


「……遅ぇ」


 不機嫌そうにそう呟いた。



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