二章.ティルナノーグ王宮

9.王宮勤めのアイリスさん




 夢を見ていた。

 毎日がひもじくて、いつもお腹がすいていて、朝から晩までくたくたになるまで働いて。

 だけど、とても幸せな夢だ。


 夢の中のそこは、見覚えのない風景だった。

 草木は枯れて、大きな岩と砂で覆われた温帯砂漠。濃い砂埃が舞う、空気の悪い茶色の世界だった。

 まともに整備されていない道を進んで、家へ帰る。


 家は、今にも崩れそうなぐらい、ボロボロの小屋だ。

 戸を開けて中に入る。

 腐りかけの木の台の上に、さっき街で盗んできたばかりの小さな野菜を並べる。発火石を打ちつけて火を起こし、鍋に水と野菜、それからほんの少し塩を入れる。

 野菜が柔らかくなったころ、家の戸が開いた。

 私は自然と笑顔になり、振り返る。


「おかえりなさい!」


 この光景を、私は知らない。

 でもさ、夢ってそういうものだよね。全く見覚えなのない風景の中にいたり、知らない人が出てきたり、現実味のないことが起きたりする。それが夢だ。


 突然、場面が変わった。

 これも珍しいことじゃない。夢なんて、唐突に変化するものなんだから。

 あ、これは見覚えがある場所だ。

 会社のフロアの中、新規のクライアントと大口契約を結ぶことに成功した私は、たくさんの人に褒められている。

 いつも厳しい上司はもうニコニコ顔でさ。お前は自慢の部下だよ、なんて誇らしげな顔をして言った。

 営業成績の縦グラフは私のがダントツで一番長い。後輩や同僚にも頼られちゃって、憧れてます! なんて言われちゃってさ。

 ……あーなんていい夢なんだろ。このまま覚めなきゃいいのになー。




「……おい、起きろ」

「ん、あと五分……」

「起きろッ! お前だけだぞ寝てるのはッ!」


 身体を大きく揺さぶられて、意識が浮上していく。

 目を開けたとき、視界に映ったのは、不機嫌そうな、けれどものすごく美人の顔だった。


「んあ?」

「……やっと起きたか。お前が最後だぞ」

「んん……お姉さんどなた……? めっちゃ美人さん……」

「寝ぼけるな! いいから早く起きろ!」


 腕を引かれて、無理矢理身体を起こされる。

 だんだん意識がはっきりしてきて、見覚えのない光景に目を細めた。


 辺りは薄暗く、広い室内のようだった。

 頼りないランプが数個設置されているだけで、埃っぽいカーテンが壁中を覆っている。そのため、今が昼なのか夜なのか、判断できなかった。

 室内には人が十人ほどいる。

 みんな状況が分かっていないのか、おどおどしていて、落ち着きがない。

 美人の女性は私を起こしたあと、呆れたように鼻を鳴らし、赤い長髪をひるがえして部屋の前へと歩いていく。

 ……えっと。何があったんだっけ。そもそもここはどこだっけ。

 あ、そうだ! 突然ダンジョンに飛ばされて、ネクロちゃんを倒して、精霊のバロンと契約したんだっけ。

 ……あれは、たぶん夢じゃないはず。妙にリアルだったし、しっかり覚えてるもん。


「……君、大丈夫か?」


 室内にいたおじさんに話しかけられる。

 おじさんはどうみても日本人じゃなかった。彫りの深い顔、白髪交じりの金髪に碧眼で、まじまじと見てしまう。けれど、言葉はちゃんと私が分かる言語だった。


「あ、はい。大丈夫です。えっと、ここはどこなんでしょうか?」

「……そんなこと、ここにいる全員が知りたい。目が覚めたら、ここに居たんだ。あのヘンな格好をした女にたずねても、一向に説明がない。恐らくだが……集団誘拐などの犯罪に巻き込まれた可能性が高いと思う」


 おじさんは深刻な面持ちでそう言った。

 ヘンな格好の女、と聞いて私を起こした美人を見る。

 なるほどなー、と思った。

 かっちりした軍服のような黒色のジャケットは、金色のバイアスが付いている。腰には派手な剣。ビロードの赤いマントがとても目を引く。

 それだけならまだいいんだけど、下は赤いチェックのミニスカート。

 どういう格好だよ。

 剣持ってるけど、まさかその格好で戦うの? いや、美人だから似合ってるけどさ。


「全員、目が覚めたようだな。私の名前はアイリス。別に覚えなくていい。早速だが、混乱している者も多いようだし、お前たちの現状を教えてやる」


 アイリスと名乗った軍服の美人は私たちを見回し、高圧的にそう言った。

 周りの人たちは、緊張した表情でアイリスさんを見ている。

 私は、不思議と落ち着いていた。


「この世界は、お前たちがいた世界ではない。ここはお前たちで言うところの異世界だ。他の世界から来る人間は必ずこの場所に転移する。私はここの監視役を任されている者の一人で、こうして転移してきた人間に説明をしている」


 一瞬静まりかえって、すぐにざわめきはじめる。

 中には「何を言っているんだ」と笑う人もいた。

 けれど、私は知ってる。

 アイリスさんが言っていることは本当だ。

 アイリスさんは私たちの反応には慣れているようで、馬鹿するように笑われても全く動じず、淡々と話を続けた。


「ではまず、ここにいる全員に質問だ。ダンジョンのことを覚えている者はいるか?」


 そうたずねられて、心臓が跳ね上がった。

 覚えている。ネクロちゃんを倒したこと。バロンに会ったこと。そしてとんでもない能力をもらってしまったこと。

 周りにいる人たちは全員、「ダンジョン?」と首を傾げていた。なぜだか分からないが、ダンジョンのことは誰も知らないみたいだ。

 ……とりあえず黙っていよう。なんとなく、そう思った。


「おい、そこの女。お前は覚えてないのか」

「えっ!?」


 突然声をかけられて、声が裏返る。

 慌てて周囲を見回すが、アイリスさんの赤い瞳はまっすぐに私を見ている。やはり私のことらしい。

 ……どうしてピンポイントで私を指名したんだろう。

 まさか、もう治癒能力のことがバレているんじゃ……。


「ダンジョンのことを覚えている奴は大抵、転移されてきてから目が覚めるのが遅い。お前は一番目が覚めるのが遅かったからな。どうだ、覚えていないのか?」


 疑問に答えるようにアイリスさんが言う。なるほど、そういうことか。

 そういうことなら、と。私はとぼけて首をかしげてみせた。


「何のことか分からないです!」


 へらっと笑ってごまかした。

 アイリスさんは私を観察するようにじっと見て、それからふっと笑った。

 あ、信じてくれたみたいだ。ほっと胸を撫で下ろした、その瞬間だった。

 突然、アイリスさんが凄まじいスピードで腰に差していた剣を抜き、私に向かって投げつけた。

 鋭利な剣先が目前に迫ったとき、反射的に空間移動をしてしまった。

 その場から消えて、部屋の隅に移動する。わずかに剣が肩をかすったようで、血が滲んだ。しかしその傷はすぐに再生していく。

 慌てて手で傷口を隠した。心臓がばくばくと早くなる。

 やばい。治癒能力、すごいけど、やばい。


「嘘が下手だな」


 アイリスさんは得意気に言った。ヒィィこの人怖すぎ。

 周りの人たちは、信じられないような目で私を見ていた。自分が普通じゃないことを思い知らされているみたいだ。

 うう……なんだかちょっと悲しくなってきた。


「それは移動能力か? その移動距離、まさかレベル5以上か?」

「……いや、あの……」

「別に悪いようにはしない。正直に答えろ」


 ゴクリと生唾を飲んで、考える。

 見せてしまった以上、移動能力のことは隠しようがない。

 おそるおそる頷いた。

 

「……一応、レベル7って言われましたけど」

「すごいな。異世界から来た人間で、レベル5以上の能力者に会ったのは初めてだ。この世界でも珍しい」

「はぁ、そうなんですか」


 治癒能力じゃなくても目立ってしまうのかよ。

 バロンの言うとおり、私は能力のことを何も分かっていないのかもしれない。


「身体強化も持っているだろう。そっちのレベルはいくつだ?」

「へ!? あの、えっと……」


 当然のように尋ねられて、混乱する。

 そうか。ダンジョンで一つ目に手に入れたのが、身体強化能力だった。

 つまり、身体強化以外の能力を持っている人は、自動的に身体強化能力を所持しているんだ。

 ……こんなところで嘘はつかないほうがいいかもしれない。大事なのは治癒能力所持者だってばれないことなんだから。


「レベル8ぐらいって言われました」

「……お前、本当にすごいな。よし、分かった。ダンジョン攻略者はこの娘一人だけだな。残りの者は隣の部屋に移動しろ。別の者からこの世界の説明をしよう。お前は、こっちに来い」

「うわっ! ちょっと!」


 腕を引っ張られて、連れていかれる。

 暗い部屋を抜け扉を開けた瞬間、まぶしい光が射して目をしかめる。

 視界には、ダンジョンで見たような綺麗な景観が映った。長く続く綺麗な緑の草原。その先には大きな門、街が見える。


「そうだ。そういえば、私が投げた剣が肩をかすっていただろう。見せてみろ」

「えっ!?」

「手当てをしてやる」

「い、いえ……っ、何ともないんで! うわっ」


 腕を掴まれて、肩を凝視される。アイリスさんは不思議そうに首を傾げた。


「……おかしいな。かすったように見えたんだが。服も破れてる」

「ギ、ギリギリ避けれたんですよ!」

「何だそうか」


 アイリスさんはあっさりと納得して、私の手を掴んだまま、歩みを進めていく。私はほっと胸を撫で下ろした。


「……どこに行くんですか」

「王宮だ」

「お、お、お、おうきゅう?」


 治癒能力者たちは、王宮に軟禁されている。

 バロンの言葉を思い出して再び心臓が跳ね上がる。

 え、やっぱりバレてんの? この手を振りほどいて逃げたほうがいいのか?


「そう怯えなくていい。珍しい能力者が現れたら、まず王宮に連れていくのが決まりなのだ。うまくいけば王宮に勤められるかもしれんぞ」

「いや別に、王宮とかいう場所に興味ないんですけど」

「お前はこの世界に来たばかりだから知らないんだろうが、王宮で働くことはとても名誉のあることなのだ」


 アイリスさんは自慢気にそう言う。

 どうやらこの人も王宮に勤めている人らしい。よく見ると赤いマントに鳥の刺繍がついている。遠くに見えるお城の旗と同じ刺繍だ。この刺繍が王宮に勤めていることを示すマークなのかもしれない。

 アイリスさんの背中を追いながら、これから連れていかれるだろう王宮で、治癒能力のことがバレないよう祈った。


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