10.異世界





「……あの、アイリスさん。そろそろ手を離してもらえませんか? 手汗をかいてきちゃったので、アイリスさんみたいな美人に触られてるの恥ずかしくて……」

「私は全く気にならないから、大丈夫だ」


 真顔でそう言われて、顔がひきつってしまう。


「……いやいや、私が気になるんですよっ!」

「駄目だ。この世界に来たばかりの人間は、混乱して逃げようとする奴が多い。まぁいつもなら逃げたきゃ勝手に逃げて苦労しろと放っておくんだが、お前は能力がいいし王宮に紹介だけはしておきたいからな」

「べ、別に逃げないですから、手ぐらい離してくださいよ」

「念には念をだ。移動能力者は捕まえておかないと逃げるだろう?」


 言葉に詰まった私を見て、アイリスさんは得意げに笑った。

 ううう、バレてる。てか笑った顔も美人だなぁ……。


 仕方なく、アイリスさんに手を引かれたまま、草原の道を進んでいく。

 相変わらず現実離れした景観だ。こんな状況だっていうのに、癒される。

 やがて大きな門を抜けて、街に入った。

 きっと、城下町ってやつだ。


「うわぁ、すごい」


 街の景色に、思わず声が出てしまった。

 街はとても賑やかで、たくさんの人たちがいる。

 人々はいろんな髪色と瞳の色をしていて、服も変わったデザインのものばかりだ。見慣れない風景に、つい人々をじろじろと見てしまう。まるで、アニメとかゲームの世界みたいだ。


 私も、割と地毛が茶色くて、目の色素も薄い。だから元の世界では結構、悪目立ちしていた。だけど、ここじゃ地味な外見に入るだろう。

 街を歩く人々は、汚れたカッターシャツとスカートを履いている私を、不思議なものをみるような目でじろじろ見てくる。

 うう、急に恥ずかしくなってきた……。


「城まではもう少し歩くぞ。その間、この世界について何か質問があれば答えるが、何かあるか?」


 たずねられて、考える。

 聞きたいことは山ほどあるんだけど、いざ聞かれるとすぐに出てこない。


「えっと、じゃあ……あ、そうだ。この世界に転移されてきた、私以外のみなさんはどうなるんですか?」


 思いついたことを、たずねてみる。

 アイリスさんはああ、とかぶりを振った。


「危害を加えるつもりはない。この世界に転移してきた人間は、まず能力者かどうかを調べる。そして能力者じゃない、もしくは大した能力を持っていなかった場合は、住む場所を選びそこで暮らすことになる。今頃、住む場所を選んでいるだろうさ」

「……能力者かどうか調べるって、どうやって調べるんですか?」

「ただ聞くだけだ。さっき聞いただろう。ダンジョンのことを覚えているか、と。この世界に転移してきた人間は、必ずダンジョンに行っている。それを覚えている人間が能力者なのさ。まぁそれだけとは限らないがな」

「えっ!? あの人たちもダンジョンに行ってたんですか!?」


 驚いてたずね返すと、アイリスさんはうなずいた。


「そうだ。あいつらもお前と同じように、全員ダンジョンに行っている。能力を手に入れられずに失敗すると、ダンジョンを管理している精霊に、ダンジョン内での記憶を消されるらしい。覚えているのは攻略者のみ。だから他の奴らは何も覚えていないのさ」

「ちょっとちょっと待って! ってことは、失敗しても死ななかったの!? でかい鳥に襲われても、高い所から落ちても、ネクロちゃん……ボスに負けても死ななかったってこと!?」

「あ、ああ。お前がどんな目に遭ったのかは知らないが、ダンジョン内で死という概念はないらしい。記憶を消されるだけだ」


 ……何てこった。死なないならあんなに必死になる必要なかったじゃん……。

 バロンもどうして私を助けたんだろ? まあ結果論だけどさぁ。


「そして、お前のように口を割らない者には、多少強引な手を使って口を割らせるんだ」


 楽しそうにそう言われて、アイリスさんに剣を投げられたときのことを思い出す。

 背筋がぶるっとした。

 ……この人、私が移動能力者じゃなかったらどうするつもりだったんだろ。普通に死ぬと思うんだけど。


「私の能力は時間停止なんだ。もしお前が避けなかったら、時間を止めて助けていたさ」


 私の心情を読んでか、アイリスさんはそう言った。


「時間停止って……まさか時間を止められるってことですか? そんなの、無敵じゃないですか」

「まぁ確かに珍しい能力だが、レベル3じゃ大したことはできない。お前の空間移動の方がよっぽど使える。レベルも高いしな。他に聞きたいことはあるか?」


 たずねられてまた考える。

 聞きたいことが山ほどありすぎて、何から聞けばいいか分からない。


「えっとえっと……あっ、どうして異世界に来たのに言葉が通じるんですか? そういえばダンジョンの看板も日本語……私が分かる言語だったけど」

「ダンジョン内の看板や言語は、詳しいことは分かっていないが、管理している精霊がやっているのだろう。この世界の言語に関しても……詳しいことは分かっていないが、どこかにいる高いレベルの意思疎通能力を持つ能力者のおかげだと言われている。混乱が起きないように、言語を統一しているんだろう」

「そ、そんなこと出来るんですか! 高いレベルの能力者ってすごいんですね!」


 そう言うと、アイリスさんは目を輝かせて、うなずいた。


「ああすごいぞ。特にレベル10の能力者なんて、同じ人間とは思えない。まるで神の御業だ」

「レベル10って、最高レベルってことですよね? この世界に、何人いるんですか?」

「正確な人数は分かっていない。しがらみを嫌がって身を隠す者も多いらしいからな。この国には分かっているだけで……一人……いや、二人いるはずだ。本当はもう一人いたんだが、そいつは、もう能力を使えないらしいから、二人だな」

 ……この国にたった二人。

 それは私が思っていたよりも、ずっと少ない人数だった。

 治癒能力のことは絶対に隠さなきゃ。面倒事に巻き込まれるのは嫌だし。


「そういえば、この世界に転移した人間は、まずダンジョンに行くって言ってましたけど、この世界で生まれた人は、どうやって能力を手に入れるんですか?」

「ああ。この世界に生まれた者は、まれに能力を持って生まれてくることがある。私もそうだ。お前と違って苦労せずに手に入る、生まれつきの能力だな。……お前と同じようにダンジョンを攻略して手に入れることもできる……らしいが」

「らしい?」


 煮え切らない言葉に首をかしげる。


「……この世界には、精霊が各地に出現させているダンジョンがいくつもあり、それをクリアすれば、新しい能力が手に入ると言われている。失敗すれば、ダンジョン内の記憶を消されて二度と挑戦できない。だが、過去二百年で成功例がほとんどないんだ。ダンジョンに入ったら最後、誰も帰ってこない。通常なら失敗しても記憶を消されて、どこかに戻されるはずなんだが、返送された挑戦者が見つからないんだ。不気味だから、ここ百年ほど、誰もダンジョンに近づいていないよ」

「そう、なんですか……」

「ああ。お前も近づかないことだな。だが、珍しい能力やレベルの高い能力は、ダンジョンをクリアした方が発現率が高いと言われている。圧倒的に発現率が低い治癒能力も、今のところ、異世界の人間――つまり、ダンジョン攻略者しか所持していないらしい」


 突然、突然治癒能力者の話が出てドキリとする。

 アイリスさんはすました顔をしている。他意はないみたいだ。


「……治癒能力っていうのは?」

「お前は来たばかりだから知らないか。圧倒的に発現率の低い珍しい能力だ。分かっているだけで能力者は四人。全員が王宮で暮らしている」


 それを聞いて、心臓が一気に跳ね上がった。

 ……うわ。運、悪すぎでしょ。バロンが言ってた、治癒能力者が軟禁されている王宮って、この国のことじゃん。これじゃ飛んで火にいる夏の虫……。とんでもない所に来てしまった。


「そ、そんなに珍しい能力があるんですね……へぇ……」

「珍しいなんてものじゃない。それにその汎用性の高さから、能力者たちは常に他国から狙われている。だから王宮で守っているのだ」


 守っている。

 アイリスさんは本気で言ってそうだけど、本当のところはどうなんだろう。バロンの言葉を聞いただけに、とてもじゃないが信用できない。


「……じゃあ、もし。もしですよ? レベル10の治癒能力者が現れたら、どうなりますか?」


 真剣な表情でたずねると、アイリスさんは一瞬真顔になり、それからすぐにハハッと声をあげて笑った。


「そんなのいるわけない。治癒能力はお前が思っているよりずっと希少だ。今いる所持者も四人のうち三人がレベル1。レベル2は一人の女性だけだ。その女性は特に厳重に守られ、国民からは女神のように崇められている」

「め、女神……へぇ……」

「お前の言うとおり、もしレベル10の治癒能力者が現れでもしたら……戦争が起こるだろう。どんな手段を使っても捕まえられる。手にした国は一生離さないだろうな」


 背筋が一気に冷えた。

 絶対に絶対に絶対にバレないようにしよう。

 私は拳をぎゅっと握って、何度目かの決心をした。


「さあ着いたぞ。ここが王宮だ」


 そう言って示された場所から、真っ白で長い階段が伸びている。入口はずいぶん高いところにあるようだ。その先のお城のような建物も真っ白で、とても大きい。庭も含めると東京ドーム百個分ぐらいはあるんじゃないかな。東京ドーム行ったことないけど。


「結局、私は王宮で何をすればいいんですか……?」

「そんなに怯えなくていい。ただ能力を見せるだけだ。それが気に入られれば王宮に住むことになるし、そうでなければ他の奴らと同じように、住む場所を選んでもらうことになるな」

「ぐうう……気に入られたくないなぁ……」

「そんなことは絶対に大声で言うんじゃないぞ。何度も言うが、この世界の人間なら涙を流して喜ぶほど光栄なことなんだ。この国で生きていくつもりなら、ここに住んでいる方たちの機嫌を損ねるのは賢い選択ではない」

「わ、わかりました!」


 どんな人か知らないけど、言葉にも気をつけなきゃ。

 緊張を落ち着かせようとゆっくりと息を吐く。

 手を引かれたまま、王宮へ一歩踏み出した。


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